歌臼大学連続吸血事件 第二十三話
交代の時間だと言って現場を離れた斉雅が、タクシーから降りた二人を近隣のカフェへと案内したのは、霧花達が到着してから三十分ほどが経ってからの事だった。
カフェは現在、魔導警察関係者の休憩所のようになっており、強面集団に囲まれて店主は肩身が狭そうに食器を拭いていた。
その中にあって尚、遠城斉雅の姿は際立って威圧的に見えた。
見上げるような筋肉の鎧、ゴツゴツとした岩のような顔貌だけでも恐ろしいが、何より左頬を中心に首まで広がる独特な傷跡が見るものに嫌悪感と威圧感を与えていた。
「コレが気になるかいお嬢さん!」
「ヒッ」
思わず不躾な視線を向けてしまった摩耶に、斉雅は自らの頬を指差してそう言った。別に怒っている訳ではない。彼としても、そのような目で見られる事には慣れているし、そんな事を気にするほど繊細な性格でもない。ただ、如何せん声が大きい。そのせいで摩耶を怯えさせてしまっている。正面に座る妹の鋭い視線に肩を竦め、少し泣きそうな顔になりながら男は謝った。
「すまない、咎めている訳ではないんだ。この傷跡はウチの家の人間にはよくあるもので、まぁ魔術の反動のようなものだから気にしなくて良いと言いたかったんだ」
申し訳なさそうに弁明した男は、一転得意げな表情で”それに”と続けた。
「イカすだろ?」
そう笑う彼に、摩耶はようやく一息ついて、頭を下げた。
「それで、あれはどういう状況なの? お兄様」
甘いホットココアを口に運び、それから仕切り直しと言わんばかりに現状を尋ねる霧花。それに重く頷いた斉雅は厚い装甲服の下から少し手間取りながら携帯を取り出した。その画面には、見慣れないアプリストアが表示されており、なんの設定もされてないデフォルトアイコンをタップし、アプリのインストール画面へと遷移する。
「こういう噂を聞いた事は無いか? 誰でも超能力を使えるようになるアプリがあるって」
そのアプリの名はE-Ma、これでイーマと呼ぶらしかった。
「これをインストールして超能力とやらを手に入れた連中による組織犯罪、それがまぁ近頃話題の闇バイトってヤツらしいんだが…………どうやらウチの地下がその標的になったらしいんだな! これが」
「あんな場所を襲って何になるのよ」
「分からん! なんにせよ今のウチは避難先としてはあまり上手くない。俺はこうなってすぐお前に連絡するべきだって言ったんだけどな、まぁ許してやってくれよ。久しぶりにお前を一目見れて親父も喜んでたからさ!」
ガハハと笑う斉雅に、霧花は頭を抱える。色々と言いたい事はあるが、大きく予定が狂った事は間違いない。どこから見ていたかは知らないが、娘を一目見たいなんて言うくだらない親心のせいで、友人が危険にさらされた事実は中々に受け入れ難かった。
「私達追われてるのよ、悪いけれど道楽に付き合っている時間は無いの」
「分かってるって! だから、ちゃんと避難先は俺が手配しておいた!」
どうせ口答えしてくるだろうと振り上げた手を机に叩きつける寸前で止めた霧花。斉雅の言葉はそれだけ彼女にとっては予想外の朗報だった。まさか、目の前のガサツな兄が、そこまで気が利くなんてと、驚きを隠しきれない様子に、斉雅自身苦笑して頬を掻いた。
「お前がどんな厄介事に巻き込まれているかは聞いている。そう言う時こそ、我々魔導警察を頼りなさい」
本部に話は通してある。そう言ってテーブルの上に代金を置いた兄に、霧花はただ頭を下げて礼を言う。
「それじゃ! 俺はそろそろ戻らないとだ!」
そう言って伝票を持って立ち上がる斉雅は、そのまま颯爽と立ち去ろうとして…………
「そうだそうだ、忘れるところだった」
振り返る。
「少しここで待っていてくれるか? 手配していたものが、後から届く筈なんだ」
どういう事か、何が届くのか、何も分からず首を傾げる妹に斉雅は。
「本当は持ち出し厳禁なんだけどな! まぁ、妹のためだ。いざという時に使いなさい」
なんて、説明になってない説明だけ残して走って店を出ていってしまった。
「言いたい事だけ言って、やりたい事だけやって…………本当、あの人は相変わらずだわ」
「まぁまぁ、良いお兄さんじゃん?」
疲れた声で眉間を揉む友人に、摩耶はどこか微笑ましそうにそう言って………………それから。
「私のために、色んな人が手を貸してくれるんだね」
カフェの道に面して大きな窓ガラスから外を眺めた。その言葉は、どこか底の抜けた器のように、空虚な響きを孕んでカフェのざわめきに消えていった。
「あの、遠城様でしょうか?」
そう言って、店員が何かを持ってきたのは、二人が待ちぼうけの末に少し早めの昼食を済ませてしまった後の事だった。上部にドローンが取り付けられたままのジュラルミンケースの表面には遠城家を表す炎と十字架のエンブレムが塗装されていた。
「開けないの?」
「そんな暇無いでしょ。ほら、行くわよ」
ドローンから取り外したケースをそのまま左手に、霧花は席を立った。昼食分の会計を済ませ、呼びつけたタクシーで魔導警察の本部がある霞が関の警察総合庁舎へ向かった。
◆◆◆
