第十話 迷走の片道切符
「キョーイチ!」
なんてこった!
自分の叫び声がいつまでも脳内でこだまするうえ、ヤツが振り返ったときのニヤリとした笑顔が頭から離れない。
まったく夢とはいえ思い違いにもほどがある。
明日からようやく揃った新たなバンドメンバーで曲を合わせるというのにこれじゃ予習する気持ちになれやしない。
ボクはひとりぼやきながら着替えて顔を洗う。
最近は左手に歯ブラシを持って歯を磨くのがマイブームだ。ヘアブラシだってできるだけ左手で使うようにしている。利き手ではないほうの手を使うことによって「脳トレ」になるらしい。それで気が紛れたのか、さっきまでのモヤモヤが薄らいだように感じた。
今日の講義は五限目が休講なので、四限目もサボるとしようか。早めに部室へ行き練習しといたほうがいいだろう。大学まで歩きながらまだ講義を受ける前なのに軽音部のことで頭はいっぱいだった。正確にはあの悪夢が蘇ってこないように無理やり軽音部を意識したのだが。
軽音部の部室は防音がしっかりしている。とは言え全く音が漏れないわけではない。
ボクは重厚なドアに近づいただけでその気配がわかった。
事情はどうあれ誰しも考えることは同じらしい。
「アキラ遅いぞ。皆もうやってるわよ」
ドアから顔を覗かせるとメグが誇らしげな表情で声をかけてきた。
どいつもこいつも学生の本分を忘れているのか?ボクは自分のことを棚に上げて心の中でツッコむ。
いや待てよ。部活動だって学校教育の一環とされているはずだ。勝手な解釈で講義をおろそかにしている事実を正当化しようとした。
だがベースをケースから取り出して肩にかけながら皆の姿をみていると、そんな薄っぺらい言い訳なんか吹っ飛んだ。
真剣な眼差しで楽器に集中するその表情はだらだらと講義を受けるよりも間違いなく生き生きしている。それだけ情熱を傾けられる活動が無意味なわけがない。
「誰だよ。Z世代は覇気がない、なんて言ったのは」
ボクはそんなことを考えた。
新入部員のセイカは譜面で確認しながらキーボードの鍵盤をなぞっている。
メグはエレキギターのスイッチを入れずに、生音でカッティングをおさらいしていた。
おどろくべきはドラモリだ。キョーイチに聞いた破天荒なエピソードやパワフルなドラムソロからはとても想像できない。
ドラムセットを前にしてイヤホンで音源を聞きながら目を瞑ってイメトレしているではないか。
それぞれやる気がみなぎっている。
ボクも負けじとベースのチューニングを済ますと譜面を見ながらポイントをチェックした。
「よーし。じゃ、そろそろやろっかー。みんな集まってちょうだい」
メグが音頭を取るとメンバーの目線が集中する。
「まずはラジオ体操で整えましょ」
「ラジオ体操って?」
「あのラジオ体操?」
メグの導入が意外すぎて、ボクとセイカが同じことを聞いた。
「そう。あのラジオ体操よ。坂本龍一だって推奨しているんだから」
「へぇ、そうなんだ」
全員が感心した。アーティストから「教授」と呼ばれる坂本龍一がやっていたのならば、誰しも納得するしかないだろう。
メグがいつも持ち歩いているノートパソコンで教授バージョンの『ラジオ体操第一』を流す。
ピアノで奏でられるメロディーはゆったりとしていて包み込まれる感じがした。子どもの頃、夏休みに早起きしてやっていたラジオ体操と違って「ヨガ」のような気分になる。
「ね、整ったでしょう。じゃあ、一曲合わせてみよっか!」
メグが凜とした表情で告げると緊張感が走った。各自テキパキとスタンバイする。
曲の入りはキーボードからだ。セイカは繊細なアルペジオを乱れることなく弾きこなす。
ボクがベースでピッチとリズムをキープすれば、ドラムが絶妙に絡んでくる。
あのドラモリがこんなにバンドのバランスを考えて演奏するとは奇跡のようだ。
メグがギターを弾きながら歌い出す。バンドという車に乗って心地よさそうに歌う。
♪恋しちゃったんだ。たぶん、気づいてないでしょう……
サビのところでは歌と演奏の一体感が増して部室が揺れるかと思うほど響き渡る。
それはまるで、大きなサウンドの渦がゆったりと回っている感じだった。
やがてキーボードのアルペジオに続きドラムがエンディングパターンを叩くと、いっせいに「ジャン」とキメた。
メグは胸の高鳴りを抑えるように何度か深呼吸してから思いを吐き出す。
「いいじゃん。いいんじゃないかなぁ。よかったよ~」
メンバーに対して称賛する言葉を探すように連呼した。
何しろ喜びを分かち合いたかったのだろう。彼女の上気した顔からもそれが伝わって来た。そして誰もが同じ気持ちのはずだ。
バンドの絆を感じつつ、その後も何度か合わせてから充実感に浸りながら練習を終えた。
ドラモリとセイカのカップルは一緒に帰っていく。メグは「ちょっと寄るところがあるから」と先にいなくなった。もう「送ってくれるんでしょ」と誘われることはないのかもしれない。
ボクはひとり寂しく歩きながらも真剣に考えた。
今日のバンドの出来はよかったと思う。しかし曲のバリエーションを増やすにはやはりリードギターが必要なのではないかと。
しかしメグは迷い抜いた末に「新しい形」のバンドに踏み切ったのだ。ボクがそれを否定するようなことを言えるわけがない。
悶々としていたら、ふとキョーイチのことが気になった。
もう沖縄からはとっくに帰って来ているはずだけど何をしているのだろう?
