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20.第二王子アレクシスの結末



〈第二王子アレクシス視点〉



 第二王子アレクシス、十八歳の春。

 王立学園の卒業パーティーは、今年も花を散らす風が吹く、(はる)朧月夜(おぼろづきよ)に幕を開けた。


 卒業式と成人式を兼ねたこの日は、建国祭(けんこくさい)にも匹敵する一大行事だ。王宮の広大なホールには国中の貴族が集い、社交の花を咲かせている。



 学園の卒業生たちは、名の呼び上げとともに、定められた扉から一人ずつ入場していく。


 このような公式の場では身分の高い者ほど後に入場する習わしがあるため、俺は人気のない廊下の隅で順番を待っていた。


 パーティーを終えてこの扉を出るとき、俺はいよいよ本格的に王家の一員として、公務にあたる立場となる。久しぶりに袖を通した濃紺の正装を見つめながら、挨拶の言葉を頭の中で反芻した。


 学び舎を共にした者たちの総代として、また王族の一人として、無様な姿を見せるわけにはいかない。王宮で味わうこの緊張感は久しぶりだなと、十歳の頃の自分を思い出し、どこか懐かしく感じる。



 入場を控える家門も残り少なくなってきたそのとき。


 ――俺の前に現れたのは、予想外の人物だった。






「アクアリム王国第二王子アレクシス殿下のご入場ですー!」


 会場へ足を踏み入れると、それまでホールを埋め尽くしていた喧騒が潮の引くように止み、全方位からの視線が俺に集中した。


 卒業生代表の宣誓、そして国王陛下からの祝辞を経て、この宴は正式に始まる。

 参列者たちは皆、俺の一挙手一投足を、固唾を呑んで見守っていた。



 だが今年に限っては、例年と異なる点が一つ。

 王族が座る一段高い場所に据えられた玉座に、国王陛下と王妃殿下の姿が見当たらないことだ。とある事情(・・・・・・)により、到着が遅れているらしい。


 代わりに、次期国王の筆頭(ひっとう)候補(こうほ)であるレイモンド兄上が、優雅な立ち振る舞いで独り、場を見守っていた。



 俺は、長く伸ばした金髪を緩く一つに結んだ兄上の姿を仰ぎ見た。

 留学から帰国し、二十歳を迎えた兄上は、王族としての風格を一層深めている。知性を宿す澄んだ青い瞳は、底の知れない穏やかな眼差しで俺を捉えていた。


 ふと、兄上の口角がわずかに上がった気がした。これから起こる出来事を特等席で愉しもうとする、観劇者(かんげきしゃ)のような余裕の微笑み。


 一瞬、背中を駆け抜けるような悪寒が走ったが、俺は深く目を瞑り、無理やり心を落ち着かせた。


 


 この国では、卒業生が国王に向けて答辞(とうじ)と成人の宣誓を行うしきたりがある。今年の卒業生代表――すなわち俺は、陛下の不在により、今回は兄上に向けて宣誓することになる。


 俺は三年間、愚直に己を鍛え上げたその力強い足取りで階段を上り、玉座の前で片膝をついた。



 兄上と向かい合うと、まるで鏡を見ているようだ。


 もっとも、短く刈り込んだ無骨な俺に対し、長い髪を揺らし柔和に微笑む兄上はあまりに優美で、周囲に与える印象は「太陽と月」ほどに異なるらしい。

 次代を照らす太陽の座は、眩い兄上のものだ。ならば、その太陽に寄り添う月という評価こそ、俺にはふさわしい。


 そう……思っていたのだが……。



 全貴族の視線を背中に感じながら、俺は淀みのない声で答辞を読み上げた。



 



 ――異変が起きたのは、無事に宣誓を終え、学園生活の余韻を噛みしめながら階段を降りていたときのことだ。

 厳かな儀式が済み、参加者たちが緊張を解いて思い思いにお喋りに興じようとして、会場の空気がふっと緩んだ、その瞬間。




 聞き慣れた、少しあどけなさの残る声が広い会場に響き渡った。



「ディアナ様、もうアレクシス殿下を解放してあげてください……!」


 玉座の真下にあたるホール中央で、堂々と声を上げたのは男爵令嬢ニナ・ボーシャ。

 桃色の髪に合わせた淡い色のふわふわとしたドレスは、夜会という場には少し幼すぎるように見えたが、彼女の可憐な容姿には不思議とよく似合っていた。


 その背後には彼女を慕う貴族の男子たちがずらりと並び、同調するように深く頷いている。

 将来のため、政治的な立ち回りを覚えることも学園生活の目的なのだが、彼らは三年間でいったい何を学んだのだろうか。彼女に恩義を感じる気持ちは分からなくもないが、貴族の振る舞いとしては不適切だ。


