外伝 夏菜 2 心が熱い
「うぅぅ………ここ、どこ?」
辺りは暗く、木々に囲まれている。少し体を動かしただけで床がギシギシと軋む音を立てた。
『確か、あの女に襲われて………そうだ。あの女、何なの?クソッ!』
私はあの時の出来事を思い出し、怒りを露わにする。しかし、正座の状態で、手足を何かで縛られている。身動きが取れない。
『私にこんなことして、ただで済むとでも………』
そう思った瞬間、目の前のドアが『キィ』と音を立てて開いた。
私はとっさに目を瞑り、気絶を装う。
『誰か来た……。あの女?それとも別の人?とりあえず、このまま気絶したふりを……ん?』
ドアを開けた人物は、なぜか私の手足を縛っていたものを解き始めた。そして、脱力していた私を、そのままお姫様抱っこで持ち上げた。目を瞑っていても、自分の体が仰向けになり、腕に支えられている感覚は分かる。
「………誰?助けてくれたの?それとも変質者?怖い………でも、まだ目を開けるわけにはいかない………」
その人物は、私をしっかりと抱きかかえたまま、どこかへと移動し始めた。風を切る音が耳元で響き、移動していることが感じ取れる。
『もう少しだけ目を開けてもいいかな。知らない人だったらその場で暴れれば』
恐る恐る、目をほんの少しだけ開けた。
『天野金星!?』
私は慌てて目を閉じ、考えを巡らせる。
薄っすら見えた顔は、間違いなく天野金星だった。モブキャラだと思っていた、あの天野金星が私を縛りから解放し、お姫様抱っこをしている。
『天野金星が私を助けに?なんで?知らない人じゃなかったのは少し安心だけど………これが駿斗だったらもっと効率よく事が進んだのに。失礼すぎるけど、いや、というか………私の肌に触れてるし………くぅうぅ!なんか急に恥ずかしくなってきた。中学生にもなって、お姫様抱っこなんて………屈辱!』
あふれ出そうになる感情をなんとか押さえ込み、私は気絶したふりを続けた。
『いや、こう考えればいい。私に触れられるなんて、あなたにとってこれが最初で最後なんだから、むしろ感謝してほしいくらい。これは助けてくれた褒美、ってことでいいでしょ!』
しばらくの間、私はお姫様抱っこの状態でどこかへ運ばれていった。やがて、体の揺れが止まり、どうやら平地に着いたらしい。
『にしても、この男………移動中、何もしゃべらなかった。私を抱きかかえて『幸運だぜ』とか、『夏菜さん、かわいいなぁ』とか、普通言うでしょ?何も………』
そう考えていると、ついに天野金星が口を開いた。
「失礼します」
「何かね………どうした?」
『星崎先生の声、ということは保健室に来たの?私を心配して………?』
「ハイキング中、夏菜が足を踏み外して坂から落ちてしまいました。彼女は今、気絶しています。診ていただけますか?」
『何それ?私が坂から落ちた?意味が分からない。私、あの長い髪の女に眠らされて監禁されてたのよ?そんな出来事、全然覚えがないんだけど』
疑問を抱えたまま、私はベッドに乗せられた。
『ここなら、少しぐらい目を開けても大丈夫かな……』
そっと目を開けると、目に飛び込んできたのは天野金星の背中だった。彼の白い服が赤く染まっている。血がにじみ出ていて、斜めに切られた傷跡が透けて見えるようだ。
『えっ、何それ?怪我?』
一瞬、思考が止まる。もしかして、私を助けた時に………?でも、違う。あれは私じゃない………
彼がすぐに『小学生の時に負った傷だ』と説明するのを聞いて、少し安心する反面、本当にそうなのか疑念も残る。だって、あれだけ血が出ているのに。まさか、私を気遣って嘘をついてる………?
そんなことを考えている間に、保健室のドアが再び開いた。
駿斗が駆け込んできた。彼は天野金星の怪我のことを知っているようで、特に驚いた様子もない。
『まぁ、仲がいいもんね。駿斗はきっと彼のことを何でも知ってるんだろうな』
駿斗の声は、本当に心配しているのが分かるほど切実だった。目を瞑っていても、彼の声色からそれが伝わってくる。
その後、駿斗と天野金星が保健室を出たのを確認してから、私はそっと目を開けて身を起こした。
「おっ、目覚めたか」
「はっ、はい。ここは……」
「保健室だ。さっそくだが、坂から落ちたという記憶はあるか?」
「私が坂から落ちた……? いえ、分かりません。記憶がありません」
「そうか。しかし、あの二人が嘘をついているようには見えなかったからな。君が坂から落ちたショックで記憶をなくしたのかもしれない。具合はどうだ?」
「平気だと思います」
「わかった。ただ、今日のところは保健室のシャワーで我慢してくれ。万全の状態でないお前をお風呂場に行かせるのは危険だからな」
「分かりました」
しばらく保健室で休んでいると、夏菜、里香、そして渚が駆けつけてきた。3人とも本当に私のことを心配していて、涙まで浮かべている。
「大丈夫だよ」と私は彼女たちをなだめながら、状況を聞いてみた。
彼女たちが話してくれたのは、昼に起こった出来事と、私が雪に背中を押されて坂から落ちたこと。そして、その瞬間に天野金星が私を空中で抱き寄せ、助けてくれたこと。
私は話を聞いていて怖くなった。私の記憶とみんなの記憶が違う。まるで私だけが違う世界に取り残された、そんな気分。
でも、みんなが見ていた私は『私』じゃない。
これは私の予想になってしまうけれど、私を監禁した後にあの女は私に成り代わり、演じた。
その結果、雪に背中を押されて坂から落ちた。そして天野金星がそいつを助けたということ。
『あれ?』
とすぐに疑問が浮かんだが、なぜか消えてしまった。
『何か浮かんだんだけど………まぁいいか』
みんなはお風呂場に行ってしまった。私は言われたとおりに保健室のシャワーを浴びた。
先ほどまでは本当に怖かった。けれど今は時間が経って、頭が冷えてきた。でもなぜか、心の中が熱かった。
『あれ?』
私はお風呂に浸かりながら胸に手を当てる。温かい。湯船に浸かっているからだけど、それとはまた違うなんだろう、これ?




