……絶望と引き換えに……希望を……
「やぁ、起きたようだね」
優しい声、その顔にはクマができ、猫背で疲れ切っているように見える。
一見、弱そうに見えるが一応、警戒を強める。
「初めまして、僕は、Rの『命』の役割を担っている。医者みたいなものだと思ってくれればいい……さて、僕の紹介はこれくらいにして、さっそくだけど話をさせてもらうよ」
男は俺に近づき、一定の距離を保ったところで話し始めた。
「君は二日前の試験で、全員を圧倒していたね。それを見ていた幹部たちは、君を『危険視』したんだ。僕も試験を見ていたけど、正直驚いたよ。君の強さは異常といっていい。現役の矛すら、君には勝てないかもしれないと思わせるほどにね」
男はポケットから白い箱を取り出した。そこから、小さいカプセルのようなものを人差し指と親指で掴んだ。
「気づいているだろうが、君を弱体化させてもらったよ。この薬でね。おおよそ、今までの『10分の1程度の力』しか出せないはずだ。それほどまでにこの薬は強力だからね」
そう言いながら、さらに繋げた。
「君も、もう感じていることだろう?体を思うように動かせないことに。試しに、手をしっかりと握りしめてみてくれ。たったそれだけのことでも、難しいと思うよ」
言われるまま、自分の手を見下ろした。拳を握ろうと力を込めるが、指が途中で止まる。
ようやく握れたのは、一秒半後……。
「どういうことだ」
指を曲げる感覚は鈍く、じんわりとした違和感が広がる。
「筋力そのものを弱めたのもあるけどね。この薬の一番の効果は、神経伝達を妨害するんだ。反射神経や判断力を鈍らせる。それによって君の一番の強みだった、
『初見で全ての攻撃を避ける』という『神業』を封じたんだ」
俺は毎日、父の教えの下で鍛錬をしていた。どれも厳しく、辛いものばかりだったが、一番苦労したのは、父との一対一の戦いだった。
父は矛の中でも、上位に位置する実力者と評されている。さらに冷徹な男としても名を馳せていた。
五歳の俺に容赦なく拳を振るい、何度も気絶したのを覚えている。
数えきれないほど気絶し、嘔吐し、骨折もした。
生きるのが嫌になっていく日々……。
それでも、父と戦い続け、気づいた時には、格段に強くなった。
自覚したのは、これから矛になる者たちと戦ったときだ。
傷を負うどころか、一度も攻撃を食らうことなく勝ち続けた。
その後も他の者たちと戦闘を繰り返したが、全ての攻撃を避け、全て圧勝した。
これらがあったからか先ほどの試験が始まった瞬間、周囲の目が一斉に俺を見た。
1000人以上の視線を浴び、俺は直感した。俺以外の全員が一斉に襲いかかって来るだろうと。
案の定、全員が俺を囲い込み、逃げ道を塞ぎ、次々に俺を襲う。
……だが、俺はそれら全てを返り討ちにした……
今まで父の動きを数えきれないほど目で追ってきた俺は、洞察力が極限まで鍛えられていた。
ほとんどの攻撃はスローモーションのように見え、避けるのは容易い。
さすがに、1000人以上との連戦は今までで一番疲れたと言ってもいいほど
体に負担がかかった。
それでも、俺はその瞬間が嬉しかった。
今までの苦労が、この結果に至り、Rに自分の力を証明できたと思ったからだ。
『自分が誇らしかった』
……
そう浮かれていた。
だが今、振り返ると、その自己満足に浸っていた自分を殴りたくなる。
結局、誰も、俺の努力を認めてはくれなかった。
必死に頑張ったところで、その成果を奪われるのなら、最初からやらなかった方がましだ。
この『神業』とやらも、俺にとってはただ、任務を一刻も早く終わらせ
『自由』を手に入れるための手段に過ぎないのだから。
しかし、今の状況では、敵の攻撃をまともに食らうことになる。
