歌臼大学連続吸血事件 第二十四話
摩耶の護送は一般車両に偽装した公用車にて行われ、首都高の混雑を避けるため比較的交通量の少ない深夜を狙って合同庁舎を出た。中に乗り込んでいるのは魔導警察所属の運転手と、護衛の魔術師二名と、護送対象の伊月摩耶。護衛の片方は、摩耶の友人である遠城霧花であった。
「まったく、トイレぐらい出る前にしておくものでしょう?」
「ごめん、緊張しちゃって」
首都高の高架下、危穂の西にある小さなPAに車が停まり、中から若い女が二人出てくる。言うまでもなく摩耶と霧花だった。
「やっぱ良いっスねぇ! 女子大生ってのは!」
運転席の男は、彼女等の背中が遠ざかるのを待ってから、鼻の下を伸ばしたような声でそう言った。
「魔導警察で仕事してると、普段は厳つい女ばっかっスから…………なんて言うかなぁ、フレッシュな色気って言うんですかね!」
そんな彼をゴミを見るような目で見た助手席の魔術師は、長い前髪をグシャグシャと掻いてから、窓を開けて煙草に火を付けた。くたびれた風貌のせいでパッと見では年齢が分からないが、彼女も一応は若い女である。男の振る舞いに腹が立つのは当然の事だった。未熟ゆえに本部で留守番をしていた彼女としては、真後ろに座っていたバケモノをそんな目で見れる彼の神経が理解できなかった。
血の臭いこそしなかったが、遠城家の令嬢が纏う空気の重さ、息苦しさは呪いを扱う魔術師特有のものだった。同僚の遠城斉雅でも、あそこまでの気迫を纏う事は無かった。恐らくは、何かしら強力な呪物を所持しているのだろうが…………ルームミラー越しに見えた霧花の済ました顔は、彼女にとっては恐怖以外の何物でもなかった。
「それにしても、所長には散々脅されましたけど、奴さん本当に来るんですかねぇ?」
「来るね」
女は煙草の吸殻を窓の外へ投げ捨ててからそう言った。そのバッドマナーを咎める者はこの無人のPAには一人も居なかった。不思議な事に、ここには停車している車の姿すら無かった。それだけ、今の夜の東京が静まり返っているという事かも知れない。運転手の男は断言する護衛の女の声を聴きながら、そんな事を考えていた。
「坂崎」
運転手の男の名前を呼ぶ声、その緊迫感に知らずに男の背筋が伸びた。彼女の注意喚起の理由は彼にも分かった。この不自然に人のいないPAに、下りの入り口から入ってくる車の姿がミラーに映ったためだ。とにかく目を引く赤いスポーツカー。それが少し離れたところで停車するのと同時に、護衛の女はダッシュボードの下部から拳銃を取り出した。
気の遠くなるような高く透き通った金属音が鳴り響く。何もかもが遅かった。上空から落下してきた何者かは、スポーツカーに気を取られた二人の乗る車を上部から左右に真っ二つに切り裂いていた。爆炎に包まれる車、降り立つ少女は火の粉を払って悠々と歩く。その手には真っ赤なハルバードがあった。
「まったく、手間取らせてくれるわ……」
「クランツ卿」
眉間に皴を寄せ、どこか無理をするような強張った声のセリーナにマティアスが咎めるような声音で呼びかける。彼の視界の先、セリーナの背後に影が一つ。炎を背に躍りかかる魔術師の顔は見えないが、それが魔導警察の用意した護衛である事は明らかだった。今の爆発で生きながらえている事に驚きはあったが、セリーナの動きが止まったのはほんの数瞬だけだった。
炸裂する発砲音、超近接射撃は瞬きの間に三発の銃弾を吐き出し、その全てがセリーナの小柄な躯体を捉えていた。そのままいけば脆い人間の体など呆気なく吹き飛んでミンチになるだろう。この間合いでは回避も迎撃も間に合わない。まずは一人と、護衛の女は口の端を持ち上げ、その直後にその表情を凍らせた。
真っ赤なハルバードは瞬時に解け、真っ赤な流体となって飛来する銃弾全てを弾き飛ばした。それが、金属製の武器などではなく、本来なら液体である筈の血をハルバードの形に押し固めただけのものだったと女が理解した頃には、血液は体に纏わりつき、鋼鉄の如き頑強な拘束具と化していた。
「ぎゃあああああああああああ!!!」
バキバキと目を瞑りたくなるような異音が鳴り響く。まるで巨人にでも掴まれたように、女の全身の骨が粉々になっていく。命までは取らない、取る意味もない。だが、間違いなく無力化する必要がある。情け容赦のないセリーナの魔術行使に、マティアスは嫌そうに目を逸らした。
「クランツ卿」
「なに? まだ何かあるの?」
「確認もせずに攻撃するのはやめてください」
「……私が攻撃する車を間違えたとでも?」
そんな事は無い、あの車は間違いなく伊月摩耶の乗っていた目標の車だ。だが…………
「そんな事は…………ただ、標的は逃がしたようです。後部座席に誰も座っていませんでした」
「………………しまった」
つまり、殺したと思っていた標的は、今は厠に立っていて…………ここには居ないという事。流石にセリーナの猪頭にも事態は飲み込めた。自らの間抜けな失態に、セリーナの端正な顔が焦りで歪む。
ガシャン!