彼が暮らす学生用アパートならば行ったことがある。近くなので覗いてみるか。
ボクは自宅に帰る道とは違う方向に歩いた……。
ピンポン♪
チャイムを鳴らすと返事をする気配がした。どうやら居るらしい。
ガチャリとドアが開く。
「おー、よく来たな」
「誰?」
キョーイチが顔を出すと、その後ろから声がした。
「あら。アキラじゃん」
メグだった。
ボクは目眩を覚えながらなんとか平静を装った。
「メグもいたんだ……」
口ぶりから狼狽えを見透かしたかのように彼女がすまなそうな顔でいう。
「沖縄から帰ったっていうから様子を見に来たの。黙っててごめんね」
「え、いえ、それはその」
「そんなとこ立ってないで、お前も上がれよ」
ボクがしどろもどろに返事していると、キョーイチが怪訝な顔で促す。
「いや、やめとくよ」
ボクはそう言うのがやっとだった。
とにかく踵を返してその場を去ることだけを考えた。
うなだれてトボトボ歩いていたらLINEに着信があった。
メグからだ。
『ごめんね。やっぱりキョーイチはわたしがいなけりゃダメみたい。こういうのを腐れ縁っていうのかもね』
彼女らしいメッセージに怒る気にもなれず苦笑いするしかない。
すると、また着信があった。
今度はキョーイチからだ。
『オレの気持ちだ。これでも見てくれ』
メッセージとともにライブ映像が貼られていた。
『Gimme Some Lovin'』(邦題『愛しておくれ』)
スペンサー・デイヴィス・グループによるオリジナルではなく、ブライアン・メイとエリオ・ペイスがコラボしたライブ映像だった。
歌詞の内容からして「オレにも少しは愛を与えてくれよ」ってことか。
クイーンのギタリストでもあるブライアン・メイとのコラボバージョンを選んだのは、バンドにギターは必要だと訴えるキョーイチのこだわりを表わしているのだろう。
ボクはそう深読みすると、「盤根錯節」(ばんこんさくせつ)という言葉を思い浮かべた。以前、ライトノベルを読んでいて覚えた言葉だ。「曲がりくねった根と、入り組んだ節」から転じて「こみいって処理に困難な事柄」を意味するという。まさに今、ボクが置かれた状況みたいだ。
もう「バンド」も「恋」もどうしてよいのかわからない。
ボクは感情の赴くまま駅に向かって歩く。
「大阪にでも行ってみるか」
そうつぶやきながら片道切符を買った。
第十話 迷走の片道切符 に登場する楽曲を(YouTubeリンクで)紹介。
♪恋しちゃったんだ。たぶん、気づいてないでしょう……
☆『CHE.R.RY』YUI
※小説の設定ではリードギターなしキーボードアリの編成になっています
https://youtu.be/RA0fyf5kWgs?si=KBfnkQHKIkRLD9nO
☆『Gimme Some Lovin' 』(邦題『愛しておくれ』)
スペンサー・デイヴィス・グループによるオリジナル曲をカバーしたもの。
エリオ・ペイス(ボーカル、ピアノ)とブライアン・メイ(ギター)がBBCラジオ2の人気番組「Weekend Wogan」で演奏。
https://youtu.be/PqCnEH2P_7o?si=u-oS1te22BRz6PUg




