歌臼大学連続吸血事件 第二十七話
導爆線に火花が走るように、張り巡らされた肉の蔦に呪詛の炎が広がっていく。上下左右前後、あらゆる方角から迫る触手は、まるで龍の鬣のように炎を宿していた。今までの炎の杖と違い、厄介な追尾性は無いが、その数だけは逃げ惑うセリーナを圧倒していた。この呪物を生み出すために犠牲になった者たちの絶望と呪詛が、この地獄絵図を作り出したのだろう。セリーナの目に恐怖はなく、ただ嫌悪感と侮蔑だけが渦巻いていた。
「腰抜けめ! 傀儡に任せて私を嬲る気か!」
「世の女が皆、アナタのように肉弾戦を得意とする野蛮なゴリラばかりと思わない事ね」
「野蛮なゴリラァ!?」
許せない。ゴリラは温和な森の賢者なのに。その賢さと温和な性格のせいでストレスに弱く、すぐにお腹を下すかわいそうな生き物なのに。怒り心頭なセリーナだが、その実、内心は冷静だった。肉弾戦が得意でないのは、恐らく本当だろう。武道の心得があるのは、立ち姿を見れば分かるが、それと同じぐらい肉体強化の拙さが目立つ。恐らくは高速戦闘に対応できるほどの戦闘経験が無いのだろう。そうセリーナは結論付けた。
だが、それを態々口にするメリットは何だ? 野蛮なゴリラと口汚く挑発してくるのは何故だ? ただ単に目の前の女の口と性格が悪いだけか?
「(いや、それだけじゃないでしょうよ、コレは)」
単純に考えれば、セリーナが懐に入れば、霧花程度の使い手なら一瞬で制圧できるだろう。それが分かっていて、敢えて挑発するなど、罠があるとアピールしているようなものだ。
「(踏み込んでこない…………思ったよりも冷静ね)」
中々踏み込んでこないセリーナに、霧花は目を細める。このまま中距離での攻防が続けば、セリーナはジリ貧だ。いずれ仕掛けてくるとは分かっていても、募る焦りは自分でもどうしようも無かった。未だに目を覚まさない摩耶、敵に流し込まれた呪詛がどんな悪さをするか分からない以上、一分一秒でも早く彼女を病院へ運ばなければならない。
それに敵は一人ではないのだ。もう一人の男が姿を現さないのも気がかりだった。もしも既に潜伏しているなら、マティアスの不意打ち一つで形成は逆転しかねない。
先のコープス・スライム三体は、大きく傷を負い、その呪詛を使い果たしていた。だが、そこに流れる血は本物だ。先に仕掛けたのは霧花だった。河川敷に散らばる血だまりは、その多くに血液操作の魔術によってセリーナの呪詛が流れ込んでいる。敵を攻撃するという意志も、一種の呪いだ。だからこそ、自分とセリーナが全く同じ血だまりを踏んだその瞬間を、霧花は狙っていたのだ。
「甘い!!」
だが、それはギリギリで躱される。霧花は痛みに左の半身を手で押さえた。
「見たところっ! その紋様、呪詛封じの類ね?」
「だったら!!」
なんだと、声を絞る霧花。思ったよりも痛みが強く、声が掠れる。逆に、燃え盛る血液が鞭のようにしなり、霧花を追い立てる。それを防ぐのに、多くの触手を使い、失った。
「呪具は、使い手を呪うから呪具なの、それを安易に克服しようとするからそうなるのよ。自業自得ってやつ?」
霧花の半身は、霧花自身が呪詛の炎を使おうとすれば、それに合わせて燃えるように痛んだ。事実、その黒紋は、霧花が呪詛を使おうと魔力を練れば練るほど、燃えるような輝きを放ち、その身を焼いた。痛みなら良い、それなら我慢すれば済む話だ。現に霧花は問題なく術の行使ができている。今のはたまたま、気が緩んだだけだ。それよりも、この光のせいで、彼女の攻撃の意思が敵に読み取られてしまう。この事の方が遥かに問題だった。今の仕掛けも、血液を介した遠隔攻撃は、敵にとって意識の外だった事は確か。この黒紋が無ければ決まっていた筈の攻撃だった。
「ふぅーーっ」
痛みに耐えるように、大きく息を吐く霧花。セリーナの言葉は概ね正しかった。遠城家はその性質上、自らだけで賄いきれない分の呪詛を呪具を用いて補ってきた。逆流する呪詛で患い、命を落とす者も多かったと聞く。それを防ぐための黒紋。正式な名を黒紋鎖皮と言い、その身に受ける呪いを表面で受け止め、貯蔵する刻印術式である。
「確かにそうね…………正直、この術式はウチの家の秘伝とは相性が悪いのよ」
