歌臼大学連続吸血事件 第十八話
暗闇の中を走る。暗視の魔術によって辛うじて月の光を捉える。帳の向こうから次々と現れる木々を避け、気配を頼りに標的を追う。
「そっち行ったぞ!」
「分かってるって!!」
鷹峰家の所有地は広大だ。本家の周りの山は全てが鷹峰家の管轄下にあり、時折、その山中で武器を持った少年少女が目撃される。演習のために放たれた魔物を追い、それを仕留めるまで本家の敷居は踏ませない。実戦形式の訓練として、毎年夏と冬の時期に一回ずつ行われる定期試験のようなものだった。
それ自体は土地持ちの魔術の名家にはよくある事だった。当然のように安全に配慮がなされている訳ではなく、訓練には不測の事態が伴う。
「あれ……?」
最初に声をあげたのは、指示を受けて先行していた少女だった。あと少しで牙を抜かれた狐型の魔物に追いつくというところで、その姿を見失ったためだ。
相手は多少現実離れした身体能力を持ってはいたが、特殊な能力、魔術などは無い至ってイージーな手合い。空を飛んだり、姿を暗ますような幻術を用いては来ないのだから、突如として姿を消すなどあり得ない。想定していない事だった。
「おい……」
後から合流した少年の底冷えのするような声に、額に青筋を浮き上がらせながら少女は首を振った。
「どこにも居ない」
「おかしいだろ、どこに目を付けてたらあんな雑魚見失うってんだ」
「うるさいな、ガタガタ言ってないで、一緒に探してよ」
風が吹いている。あたりには魔物特有の邪悪な気配が漂うのみ、臭いは風に流され、木の葉の揺れる音が物音を遮る…………これでは敵の痕跡を追う事も難しい。
「警戒お願い」
「は? おいおい、ちょっと勘弁しろよ」
短気な少女は、そんな状態で一秒だって待つという事を知らないらしく、腰のポーチから呪符を取り出した。松明の魔術は、夜間行動には必須の技能だったが、夜間戦闘においては敵に自らの位置を知らせかねない危険な技だった。
炎の明かりが周囲を照らす。暗視の魔術だけでは判然としなかった周囲の状況、とりわけ地面に散らばる色が鮮明になる。
「ッ!?」
少年が息を呑む。その場所はちょっとした広場となっており、膝丈ほどの草地が半径数mほどを埋め尽くしていて、そこにバケツを引っ繰り返したような鮮血がばら撒かれていた。目に痛い赤の中に、ちらほらと動物の臓物らしき新鮮な輝きが混じる。彼等にとっては慣れた光景だが、それを齎した何かの存在は無視できるものではなかった。何故なら、その散らばる死体とも言えないような死体は、元は彼等の追っていた狐型の魔物の物のようだったからだ。
その次の瞬間、呪符に火を灯していた少女が、何かに弾かれたように吹き飛んだ。透明の何かが、まるで彼女の腰に腕を回し、運び出したかのような動き。少年は、それが彼女の操る使い魔の仕業だと知っていた。何か、彼女に対処できない危険が迫った時、アレは彼女を掴んで退避するようプログラムされている。それは、彼女に向かって何かが迫っていたという事を示していた。
風の吹く音に紛れて、風を切る音が聞こえてくる。咄嗟にジャンプした少年のつま先を掠って、何かが背後の樹木を切断した。不可視の斬撃? 否。
「オ、オシャレな尻尾じゃねえか……」
それは、小型の肉食恐竜のような姿をしていた。黒い体表に、青い炎を纏い、その尾はスラリと細長くワイヤーのようになっていて、先端には血濡れのナイフのようなものがくっ付いてる。恐らくはアレが斬撃の正体だろうと当たりを付け、少年は苦無を構える。野良の魔物が演習場に紛れ込む事はよくある事だ。それに対処できてこそ、鷹峰の魔術師だと、大人たちは常々言うが……
「コレは…………無理だろ」
