歌臼大学連続吸血事件 第二十五話
遠城家の魔術の家としての歴史は浅く、初代は明治末期に突然変異的に魔術の才を持って生まれたその代の嫡男であった。それまでの遠城家とは横浜の港で海運を営む一商人でしか無かったが、それが西国屈指の霊媒の一族である鷹峰に娘を送り出し、対等な関係を築くほどの大家へと伸し上がれた理由は誰の目にも明白だった。
魔術界の口さがない者たちは口を揃えて遠城の家をこう呼んだ。
”殺し”の遠城────と。
◆◆◆
戦場は、車が辛うじてすれ違える程度の狭い道路。霧花と摩耶は分断されたと言っても、走れば一秒で辿り着ける距離。だが、それ以上にブロック塀の血痕から飛び出したセリーナは摩耶に近く、瞬時に成形されたハルバードはそれだけで摩耶の首を捉えられる距離だった。
残っている狼が形を崩し、炎の鴉が大群となって空を舞う。だが、不可解な事に、今まさに摩耶を手に掛けようというセリーナではなく、その全てが上空のドローン・ゴーレムへと殺到していく。当然それでは摩耶を守れない。
「「吹き飛べ!!」」
叫んだのは二人同時だった。一人は今まさに摩耶を手に掛けようと冷徹にハルバードを突き出すセリーナ。そしてもう一人は霧花だった。直後、突き出したハルバードが爆発し、セリーナだけが吹き飛ばされる。摩耶の身体には、事前に霧花が仕掛けたカウンター術式が仕込まれてたのだ。
呪詛の炎は人間の持つ悪意だけを糧に燃え盛る。襲撃者の攻撃の意思に感応し爆裂する防衛魔術は遠城家の十八番だった。
それだけではない、霧花の足元から無数の炎の蛇が湧き上がり、セリーナ目掛けて殺到する。その全てが、セリーナの回避機動に合わせて進路を変更し、食らいつくまで離れないホーミング弾だった。先の爆発で操る血液を失ったセリーナは、たまらずマティアスの操るゴーレムの影へと退避した。
攻撃の意思を持って戦場に立った。その時点で負けているも同然だと誰かが言った。この圧倒的な対人戦闘能力。それが遠城家が短い期間で日本魔術界に地位を築けた所以だった。
「あの炎、なにか仕掛けがありますね。ただの炎属性魔術にしては挙動が妙です」
「みたいね……見透かされてるみたいで鼻につくわね。防がれたくない攻撃は防がれるし、来てほしくないところから攻撃が来るわ」
気が付けば、上空のドローンはほぼ全てが撃墜された後だった。コレ以上は徒に消耗するだけだと、マティアスはドローン・ゴーレムを下げさせた。挟撃の形は崩され、制空権も奪い返された。だが、それでも依然として有利なのは二人の側だった。
「なら、意志の介在しない攻撃なら効くかもしれませんね?」
「私も試したい事がある」
「摩耶…………立てる?」
「ごめん腰抜けた…………もう良いから、私の事は」
「動けないなら良いわ、そこでジッとしていて」
先に駆け出したのはマティアスの操る大型のゴーレムだった。ゴーレムは元の伝承では人造生命であり、意志も命もある存在だ。だが、魔術においては自律して稼働するだけの意思を持たない木偶人形でしかない。いや、だからこそこの場においては何よりも霧花の脅威となる。
属性弾、自らの攻撃の意思を燃料とした呪詛の炎。咄嗟に張った弾幕、その全てを弾き飛ばして突進してくる巨体に、流石の霧花も焦りに表情を歪めた。
大きな握り拳が道路を粉砕し、辛うじて回避した霧花を吹き飛ばした。
「霧花……!!」
流石にドンパチが過ぎたか、周辺の家屋に明かりが点り始めている。道路の真ん中、数m吹き飛ばされた霧花は冷静に戦況を分析していた。転がった勢いのまま立ち上がった自分に、友人が安堵の息を吐くのを聞き流しながら術式を組む。魔方陣の投影によって行使される現代魔術は癖が無く、誰にでも一定の効果を齎す事が利点と言われている。この状況での霧花の弱点をある程度はカバーしてくれる筈だ。
術式が完成した瞬間、彼女の手元から熱線が走る。射出した炎の槍がその貫通力でもってゴーレムの硬い装甲を粉砕したのだ。だが、やはり遠城家の呪詛の炎に比べて使い慣れてない上に、発動が遅い。ゴーレム一体を倒すのに、三秒ほどを使った。その影に隠れてセリーナが再び摩耶に接近するのに十分な時間だ。
