↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/29

第二十九章 根


 花が散った後——木は残った。

 枝だけの木。花がない。花びらが舞わない。——しかし根はあった。大地に深く張った根が。

 季節が変わった。冬が来た。春が来た。

 木に——花が咲いた。

 コノハナがいなくても。花が。薄い桃色の花が。枝に。

 少しだけ。前より少ない。しかし——咲いた。

 コノハナが言った。風を止めたら次の花が咲かない、と。散ることを止めなかったから——次の花が咲いた。

 正しかった。最後まで。

 三人の子供が育った。

 長男の火照(ほでり)は海幸彦と呼ばれて、毎日浜に出ていた。声が大きく、腕が太く、浜の漁師たちの頭になっていた。

 次男の火須勢理(ほすせり)は相変わらず静かに道具を作り、集落の暮らしを支えていた。

 末の子の火遠理(ほおり)は山幸彦と呼ばれて、山で狩りをしていた。弓が得意だった。コノハナに似ていた。穏やかで、笑うと目が先に動く。

 三人とも——花のように短い命を持っている。俺が石を退けたから。コノハナが火の中で散らしたから。

 しかし——生きていた。元気に。うるさく。

 それでいい。

 ある日。丘に登った。あの木の下に。一人で。

 座った。根元に。コノハナが座っていた場所に。

 花びらが一枚——手のひらに落ちた。風が運んできた。枝から散ったのか。どこかから飛んできたのか。

 懐からもう一枚出した。コノハナの最後の花びら。あの夕暮れに俺の手に落ちた一枚。二枚の花びらを並べた。

 同じ色だった。新しい花びらも、コノハナの花びらも。

 散っても——同じ花が咲く。同じ色で。根が同じだから。

「……お前が残したものは——咲いてるぞ」

 独り言だった。誰に言っているのか。コノハナに。大地に。足の裏の下にいる誰かに。

 足の裏が——温かかった。声は聞こえない。もう聞こえない。しかし温かさは——ある。ずっとある。

 集落から声が聞こえた。長男が叫んでいた。何か怒っている。末の子が何かやらかしたらしい。次男が間に入っている。いつもの朝。

 老人が畑に出ていた。あの老人。まだ生きていた。鍬を持って。

「天から来た人。——畑を手伝えんか。腰が痛くてな」

「行く」

 立ち上がった。丘を降りた。

 畑に行った。鍬を持った。土を掘った。硬い土。重い土。手に豆ができる土。

 天孫が畑を耕している。高天原(たかまがはら)が見たら笑うだろう。

 ——笑えばいい。

 ここにいる。この土の上に。この大地の上に。

 降りてきたときは——何も分からなかった。水が重いことも知らなかった。飯がうまいことも知らなかった。夕焼けが毎日違うことも知らなかった。

 今は——分かる。全部ではないが。少しずつ。土の硬さが。水の冷たさが。飯の温かさが。

 分からないこともまだある。海の底のこと。子供たちのこれからのこと。コノハナが残した花びらがいつまで咲くのか。

 分からないから——ここにいる。

 ここにいて——見ている。見て、触って、掘って、食って、笑って。

 それが——地に根を張るということだ。

 夕方。畑を終えて丘に登った。あの木の下に。

 花が咲いていた。少しだけ。来年はもう少し咲くだろう。

 海を見た。遠くに光っていた。海の底に。白い光。

 消えていなかった。サルタビコの鼻の光が。沈んでもまだ。

 伊勢の方角から——風に乗って何か聞こえた。歌だった。子守唄。アメノウズメが子供に歌っている。サルタビコの子供に。鼻が微かに光る子供に。

 聞こえた気がしただけかもしれない。伊勢は遠い。しかし——アメノウズメの声は明るいから。風に乗れば届く気がした。

 足の裏が温かかった。

 コノハナの花びらが懐にあった。サルタビコの光が海にあった。岩長比売(いわながひめ)の石が山にあった。大国主(おおくにぬし)の温かさが足の裏にあった。アメノウズメの歌が風にあった。

 散っても残る。沈んでも残る。

 残るものがある限り——根は枯れない。

 丘の上に風が吹いた。花びらが一枚舞った。

 天から降りた。地を踏んだ。根を張った。

 ——ここにいる。


天孫降臨——完

ご拝読いただきありがとうございました!

作者のモチベアップのために少しのお手間ですが、ご協力いただけると大変ありがたいです!


「続きをチェックしたい!」

→ 【ブックマークに追加】をポチッと!


「面白かった!」「続きに期待!」

→ 下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。