呪いを扱う以上は、それを祓う訳にもいかず、だからと言って呪術師のように呪いの扱いに卓越するでもなく、ただ痛みと共に呪いを溜め込むだけの魔術。確かに安易だ。舐め腐ってるとも言える。そう霧花は内心で苦笑する。何より最悪なのは、呪詛の炎が、この刻印に反応する事だ。目下霧花を苦しめているのは、呪詛を溜め込む刻印と、呪詛を燃やす炎のこの取り合わせの悪さである。
「それでも、コレが無ければ今頃私は死んでいたでしょうね」
冷や汗を流しながら、霧花はフラリと立ち上がる。先程までの険しい表情が嘘のように、その表情はスッキリと晴れ渡っていた。腹を括ったと言う顔だ。懐からガサツに取り出した大量の呪符、掴んだ本人にすら何枚あるか分からないそれを口に咥えると、最後に三枚の呪符を取り出した。
ボンと何かが膨張し破裂する音が響き、中空に現れた肉の蕾を慣れた作業と言わんばかりに切り裂いて、その中に右腕を突っ込んだ。流石にソレはマズいと、セリーナが焦って地面に撒き散らされた無数の血を持ち上げる。土に吸われた分は、土ごと。地面の上に血だまりを作っていた分は流麗な刃に。なりふり構わず、全方位から霧花へ向かって殺到するが、それらは容易く背骨の茨に阻まれる。
そして、それらは次の瞬間には呪詛の炎によって蒸発させられてしまう。コープス・スライムが撒き散らした地面の血は、セリーナにとっては切り札のようなもの。それが、最も予測しやすく、対策しやすいタイミングで切られた。その事実にほくそ笑む霧花。その顔貌は、かつての麗しさは見る影もなく、黒紋によって覆いつくされていた。
「最後通牒よ…………今すぐ国に帰りなさい」
両手に三本ずつナイフを取り、計六体の屍肉の泥を従える。今までの攻撃の圧が二倍になるとすれば、セリーナにとっては悪夢のような光景だった。
「偉そうに、この死に損ないがあっ!!」
その怒声と同時に、セリーナはその手のハルバードをくるりと回し、その刃を自らの首にかけた。押し寄せる肉の蔦は、もはや津波の如き炎の壁となって迫りくる。
セリーナ・クランツの首が、ざっくりと切り裂かれ、そこから大量の血液が噴き出した。そのまま、出来上がった血だまりにセリーナは力なく倒れ伏す。まるで、深い沼に飛び込んだかのように、セリーナの肉体は血の海に沈んでいく。それは、比喩ではなく、文字通り。
無数の触手が、津波の如く押し寄せて、全てを呑み込んだ河川敷。そこに残されたのは、術者である霧花だけだった。その全身は隈なく黒く禍々しい紋様に覆われ、その貯蔵タンクは限界を迎えようとしていた。霧花は急いでナイフを六本全て投げ捨て、コープス・スライムを呪符に収納し直す。黒紋鎖皮が満たされたという事は、これよりは呪詛の一滴でさえ、致命の一撃となるという事。呪詛の塊であるコープス・スライムなど扱っている場合では無かった。
「動かないで」
例え、自らの血液に潜航し、血液操作で炎の津波の隙間をすり抜けてきたセリーナ・クランツが、殺気を剥き出しにして背後に立っているとしても…………である。
「プハァ…………」
セリーナの要求通り、霧花は一寸も動かず両手を挙げた。が、その口に咥えていたものは、彼女が吹き出した瞬間に、ふわりと中空に紙の華を咲かせた。セリーナは大きく目を見開き、直後にその顔は恐怖に染まった。霧花の全身の黒紋が、強く輝き出したからだ。
その瞬間、夜の河川敷は真昼間のように明るく照らされ。その直後、雷の音を何倍にもしたような爆発音が、危穂郊外の住宅地に響き渡った。
◆◆◆
伊月摩耶が目を覚ましたのは真っ暗闇の中だった。ただ、空の満月と、左上、住宅街の方から漏れる光だけが光源となって、微かに河川敷を照らしている。誰かが傍に立っているのが見える。最初は霧花だと思ったが、どうにも彼女にしては背が低いように見えた。
なんだか焦げ臭いなと、摩耶は思った。まるで、あたり一面が焦土と化したかのような…………そんな臭いだ。
「…………どういうつもりよ?」
傍に立つ誰かが、問い詰めるような声を上げる。その先に、なんだか恐ろしい炎の魔人のような姿をした人物が居た。彼女は、その魔人の真意を問うていた。
「ずっと不思議だった。だって、アナタここまで私と戦えるなら、呪詛を流して盾にするなんて迂遠なやり方、必要ないでしょ?」
その言葉を聞いて、摩耶はようやく事態を悟った。驚きに飛び起きて、魔人から自分を守るようにして立つ金髪の背中を凝視する。それは、摩耶を殺しにやってきた海外の魔術師、セリーナ・クランツの背だった。あたりは焦土と化し、炎の魔人のように全身に光る紋様を浮かべた親友が、かなり大規模な攻撃魔術を放った事が想像できる。そして、その余波から自分を守ったのがセリーナである事も…………