「遅い!!」
再び霧花が炎の狼を放つ。それは間違いなく悪意を持って摩耶へと接近するセリーナへと殺到する…………筈だった。
「ガンド!」
叫んだセリーナの右手から、黒いオーラのようなものが噴き出すと、瞬く間に狼の姿を取って飛び出した。セリーナを襲う筈だった炎の狼は、黒い狼へと突進し。互いの爪をぶつけ、大きな火柱をあげて両者消滅した。その隙にセリーナは黒く染まった右手で摩耶の頭部を掴み地面へと叩きつけた。鈍い悲鳴をあげる友人に霧花は咄嗟に魔力を励起し…………
「止まれ…………!!」
制止するセリーナの声に硬直する。地面に引き倒された摩耶は、セリーナがその気になれば霧花の攻撃が届くより先に命を絶たれたとしても不思議ではない状況だった。そして、その光景に気を取られた霧花の背中に四発ほどの石の礫が着弾する。血飛沫が舞い、倒れ伏す彼女の姿を摩耶は絶望の表情で見ていた。
「狼……鴉……それから蛇、じゃなくて杖ね。本当に分かりやすい、お前の使う魔術の源流は北欧の魔女が使う呪い。北欧の魔術師を相手にバレないと思っていたのか、それとも自らの扱う魔術の由来を知らなかったか、どちらにしてもお粗末ね」
「という事は、この方の魔術は、呪いを炎に変換する。あるいは呪いを燃料とした特殊な炎でしょうか?」
「私達みたいに、誰かを殺してやろうなんて人間は、それだけで呪いを溜め込むものだし? 本当に厄介な魔術ね」
セリーナの講じた対策は単純だ。敵が呪いを燃やす魔術師ならば、より大きな呪詛を囮に使えば良い。彼女の使ったガンドこそまさに、遠城家が参考とした北欧の呪術そのものだった。とはいえ、それは一瞬の隙を作る以上の事が望める策ではなかった。相手が呪いを使うとなれば、霧花の方は自らの呪詛を燃料とするよりも、直接相手の呪詛を燃やす術式を使ってくるだろう。突破されるまでに数秒とかからないのは実際に霧花の魔術を見た今なら容易に想像できる事だった。
「どうに、この吸血鬼を殺すより先にお前を殺さなければ、無事では済みそうに無いようね炎使い」
「やめて! 私なら殺して良いから、その娘に手を出さないで!!」
「お友達はそう言ってるわよ?」
どうする? このまま逃げ帰っても良いのよ? そう問いかけてくる敵を、霧花は静かに睨み付けていた。膝をつき、もうまともに立ち上がる事ができない体でも、霧花は摩耶を諦めるつもりは無いようだった。
「良い眼ね、仕方ないわ! アナタが悪いのよ炎使い。私だってこんな残酷な事はしたくなかったのに!」
そう嬉しそうに叫ぶセリーナは、その真っ黒に染まった右手で摩耶の顔を更に強く掴んだ。悲鳴をあげる友人に、霧花がその名を叫ぶ。炎の槍が霧花を中心に六本浮かび上がると、前方に四本の熱線が走る。咄嗟に庇ったマティアスとゴーレムが辛うじてその攻撃を防ぐが、後方に射出された二本の槍は最後のドローン・ゴーレム二機を撃墜せしめた。
「危ないじゃない? 今のがお友達に当たってたらどうするつもり?」
「嫌なら彼女を放しなさい。アナタ達が諦めると言うのなら、命までは取らないわ」
「随分と強気ですね、ご心配しなくとも、今のクランツ卿の施術でチェックメイトです」
その言葉と同時に、セリーナは摩耶の顔から手を放す。気が付けば、彼女の真っ黒に染まっていた右手は、その白い肌を取り戻していた。その代わりに、摩耶の顔には何やら黒い文様が浮かび上がっていた。まるで蛇がのたくった痕のような、特殊な文字が全身に巡っている。それが呪詛である事は呪いを扱う魔術師なら誰にでも分かる事だった。
「失礼ながら、アナタの術式には幾つかの弱点がありますね?」
「………………」
「まず一つ、呪いがなければ、十分な火力を出すのに苦労する事」
「………………だったら? この場所にはアナタ達のばら撒いた呪いで満ちている。ここまで戦いやすいのは初めてなくらい」
「それです。もう一つの弱点。アナタの炎はより強い呪いに引き寄せられる性質がある」
「だから、私は今、この小娘に呪詛を打ち込んだ。この場の誰よりも強い呪いを持つように」