 さらにその背後では、彼らの婚約者とおぼしき令嬢たちが、青ざめた顔で胸の前で手を組み、心配そうに令息たちを見守っている。




「あら……それは私に、『婚約破棄をしろ』と仰っているのかしら?」


 その問いに応じ、静かに一歩前へ踏み出したのは、俺の婚約者である公爵令嬢ディアナ・テトラ。

 深海を思わせる青緑色のドレスがシャンデリアの光を反射して煌めき、彼女の艶やかな白銀の髪を一層引き立てている。


 ディアナは流れるような所作で手元の扇子を広げ、口元を隠して首を傾げた。

 淑女の(かがみ)のような完璧な立ち振る舞いだが、不可解なことに、今の彼女は己の望む結末しか見ていないようだった。


 婚約は、この卒業パーティーの閉幕を待って公式に発表される手はずだった。未だ内約の段階にある王家との誓約に対し、あろうことか『婚約破棄』などという不穏な言葉を平然と口にしようとは。


 幼い頃からその聡明さを知るだけに、近頃の俺への冷淡な態度といい、今この場での失言といい、どうにも解せない。




 ――いったい何が起きているんだ。


 騒動の中心にいる当事者でありながら、俺は一歩離れた場所からその光景を眺めていた。喉までせり上がってくる動揺を押し殺し、貼りつけていた外向きの笑みを消す。




 壇上で繰り広げられる令嬢たちの応酬をよそに、俺はどこか他人事のように「これは、誰の筋書きなのだろうか」と考える。完全なる現実逃避だ。


 俺は兄上のような神童でもなければ、ディアナのような聡明さも持ち合わせていない。


 だが、この異常な状況を黙認している兄上も、ニナを見下して冷笑を深めるディアナも、王族として、あるいは貴族として、どこか正気ではないことだけは確かだった。





「ディアナ様は、アレクシス殿下の婚約者なのでしょう? それなのに、殿下へのあの態度はあまりに失礼です!」

「……以前にも申し上げましたけれど、それはニナ様には関わりのないことではありませんこと?」

「関係あります! わたしは一時期、アレクシス殿下の『ご相談』に乗っていたのですから!」


(ああ……それを、ここで言ってしまうのか……)


 ニナの背後に控える令息たちや、その婚約者である令嬢たちからの視線が突き刺さる。それだけではない、会場を埋める卒業生たちの多くからも、複雑な――あるいは同情に近い視線が投げかけられていた。


 どうやら彼女に「世話」になった者は、想像以上に多いらしい。



 ディアナは、これで決定的な言質を得たと確信したのだろう。


 扇子で口元を隠してはいるが、微かに口角を釣り上げ、勝利を確信したようににやりと笑ったのを俺は見逃さなかった。



「アレクシス殿下、これは一体どういうことですの?」


 話を振られた以上、これ以上沈黙を守るわけにはいかない。

 俺は、重い足取りで一歩前へ出た。



「……まず、内定段階だったが、たった今、公になってしまったことも踏まえ、誤解を解くためにもここで宣言しよう。私とディアナ嬢は卒業後に正式に婚約が結ばれる予定の間柄だ」


「……っ!」

 ディアナは、婚約がまだ非公表である事実を、今さらながら思い出したようだ。完璧だった表情がわずかに崩れ、きつく結ばれた口元と瞳に焦りが走る。


「……婚約者であるあなたとの関係をどう深めるべきか悩んでいた折、良き助言者がいると紹介されてな。それがニナ嬢だった。彼女の言葉通り、確かに相談に乗ってもらっていたのは事実だ。公にするつもりはなかったが、相談の性質上、あなたの名前を出してしまったことは申し訳なく思っている」



 そして俺は、ディアナの目を真っ直ぐに見据え、静かに一礼した。


 同時に、俺たちを囲むように見守っていた貴族たちが小さく息を呑む音が聞こえた。

 王族が安易に頭を下げるべきではないが、卒業パーティーという場、かつ婚約者への私的な謝罪という形であれば、これしきの態度で品格を損なうことはないだろう。



 ディアナは俺の潔い態度に一瞬だけ怯み、後ずさった。だが、すぐに思い直したようにぐっと床を踏みしめ、鋭い視線を投げかけてくる。


「相談、ですって……? 特定の、それもあのような身分のご令嬢に?」


 彼女はあざけるように鼻で笑った。「そんな言い訳が通用するとでも?」と言いたげな、冷酷な瞳だった。



「ニナ嬢の男爵家が運営するボーシャ商会では、意中の相手や婚約者との睦まじい関係を望む者を支援する。『密やかな演出プラン』や『贈答品選定サービス』を展開しているんだ。俺はその顧客の一人に過ぎない」


