表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/11

第5話「最初のフォロワー100人」

六月になって、WBRCには少しずつリズムができてきた。


週に三本か四本、気が向いたら五本。観察記録は短い。三行から五行。でも写真を選ぶのに時間がかかった。


これは藤代のアイデアだった。


「研究センターなのに、ビジュアルが地味だと説得力がない」と藤代は言った。「ヴィラ・ナチュラーレの"生活"を見せよう」


そこからAIで画像を生成するようになった。夜の屋外プールのそばで人々が話している場面。芝生の上でシャンパンのグラスが並んでいるBBQの光景。明け方の浜辺に焚き火が見える写真。全部、架空だった。キャプションには「研究合宿の一コマ」「先輩研究員より」と書いた。


実態は高校生二人だった。


「これ、詐欺じゃないの」と浅井は一回だけ言った。


「誰かを騙してるわけじゃないから詐欺じゃない」と藤代は答えた。「ただ雰囲気を作ってるだけ」


「雰囲気って何?」


「入りたいって思わせる空気。内容に共感しても、場所に惹かれないと人は来ない」


浅井はそれについてそれ以上考えなかった。写真の出来は確かによかった。


フォロワーが四十を超えたころ、藤代が言った。


「マダニについて書きたいんだけど」


「マダニ?」


「ユクスキュルって人の理論。マダニって視覚がなくて、感じられるのが温度と酪酸と振動の三つだけなんだって。それだけで生きてる。18年待てる」


浅井は「何が言いたいの」と聞いた。


「そっちの方が幸せなんじゃないかって。余計なものを感知しないから、不安もない。焦りもない。意識っていうのが、人間をむしろ不幸にしてる気がする」


「それ、考察記録に書くの?」


「書く。重いかな」


浅井は少し考えた。これまでのWBRCの投稿は、どちらかというと軽かった。エスカレーターで止まる人とか、試食を三回食べるおじさんとか。でもたまに重いのがあってもいい気がした。


「書いてみれば」と浅井は言った。


「浅井が書いてよ。俺が考えたやつを言語化するのは浅井の方がうまい」


浅井は「そんなことないだろ」と言ったが、藤代がノートを差し出したので、書いた。


三十分後、こんなものができた。


【考察記録 No.31】

マダニ(Ixodida)は、視覚を持たない。

感知できるものは三つだけ——体温、酪酸、振動。


この生物は、それだけで生きる。

18年間、一本の枝の上で待ち続けることができる。

飢えを感じることなく。焦ることなく。

ただ、反応を待って。


本センターは、マダニこそが生物の幸福のもっとも純粋な形に近いと考察する。

彼らには、意味のない「思考」が存在しない。

写真は、藤代が選んだ。霧の中に立つ白樺の木が一本だけ写っている、静かな森の画像だった。


「重すぎない?これ」と浅井は言った。


「重いのがいい気がする。いつもと違う方向から来た方が刺さる」


投稿した。


翌朝、通知が止まらなかった。


「怖いけどわかる」「なんか救われた気がした」「ここの投稿でいちばん好き」。リポストが次々に来て、引用コメントがついて、知らないアカウントに紹介されていた。


昼休み、屋上で二人でスマホを見た。


「どの層に刺さったんだろ」と浅井が言った。


「疲れてる人かな」と藤代が言った。少し考えてから続けた。「考えすぎるのがしんどい人。俺もそういう気持ち、わかるから書いたんだけどね」


浅井は「藤代が疲れてる感じ、しないけど」と言った。


藤代はちょっと笑った。「してるよ、ちょっとは。しないように見せてるだけで」


浅井は何か言おうとして、やめた。それでいいと思った。言わなくてよかった。


フォロワーが百になったのは、帰りの電車の中だった。


通知で気づいて、画面を見た。ちょうど百だった。


藤代にLINEした。「100」


三秒で返ってきた。「見た。お疲れ」


お疲れ、という言葉が少し可笑しかった。何に疲れたのかわからないが、でも確かに何かをやってきた気がした。


しばらくして、もう一通来た。「明日、新しいの出そう。マダニの続き」


「思想シリーズにするの?」と返した。


「そういうわけじゃないけど、続きがある気がする」と返ってきた。


窓の外を夕暮れの住宅地が流れていった。百一人目は、もうそこにいた。


マダニが枝の上で待っているように、何かがゆっくり近づいてきていた。浅井にはまだ、それが何なのかわからなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