その意味が分からない霧花ではなかった。自らが使う魔術の弱点ぐらいは把握していた。つまり、今この瞬間、霧花が行使する全ての呪詛の炎は敵ではなく、自らの友人、伊月摩耶だけを焼き焦がす炎となったのだ。
「今度はこっちの番ね? 失せろ炎使い。この吸血鬼を諦めると言うのなら、命までは取らないであげる」
◆◆◆
時は遡って、摩耶を魔導警察本部に送り届けた直後の事。カフェスペースは好きに使って良いと告げられた霧花は、兄から預かったジュラルミンケースをテーブルの上に置いて唸っていた。このケースは、昔から遠城家で使われている、呪物を入れて持ち運ぶときに使う特注のケースだった。対呪力コーティングによって、内部からも外部からも呪術的に隔絶された箱。それに入っているという事は、中身は危険な呪物であろう事は容易に想像がつく。
いざという時に使えという事は、これは武器として用いる事ができるものの筈である。ぶっつけ本番でコレを開けるよりは、事前に中身を確認しておいた方が良い。とはいえ、やはり開けるのには勇気がいった。未熟な己に、扱いきれる物なのか。
とはいえ、今ここで開けられないものなら、土壇場で開けてもしょうがないのだ。ケースを睨んで数十分、霧花は大きく息を吐いて、ようやくそのロックに手をかけた。
中に入っていたのは十枚の呪符と、兄からの手紙だった。その呪符の正体と、使い道の書かれた兄の手紙を読んだ霧花は………………
◆◆◆
「(できればコレは使いたくなかった。あまりに人道に悖るもの、でも…………)」
霧花は服の下の、いつもの呪符ホルダーとは別の場所から呪符を取り出した。その呪符自体はなんて事は無い、ただの収納魔術が使われた呪符、これを使う事で、呪符内部の空間から様々なものを取り出す事ができる。それを振りかぶった一瞬で、呪符は光に包まれる、簡易な硬化魔術は、柔らかな紙製の呪符を一瞬で鋭利な投擲物へと変貌させる。
コレを渡された時には、自分の家を呪った。怒った。その不道徳にあの場で燃やしてしまおうかとすら思った。そこまで思考を進めて、霧花は思わず笑ってしまった。自嘲の笑みと言うべきか。自己嫌悪で吐きそうになる。それでもあの時の自分は、なんであれ、その手に取った力を手放す事ができなかったのだから。
投げつけたのは計三枚、渡された呪符の三分の一にも満たないものだったが。
「この状況を覆すには、それで十分ね」
飛来する何かに、セリーナは咄嗟に自らの血液を刃に変えて打ち払う。しかし、その行動に意味はない。破けた呪符は、その内容物を遠慮なく吐き出す。それはなんとも言えない色をした、粘菌のような何かだった。茶色か白か、いや淡いオレンジ、判然としないその色、日本ではその色を伝統的に肌色と呼んだ。
住宅街のど真ん中に、怨嗟の声が満ちる。現れた何かは、生きているのかも死んでいるのかも分からないような動きで、その肉の身体を増殖させ、ビチャビチャと路地を覆いつくそうとしていた。
マティアスは運が良かった。咄嗟の退避が間に合って、ブロック塀の上から、更に民家の屋根と逃げ果せた。だが、一瞬のうちに、肉の海が溢れ出し、セリーナは手だか触手だか分からない何かに絡めとられ、生き埋めになった。
上空から見れば、それが不格好な人体の寄せ集めだという事がよく分かる。自分が人間になるために、どういう形をとれば良いのか忘れた怪物は、ただ手当たり次第に増えていくだけ。
「フレッシュ・ゴーレム…………いえ、これは死霊の類ですか」
悍ましい。そう呟くマティアスを置いて、霧花、摩耶、そしてセリーナを呑み込んだコープス・スライムは住宅街を真っすぐに北へ北へ向かっていく。まるで粘菌が迷路を解くように、虱潰しに道を埋め尽くして。
そしてスライムが通った痕には、腐臭と腐り落ちた肉だけが遺された。その上に降り立ったマティアスは、どうしたものかと頭を抱えた。あの規模の呪詛の塊、あの中に居る限り、霧花の攻撃から逃れる術はない。今すぐ追いかけるべきだろうか?
しかし…………
「うーん、ちょっと無理かも? どうしましょうかクランツ卿」
そう問いかけても、応えてくれる頼もしい上司はもう居なかった。