さっきの回避は完全なるまぐれ。少年の目は、今まさにブンブンと振り回され、円を描く魔物の尾の刃を追い切れずにいた。術で咄嗟に壁を作っても、あのワイヤーの長さでは回り込まれてお陀仏だ。今の彼の手札では、逃げる事もできるかどうか。だというのに、相棒は使い魔に連れられてちゃっかり逃げ果せているのが、何より腹立たしかった。
「終わりか……」
少年の見切りは早かった。自分は同年代の中では上の方の実力と自負していたが、だからこそ、自らの限界の近さは十分以上に理解していた。いずれ来る天井に、思ったよりも早く突き当たった事実に泣きたくなりはしたが、苦無を握る手は既に生きる事を放棄していた。
空を仰ぐ少年の耳に、強くなり続ける風音がこだまする。だがそれも、じきに終わりが来る。彼自身が、思いもしなかった形で────
「後ろ!!」
逃げ出したはずの相棒の声が聞こえる。その意味を理解するよりも先に体は動いていた。飛び退った身体。襟首を何かに掴まれている感覚がする。それが、透明な使い魔の手によるものだと少年は知っていた。その耳に、連続した炸裂音が聞こえてきた。まるで、中国の方の馬鹿みたいに火薬を使う花火だな……と少年は独り言ちた。空を仰げば、そこには流星の如く飛来するオレンジのミサイル。火花を纏う、総計百二十八本のナイフがあった。飛び掛かる恐竜の目の前に散らばったそれ等は、瞬く間に無数の炸裂音を響かせ、四方八方に飛び散った。ナイフとナイフが触れるとそこが爆発し、更に推進力を得たナイフがあらぬ方向へと飛んでいく、そんな連鎖が数秒続き、その暴威は広場に居た魔物を穴だらけにしても止まらなかった。
「なんて威力の魔術だよ……」
その圧倒的な光景を前に、少年と、少年を引き上げた少女は呆然と立ち尽くす。この魔術の行使者は、と視界を巡らせれば、それは案外近くにあった。林を抜けて、五百mほどの山道に、白い車が停めてある。そのヘッドライトの前に立ち、腰に手を当てて伸びをする男。夜だと言うのに、目深に野球帽を被った。
鷹峰空理である。
◆◆◆
色々と荷物をまとめ、家に書置きを残し、駅から出ている新幹線に飛び乗り、乗り換え、車移動と繰り返すうちに、すっかり夜は更けていた。俺を出迎えてくれた十歳ほどの少年と少女の二人組は、俺がこの家の次期当主だと察するや、急いで本家へと使い魔を飛ばした。
夜遅くという事もあり歓迎は控えめで、数十人の下男下女が門の脇にズラリと並んだぐらいで、夕食などは無かった。俺自身、ここに来るまでで済ませていたので、それは助かった。
長旅の疲れを癒せなんて言われて広すぎる本家の大浴場にぶち込まれ、湯気を漂わせながら廊下を歩く。
向かう先は現当主、我が愛しの父上の執務室だ。実家とは言え、勝手に帰ってきて勝手に居つく訳にもいかない。挨拶は大事だ。とはいえ、あまり話したい相手ではない。大きく溜息を吐いてから、洋間の扉を扉を叩く。
「入れ」
久しぶりに聞く声に反吐が出る。俺は何も言わずに部屋に入った。
「随分と急だな空理」
「少し用事ができたんだよ」
中で待ち受けていたのは臙脂のベストを着たロマンスグレーの長身の男だった。鷹のような目付きの鷹峰壮語は、口元に不器用な笑みを浮かべて俺にソファに掛けるように目線で促した。俺はそれを無視して、執務机の向かいに立った。
「事前に連絡ぐらいしろ」
「したらどうなる? 一族総出でお出迎えか?」
そのまま座敷牢にでも放り込まれそうな話だ。死んでもごめんだな。
「どれだけ集めても、お前の相手では無いさ」
「……うちの婚約者殿があの指輪を返してくれるならな」
俺と本家のパワーバランスは今のところはそんな感じだ。これに政治力が加わると基本勝ち目がない。まるで、俺の無力を確かめるように霊翔環の未所持を言及させる父。そのねちっこさに溜息が出る。
「俺の部屋はまだ使えるな?」
「部屋はそのままにしてある」
「少しの間世話になる。心配しなくても、すぐに出ていくよ」