負傷を最小限で抑えられたから、これまでの任務も継続できたし、1000人以上の者を相手にすることができた。
それに筋力まで抑えられてしまっては、どうしようもない。
俺は肩の力を抜き、目を閉じた。心の中に渦巻く怒りを必死に抑え込もうとする。
ここまでするのか……。
『落ち着け、俺。まだ死んだわけではない。力は薬で抑えられただけだ。冷静になれ、ここで感情に任せて暴れたところで、力が戻るわけでもない。怒りを封じ込めろ』
深く息を吸って、吐いて、自分に言い聞かせる。
幼いころから積み上げてきた鍛錬の数々、苦しみ、痛み、失ったものさえも糧にして、ここまで鍛えたはずの力が、小さなカプセル一つで抑えられただけだ。死んでさえ居なければ、俺の『目的』は達成できる。
『『『……自由を手に入れる……』』』
任務を全て終え、組織から解放され、『平凡な人生を歩むこと』
それが俺の望み……
組織に歯向かうことは、目的から逸れるだけだ。受け入れろ……
俺はこれを天罰だと捉えた。
あの日、おばあちゃんに頼むと言われた千明を疑い、正体を暴こうとした罰。
自由を手に入れるために、圧倒的な力を手に入れた罪。
これらの罪を天罰として解釈し、自分を無理やり納得させた。
俺が必死に怒りを抑えている中、男はただ様子を見ているだけだった。
「試験が始まる前は、これよりも、もっと弱い薬を使って調整しようと計画だったんだ。けれど、君の実力を見た幹部はいずれ制御不能になると考え、この薬を使えと僕に命令してきたんだ。君を捕らえて確実に……とね」
俺は試験で全員を圧倒したのを覚えている。
それは間違いなく、積み上げてきた訓練の成果だ。
だが、Rはそれを許さなかった。
爆弾では安心できないのか。俺の力まで取る必要はないと思うが……。
待て……。
何かが引っかかる。
爆弾が取り付けられているのに、なぜ俺をわざわざ弱体化させる?
もし、俺が反乱を起こそうものなら、心臓に取り付けられている爆弾を起動すれば俺が何をしようと、無意味だ。
それなのに、薬を使って弱体化をさせてきた。そこまでする理由……。
俺は考え、一つの結論にたどり着いた。
このことを気づいてしまったことを知られてはならない。気づかれたら、それこそ『俺の最後』だ。慎重に事を進めよう。
力は失ったが、その代わりに重要な、『俺の目的に必要な情報が手に入った』。
それが、自由を手に入れるための鍵となるかもしれない。
だが、この情報が確実かどうかはわからない。
時を待つ。
その時のために、俺は力を再びつける。それを胸に刻んで、今はただ耐えるしかない。
「君に悪いことをしたと思っているが、僕も命令に逆らえない立場でね。理解してもらえると助かるよ」
男は同情を寄せるような目で俺を見てきた。
しかし、今の俺には『一つの可能性』を手に入った。気づかれないように、悲しみに暮れる小学四年生を振る舞い続ける。これが今の俺にとって最善の行動だ。
俺が下を向きながら情報を整理していると、男は薬を箱に戻し、色の異なるカプセルを取り出した。
「薬の効果は君が死ぬまで続く。直す方法は僕が持っているこの薬を飲むこと。もちろん、今の君には渡せない。これを渡すのは、Rが危機的状況に陥り、君の力がどうしても必要になった時だけだ。その時まで、制御された力で任務をこなしてほしい。これが組織の意向だよ」
俺は少し上を向き、薬を見た。
あれを飲めば治るのかと思った瞬間、力づくで奪おうと考えたが、すぐに冷静さを取り戻し、思いとどまった。
「……はい」
これでいい。ひたすらに落ち込め。そう自分に言い聞かせ続けた。
この件は、俺とRの幹部と、医者しか知らないらしい。
俺はこの日を一生忘れることはないだろう。
『絶望』と引き換えに『希望』を手に入れたこの日を。