警察庁のある総合庁舎は地上十四階、地下一階、高さ約七十九mの高層ビルだ。それを監視するべく放たれた使い魔は容赦なく撃ち落されるため、仕方なしにその場所を直接張っていたマティアスは、タクシーで乗り付けた若い女二人組の姿を見て目を細めた。すぐに対象の追跡にあたっていた上司へと連絡する彼を後目に、二人組は庁舎の中へと入っていった。
案内通りにエレベーターに入り、そこにある、存在しない十九階のボタンを押し、それから六・三の順でボタンを押していく。
一九六三年、第一回東京オリンピックを来年に控えて、国際魔導テロ対策を名目に魔導警察が設立された。それが、この数字が魔導警察内で暗黙的に符号として用いられるようになった理由とされている。扉が閉まると、浮遊感もなく数秒で扉は再び開いた。
そこはビルの内部という事を忘れそうになる、緑豊かな野原だった。空は青く、真冬とは思えない暖かな陽光と微風が頬を打ち、ようやくここが尋常な空間ではないと霧花は察した。エレベーターは昭和の古い駅舎のようなこじんまりとした掘っ立て小屋の中にあり、そこから出て丘の上へと延びる道を歩いていくと、そこには二階建てながら素朴な雰囲気のコンクリート製の建物、魔導警察本部庁舎が佇んでいた。
裏手の森からは小鳥の声が響き、小川のせせらぎが聞こえてくる。
「すっごぉ、なにここ?」
「ダンジョン……というには、魔力が穏やかすぎるけれど。似たような仕組みの特殊空間の中みたいね、ここは」
あまりに異様な光景に、そう冷静に語る霧花さえ、目の前の建物に入るのを躊躇していた。ここは本当に公的機関であるところの魔導警察の本拠地なのか。あまりに、公務員の勤め先と言うには現実離れした光景だった。何かの間違いで、まるで想定していない異界に迷い込んでしまったのではないか。そんな不安が彼女の肝を冷やした。
それでも、こうして入り口で固まっていてもしょうがないと、彼女はおずおずと自動ドアの前に踏み出した。どこにでもあるセンサー型のドアは、無機質に彼女等を迎え入れ、吹き抜けがやけに開放的な雰囲気のエントランスが顔を見せる。
入ってすぐに受付のカウンター、そこから右奥に待合室兼食堂のカフェスペースがあった。受付のカウンターとカフェのカウンターは共通となっているらしく、食器を拭いていたエプロン姿の中年男が霧花達を見つけるや食器を置いて向かってくる。エプロンの裾で手を拭きながらやってくるその姿はやたらと様になっているが、彼が魔術師である事を霧花は直感的に察していた。
「どうも、遠城君から話は聞いているよ。妹さんの霧花さんと、お友達の伊月さんだね?」
「遠城霧花です」
「い、伊月摩耶です」
頭を下げる二人に目尻を下げた男は幾つかの書類を取り出し、少し迷った末に摩耶に渡した。
「僕は名乗るほどの者じゃないけど、まぁここの責任者だよ。この書類に今日の日付と名前だけ書いてくれるかな?」
摩耶は彼の言葉に素直に頷いて、軽く断ってから奥のカフェスペースに向かう。
「お世話になります」
「いやいや、そんな頭を下げなくても良いんだ。こちらもコレが仕事なもんでね…………それにしてもブランボルグの吸血鬼アレルギーにも困ったものだ」
「摩耶は……これからどうなるんですか?」
霧花の言葉尻が揺れる。摩耶の手前、今まで気丈に振る舞ってはいたが、彼女はまだ経験の浅い魔術師見習いだ。空理の不在、頼れない警察、助けを求めた先の実家は戦場となり…………
さぞ心細かっただろうと男は目を伏せ、彼女の心情を想像した。だが、安易に安心しろなどと言える状況ではなかった。
「取り敢えずこちらで彼女を保護するというのは確定だ。放っておいて良い案件じゃないのは確かだからね」
「なら……」
安心したような声を漏らす霧花に胸が痛んだ。とにかく、今は時期が悪い。
「だけど、ここに置いておくことはできない。うちの戦力はE-Ma関連事案で出払っているし…………もしもDMCがここに攻めてくれば、その被害を被るのは魔導警察だけじゃ済まない」
この場所を守り切れるほどの戦力を引き戻せれば良いが、SNSの犯行声明は遠城家だけでなく、他にも複数の場所を襲撃地点として名指ししている。今までの犯行からすれば、あまりに唐突で性急な展開に魔導警察も付いていくので精一杯、本部の守りに割ける人材は無かった。
「………………」
霧花の纏う空気が再び張り詰める。文句を言われるだろうと覚悟していた筈の魔導警察本部所長は、鋭い視線で続きを促す彼女に苦笑する。立派なお嬢さんだと感服する気持ちと、ちょっと怖いなと怯える気持ちを押し込んで、努めて冷静に決定事項を告げる。
「魔導警察には全国各地に対魔物用の前哨基地がある。魔導テロ対策チームの要請で全国から戦力を集めてはいるが、幾つか戦力に余剰のある支部が近場にもあってね…………伊月摩耶はそこに護送される事になると思う。叶うなら、君の力も借りたい」
「それで、あの娘が安心して眠る事ができるなら。私はいくらでも協力します。どうか、摩耶をお願いします」
「ご協力感謝する!」
警察官らしい敬礼と大きな声に、カフェで書類を書いていた摩耶が振り返る。なんでもないと彼女に腕を振った霧花は、改めて目の前の男に頭を下げた。