「私は…………セリーナ・クランツ、形而上資産保全総局の特務騎士。公務に私情は挟まない。この女は、たまたま私の後ろに倒れていただけ」
「苦しい言い訳ね…………本当に摩耶を殺す気があるなら、そのためにはまず私を殺す必要があると言うのなら来なさい」
今の私は無防備よ。そう言って笑う霧花を、セリーナは黙って睨み付けていた。立っているだけでも精一杯という風情の霧花、。コープス・スライムも打ち止め、今の攻撃で全身の黒紋が励起し、想像を絶する痛みに苛まれている事だろう。恐らく、まともに術式を編めるほどの集中力は残っていない。今までのような、高度な魔術戦は不可能だと判断して良いだろう。
ゆっくりと、ゆっくりと、セリーナは歩き出す。右脚は依然として使い物にならない。なんとかギプスで補強し、ぎこちないながら歩く事はできているが、痛みに耐えて走るだけの気力は残っていなかった。やがて、セリーナは霧花と目と鼻の先の距離まで辿り着いた。先の爆発をありったけの血の防壁で防いだセリーナに、もうハルバードを作るだけの血液も残っておらず、辛うじて長剣らしきものを右手に持って振り上げる。
振り下ろされる斬撃を躱すだけの体力は霧花にも残っていなかった。たたらを踏み、スカートの先を剣が切り裂いた。辛うじて攻撃は避けたが、セリーナの二撃目を避けるには、体勢が悪すぎた。振り下ろした角度から、真っすぐ突き上げる長剣が、霧花の左胸を貫いた。
「剣が……燃えて?」
愕然と呟くセリーナの目の前で、霧花の胸から生えた真紅の長剣が燃え尽きた。その次の瞬間、嫌な予感と共に状態を逸らしたセリーナの眼前を、霧花の靴の踵が通り過ぎる。後ろ回し蹴り、そのあまりの技のキレに、焦って飛び退くセリーナ。それを追撃するように無数の火球が殺到する。その全てが、簡易な属性弾だったため、辛うじて回避する事はできた。だが、無様に体勢を崩し、隙を晒したのは今度はセリーナの方だった。
セリーナですら息を呑むスピードで、霧花が踏み込んだ。これまでの戦いを通して、彼女にそこまでの体術があったようには思えず、セリーナの脳内は混乱に包まれた。鳩尾に向かって深く付き込まれた拳、呪詛の炎を纏った強力な一撃が、一瞬だがセリーナの意識を刈り取った。
「アナタの言う通り、黒紋鎖皮の本質は確かに呪詛封じよ。けれど、こんな痛い思いをしてまで、非効率な呪力貯蔵に終始するのには訳があるって事ぐらい想像するべきだったのよ、アナタは」
そう吐き捨てる霧花の全身を覆う輝く紋様。それら全てが呪詛の炎によって励起する事で、身体強化と属性付与の魔方陣となる。限界ギリギリまで貯蔵した呪詛と、全身を焼く炎でもって初めて成立するその術式は、両者の近接戦能力を逆転させるだけの威力があった。
「こ……の…………!!」
口の端から血を垂らし、忌々しげに声を吐くセリーナ。地に膝をつき、立ち上がる事もままならない彼女の目の前に、拳大の火球を突き付ける霧花。今降参すれば命までは取らないと言う意味だろう。勿論、それで折れるセリーナなら、ここまで話は拗れない。
黙って目を瞑るセリーナ、何かを叫ぶ摩耶。今夜の戦いはここに決着する。
結果は、DMCの勝ちだった。
振り切られた鋼鉄の腕、マティアス謹製のモーター・ゴーレムが霧花の側頭部を強打し、吹き飛ばした。倒れ伏す霧花に、泣き叫ぶ摩耶の声は届かない。
「遅い!」
「すみません、モーター・ゴーレムを取りに戻ってたら遅くなりました」
もうとっくに殺されていると思いましたけど、意外とやりますねクランツ卿。平然とした顔でそんな事を言う後輩に、セリーナは額に青筋を立てながら唾を吐く。
「吸血鬼の女は…………? 殺しますか?」
「………………良い。呪いをかけたから。そう遠くないうちに死ぬと思う」
それは、セリーナなりの手心だったのかもしれない。あるいは、消耗の激しさに、一刻も早く拠点に帰る事を優先したのかもしれない。摩耶も霧花も命を取られる事は無く、二人が立ち去った数分後、河川敷に数台のパトカーと、救急車一台が乗り付けた。
それから数時間後の危穂駅に一人の男が降り立った。十二月六日の午前六時二十五分。遅すぎる帰還だった。