その音に振り返れば、何者かが連れたってフェンスを越えてPAから逃げていくところが見えた。
「追うぞアムスベルク!」
反応は早く、彼女の言葉に男は短く頷くや、車のトランクを開けた。そこから続々と飛び立っていくドローンゴーレムが、二人の逃走者を追跡すべく、危穂郊外の空へと消えていった。
◆◆◆
高速道路の高架下に若い女二人の息を切らす声が木霊する。
「何なのあれ! あれがDナントカってヤツなの!?」
「そう! アナタが万が一にも吸血鬼かもしれない、ただそれだけで殺しにやって来た──────悪人よ」
霧花は吐き捨て、摩耶の手を引いて高架下から出てくる。がむしゃらに走って逃げるが、そこは危穂郊外の住宅街、なりふり構わない追手を相手に、人の多いこの場所を走る事に焦りを隠しきれない様子の霧花。その横顔を、摩耶はジッと見詰めていた。
「霧花……」
「安心して、摩耶は私が守るわ」
「良いから…………放して」
摩耶からは、その言葉を聞いた霧花の表情は見えなかった。ただ、前を走る彼女が徐々にペースを緩めていくのを感じ、何故か心が竦んだ。ついには立ち止まり、それでも手を放そうとしない友人に、摩耶は心を奮い立たせて呟いた。
「私を殺す事ってさ………………そんな悪い事かな」
「何を……」
霧花は振り向かない。摩耶の顔を、彼女の表情を見るのが怖かったからだ。だが、摩耶はそんな霧花の肩を無遠慮に掴んだ。
「車に居た二人は……?」
「………………」
無事ではない。そんな事は見ていたのだから分かっている。魔術師の女は分からないが、運転手の男は恐らく…………
「危穂の警察署の人たちは? ニュースでは怪我人は数人って言ってたけど……その中からは、病院で亡くなった人も居るかも」
話し始めたら、堰を切ったように摩耶の口は止まらない。
「私が居たからでしょ!? 先輩が死んだのも、霧花に今こうして迷惑をかけているのも!」
「それは魔物や、道理の分からない……」
「でも、私がさっさと死んでれば、こんな事にはならなかった」
摩耶はついに、霧花の手を振り払う。震える足で後退り、震える声で「そうでしょ?」と問う。振り返った霧花が見たのは、もうとっくの昔に心の挫けた、どうしようもない一般人の顔だった。
「霧花はきっと、そんな事ないって言うんだろうね。でも、もう私こんなの無理。お願いだから、私をここに置いて霧花だけで行って」
もうすぐ近くまでドローンゴーレムの羽音が聞こえてきていた。
「一つだけ答えてくれるかしら摩耶」
時間は無い。手短に済ませろと言外に滲ませる霧花に、摩耶は短く頷いて答えた。
「アナタ、私がこのままだと死ぬと思っているようね」
「…………違うの?」
「さぁ……?」
「さぁ……って」
摩耶にとっては不思議な事に、霧花は笑っていた。この追い詰められた状況で、侮られた事に腹を立てたような口ぶりで、空を見上げて笑っていたのだ。
「確かな事が言える相手ではないのよ。それでも、負けるつもりはない。こうして、アナタの手を取る以上はその覚悟は済ませてきたの」
「霧花…………」
再び、自らの手を持つ友人の手の温かさに、摩耶は恐怖した。頼もしい女だ。素晴らしい友人だ。そう思えば思うほど、それを損なう恐怖が増していく。俯いた摩耶に、霧花は大きな溜息を吐いて、その頬をもう片方の手で撫でた。
「アナタの事は、私が格好良く助けてあげるから。その眼で見ておく事ね」
そんなと摩耶が言い募ろうとするも、霧花は彼女の唇を、静かにしろと人差し指で塞いだ。既に上空には煩わしい羽音が二、三台分集まっていた。ゆっくりと振り返る霧花、その視線の先、住宅街の四辻の先、右の角から微かな音が聞こえてくる。それは、徐々に大きくなっていき、数秒もたたずズシンズシンと重々しい足音へと変わった。
カーブミラーに映る異形。まるでアスファルトを人型に押し込めたような怪物、それがゆっくりと曲がり角から首を出す。白い眼光は、人工物である事を隠しもしない宝石製だった。それが、欧州の古典的なゴーレムに用いられる手法である事を霧花は知っていた。
「摩耶! 私の後ろに!!」
叫ぶと同時に、霧花は懐から二枚の呪符を取り出し、二頭の炎の狼を顕現させる。
「霧花! 上!!」
摩耶の喚起の声と同時に飛び退くと、その場所に石の礫が降り注ぐ。上空に陣取ったドローンが魔方陣を展開し、地属性の属性弾を射出していた。それを、霧花も属性弾の射出で応戦し、一息に三台がスクラップと化す。とはいえ、それでも弾幕の圧力は下がらない。気が付けば、上空には十台以上のドローンが集まってきていた。
「こんな街中で撃ち合い? 正気じゃないわ」
そんな霧花の呟きに哄笑が答えた。回転する真紅の円盤が背後から殺到し、摩耶を襲う。それを咄嗟に狼が庇うが、弾き飛ばされた円盤が液体状となりブロック塀の側面に付着し、そこから女が飛び出す事までは予測できなかった。
「正気じゃない? 吸血鬼を庇う魔術師に言われたくは無いわよ」
それが今朝、電話口で名乗りもせずに摩耶の引き渡しを迫った声である事に、霧花はすぐに気づいた。
襲い掛かるセリーナ・クランツ、ゴーレムの背後に立つのはマティアス・アムスベルク。それに対峙するは、無力な一般人の伊月摩耶、そしてその友人である魔術師の遠城霧花。
鷹峰空理が東京に帰ってくる、およそ五時間前の接敵だった。