「は……?」


 ディアナの口から、とうとう淑女らしからぬ、間の抜けた声が漏れた。

 表情を隠していた扇子を持った腕はだらりと下がり、信じたくないと言わんばかりに、弱々しく首を振る。



「……ここにいる者たちの中にも、世話になった者がいるはずだ。学園の男子生徒の多くが、さらには卒業した者たちの中にも、彼女の指南を仰いだ者は多いと聞く」


 俺の言葉にニナが「その通りです!」と力強く頷くと、背後にいた令息たちや一部の卒業生たちが、バツが悪そうに視線を泳がせたり、気恥ずかしそうに顔を伏せたりした。


(俺よりもずっと流行に詳しい、あのデリックさえも、年上の婚約者に喜んでもらうために、ニナ嬢の顧客になっていたというくらいなのだから、相当な審美眼(しんびがん)の持ち主なのだろう)




 彼らの婚約者たちも得心がいったようで、苦笑を漏らす者や「やはりそうだったのね」と呆れ顔を見せる者など、会場の空気は一変して、どこか毒気の抜けたものへと変わっていく。


「君の情報を第三者に漏らすのは不徳(ふとく)の致すところだが、非常に信頼のおけるサービスだと紹介され、つい縋ってしまった。君との接点を作るために、君のことを勝手に話してしまったことは……本当に申し訳ないと思っている」



 俺は再び、誠実に頭を下げた。


 顔を上げると、ディアナは完璧だったはずの淑女の仮面をどこかへ置き忘れたように、ぽかんと口を開けて俺を凝視していた。



 俺は半歩足を出して身体を回し、今度はニナと向き合った。この事態を招いたのは俺の責任でもあるが、後に大事にならないように、今ここで彼女に指摘しておくのが無難だろう。


「それからニナ嬢。いかなる理由があれ、顧客の情報を漏洩させることは商売の根幹を揺るがす失態だ。貴殿の商会のさらなる発展を願うからこそ、この件は真摯に反省し、改められよ」


「……は、はいっ! 殿下、誠に申し訳ございません!」


 ニナはようやく事の重大さに思い至ったのだろう。

 顔を蒼白にさせ、床に額を打ち付けんばかりの勢いで平伏した。



 彼女はこれまで、数多の令息たちの悩みを『恋の聖女』として華麗に解決してきた実績がある。

 彼女の助言で意中の相手と結ばれた男は、マルコ殿を筆頭に、高位貴族から近衛騎士に至るまで枚挙(まいきょ)にいとまがない。


 その輝かしい実績の中で唯一、一向に仲が進展しなかった相手――それが俺だった。


 商売魂の逞しい彼女が、上客である俺を満足させられず、歯がゆさのあまり躍起になっていたのは分かっていた。


 俺としては「気にしなくていいから貴族として然るべき振る舞いをしてほしい」と願っていたのだが……そこは若さに任せた意地が勝ってしまったようで、実に残念だ。




 ディアナは一人事態が飲み込めないといった様子で、いまだ淑女の仮面を剥ぎ取られたまま、呆然と立ち尽くしていた。


「どういう……ことですの? ニナ様は『ヒロイン』なのでは……?」

「ヒロイン?」

「ほ、本当に、そのようなサービスが実在いたしますの……っ?」


「は、はい! ボーシャ商会の美容品は女子学生が自力で買うには少々値が張りますので、贈り物としての付加価値をつければ、より手に取っていただけるのではないかと思いつきまして!」


「ボーシャ商会……ハチミツを使った美容液の……」

 ディアナの後ろに控えていたご令嬢たちも、囁き声で確認しあう。


 ボーシャ商会の商品は、今や貴族女性たちの憧れの的で、特に意中の男性から贈られると幸せになれるという噂は、社交界で知らぬ者はいない。

 品揃えも豊富で、『あなただけのオリジナルの一瓶』は、高額ながらも常に数ヶ月待ちの予約で埋まっているという。



「左様です! あるとき、婚約者様との接し方に悩む殿方と偶然お話しする機会がございまして。そこでわたしなりの助言を差し上げたところ、見事に成就いたしまして! そこから次々とご紹介でお客様が舞い込み、これは正式な事業として立ち上げるべきだと確信したのです!」


「商品の販促にもなり、まさに一石二鳥の好機でした!」


 ぐっと拳を握り、力強く語り出した彼女は、どうやら商人として生きるのが性分に合っているらしい。商売の話になると、先ほどまでの殊勝(しゅしょう)な態度はどこへやら、言葉が止まらなくなるようだ。


 あのふわふわとした装いも、学園内での広報戦略――いわば『営業用』の演出なのだというから、大したものだと感心したものである。


 顧客である俺たちのために、自らが『親しみやすい相談役』を演じ切っていたのだ。




 しかし、これは止めなければ……。


 俺がそう危惧した瞬間、兄上が座る玉座の後方にある扉が開き、王の到来を告げるファンファーレの音が会場に鳴り響いた。




アレクシスの「浮気」は勘違い、ヒロインの「正体」は敏腕商人。

全ての前提がひっくり返ったディアナに、真の「筋書き〈シナリオ〉」が襲いかかる!


次はディアナの番です。もし少しでも面白いと思っていただけたら、下にある高評価【☆☆☆☆☆】やブックマークでぜひ応援いただけると嬉しいです!




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