俺の嫌味に、父は口元を歪め、喉を鳴らした。少し違和感がある。父はこういう時、眉間に皴を寄せてくだらない小言を吐くようなつまらない男だった。それが随分と機嫌が良い。その違和感に、俺の方がつまらない顔をする。何か良い事でもあったのだろう。どうせロクな事ではない。
「しかしな空理、爺様の葬儀にも出なかったお前が、いったいどういう用件でここに来たんだ?」
「説明する必要はないな。アンタに何か協力して欲しい訳でもない、放っておいてくれたらそれで良いよ」
「この愚息が……まぁ良い、ならば好きにしろ」
「……………………」
…………愚息か。まぁ、この人からすれば、そうなんだろうな。いや、世間的に見ても、俺はデキの悪い放蕩息子か。部屋を出るのに、挨拶はしなかった。気心の知れた仲だからという訳ではない。当然だが、俺はそういう関係でも礼は失さない男だ。
ただ単に、家の人間に礼を尽くす事が、耐えられないだけだ。
笑ってしまう。まるでガキだ。そんな自嘲も、夜に紛れ眠気の中に沈んでいく。今日はもう遅い。烏丸の家に行くのは明日にしておくかと頷いて、俺は久しぶりの我が家を歩き、自分の部屋へ向かった。
◆◆◆
その日の俺は寝起きが悪かった。原因は明白で、俺にとってこの場所が、危穂の我が家以上に居心地の悪い場所だったからである。とにかく、部屋の周りをうろつく監視や、隙を見て布団に潜りこんで来ようとするハニトラ要員の女達が俺の安眠を阻害するのだから、寝ようにも寝られないのだ。
本家のパワーバランスは相変わらず不安定で、祖父が居るうちはマシだった一族内の争いが、激化しているように感じられた。その最たる要因である俺に、文句を言う筋合いは無いのかもしれないが…………
何にせよ、何人かを見せしめに血祭にあげたから、今夜からは静かになるだろう。
微睡みの中、そんな事を考えながら天井を眺める。視界の端に、誰かが居るのが見えた。見慣れた女の見慣れない顔が、まるで慈母のような微笑みを湛えて、俺の寝顔を見下ろしていた。
「…………紗実か」
「おはよう、空理」
それは、数年ぶりに会う、同い年の妹だった。
上体を起こし、布団の上に座る。部屋は荒れに荒れ放題、漂う血の臭いに、俺も紗実も眉を顰めて笑う。彼女は、少し見ないうちに姿が変わっていた。鳶色の髪をサイドテールにした彼女の右眼は、物々しい黒い眼帯に覆われていた。
「どうしたんだ、その眼……」
「そっちこそ、その手足はどうしたの」
まぁ、魔術師をしていたら、よくある事か。肩を竦めて色々な苦労話を呑み込む妹に、俺も苦笑して頷いた。
「ごはんどうする? 今作らせてるけど、この部屋に運ばせる?」
「こんなところで飯が食えるか」
俺は彼女を部屋から追い出し、着替えを済ませると腰に刀を差して居間へ向かう。家族はとうに朝食を済ませたらしく、居間には誰も人が居ない。ただ、和風の内装に似つかわしくない執事のような恰好をした男が佇んでいるのみだ。顔の前に札を貼られたそれは、人ではないが、俺の知り合いでもあった。
「よう兄貴…………元気してたか?」
俺の一つ上の兄だったもの、今は死人として、鷹峰本家の人間に仕えるもの。家族の死体をこのように扱う事に何も感じないこの家に、今更ながら嫌気が差す。兄は俺の挨拶には何も返さず、部屋を出ていき、食膳を持って帰って来た。
「いただきます」
肉の一欠けもない精進料理に苦笑いして、俺は手を合わせた。久しぶりに帰って来た実家の朝を、俺はある程度平和に過ごす事ができた。
「今日はどうするの?」
そもそも、何をしに帰ってきたの? そう問う紗実に俺は空になった味噌汁の器を置いて頷いた。
「烏丸の家に行ってくる。あそこの魔術に用があるんだ」
俺は、この家に帰ってきて初めて、その目的を告げた。




