歌臼大学連続吸血事件 第十七話
伊月摩耶の暮らすアパートには変わった同居人(?)が居る。大学の先輩で、同棲中の彼氏の浮気が発覚し、八つ裂きにしたため同居人を探していたところに摩耶が手を挙げたのが同居の切っ掛けである。
「押忍! おはようございます! センパイ!」
タオルケットを引き剝がし、大声でその同居人(?)の起床を促す。現在時刻は十時半少し前、朝に弱い摩耶だが、今日の同居人はそれ以上に寝起きが悪いようだった。
「うみゃ~ん………………あと一時間………………」
「ほら、起きてくださいセンパイ! ご飯できてますよ!」
溌剌な声でそう言った摩耶は、彼女を抱きかかえてリビングへ向かう。北向きの窓から優しい光が差し込む部屋に、摩耶の手から逃れた真っ黒毛玉が駆け出す。その先には、陶器の皿があり、その上には猫用のペットフードが空けてあった。
摩耶はこたつにシリアルというアンマッチな光景を前に手を合わせ「いただきます」と呟いた。それに応じるようにセンパイも鳴き声を一つ。それは、どこからどう見ても、大学の先輩と呼ぶべき生き物ではなかった。というか……
「今日もバッチリ猫ですねぇセンパイ」
猫だった。
「こらイツキ、誰が猫だって?」
「でもセンパイ、最近鏡を見て溜息吐かなくなったじゃないですかぁ」
ヘラヘラとここ半年ほどの習慣を揶揄する後輩に、彼女はドッと溜息を吐く。この猫のような姿をした女子大生の名前は橘莉羅。”猫になる呪い”という一風変わった魔物被害を受けた事でSNSでバズッた事もある、ちょっとした有名人…………いや有名猫である。
「ところでイツキ、例の見張りはまだ居るの?」
「どうですかねぇ……別に気にしなくても良いんじゃないですか? 警察さんもお仕事ですし、私たちを守ってくれてるんですから」
「バカ! アンタ警察に疑われてるのよ? 犯人かもしれないって」
「えぇ~? 私犯人じゃないですよぅ」
そんな二人の生活に最近変化があった。向かいのアパートに、警察の人員が配置され、彼女達を監視するようになった事だ。勿論、それは宿主候補である摩耶をDMCから守るためであったが。その宿主がどうのという話を警察が説明しないため、莉羅を警戒させてしまっていた。
「まっ、気にしたからどうなるってもんでも無いでしょ」
あっけらかんとした後輩に、莉羅は少し腹を立てたような声音で、みゃうみゃうと摩耶の膝を叩いた。その愛らしさに気持ち悪い笑みを浮かべながらテレビのリモコンを操作し電源を入れる。時間的にあまり若者受けする番組はやっていないが、幾つかチャンネルを変えていくと美味しそうな料理を紹介している番組が目に留まる。
どうせ午前の講義には間に合わないのだし、もう少しゆっくりしても良いか。そんなダメ大学生の思考が一致し、二人はそのままぼんやりとその番組を眺めていた。最近若者の間で流行っているという、渋谷のちょっとオシャレなお店。何故だか自分たちにはトンと縁が無いなと笑い合っていると。そのまま番組が終わり、流れるようにニュース番組が始まった。
最近流行っている魔導犯罪。魔術の素養のない筈の若者を中心に、SNS等で集まったメンバーで行われる強盗や要人襲撃や破壊工作などで、所謂闇バイトとして五年ほど前から徐々に広まっているもの。最近はこの被害が増加傾向にあり昨夜も……と、ニュースキャスターが理路整然と読み上げるニュースの内容に、急速に興味が醒めた二人はそそくさと大学へ行く準備を始めた。
二人が大学に着いたのは昼前だった。摩耶はいつものように身体のラインが出る薄着と、それに不似合いな大きなスポーツバッグというコーデ。十二月に入りすっかり冷え込んだ東京では少しばかり肌寒いが、オシャレのためにはそれぐらい我慢するのが彼女だった。それに対し、当然のように全裸なお猫さまは、摩耶のスポーツバッグの中にスッポリ収まってリラックスしていた。これが最近の彼女のマイブームなのだ。
「げっ、休講……」
そして、摩耶は来て早々にこの場所に来た意義を見失った。休講の情報はwebで確認できるのだから、完全に彼女の怠慢である。後輩のおっちょこちょいに呆れたような溜息を吐いて莉羅がバッグから顔を出す。
「やる事ないなら、私に付き合ってよ。うちの研究室、今人居ないから助手探してたし」
そんな先輩からの提案に、面倒臭そうな顔で頷いた摩耶。せっかくできた時間を遊びに使ってしまいたい気持ちはあったが、院に進む予定の摩耶にとっては先輩院生の莉羅の研究を手伝う事はそれなりに勉強になる筈だった。
大学の構内はどこもある程度は人が居る。ただ単に大学でぐだぐだするのが目的の人間も居れば、何やらサークル活動や部活動に精を出す者も居る。しかし、中庭を通り抜けて、目的の研究室がある棟へ向かうための小道に入ると、冬枯れの欅が道脇に並ぶ、どこか寂しい雰囲気の道に出る。そこには例外的に人が居なかった。
ここは葉の繁る季節は薄暗く、学生の間では幽霊が出るなどの噂の広がる心霊スポット。例えこの先に用事があったとしても、少し大回りする人間も少なくない、そんな場所だった。先ほどまで元気だった猫先輩は、まだ寝足りないと言うのかカバンの中で大人しくしている。耳を立てると、静かな寝息が聞こえてくる。
これでは研究室についても、よく知りもしない教授と二人で気まずい時間を過ごすだけである。仕方なしに摩耶は立ち止まり、目に留まった道脇の古いベンチへと足を向ける。莉羅が起きるまでの間を、少しここで過ごすことを決めた彼女はポケットから取り出した携帯で、大学に来ている事を、同じく大学に来ているだろう友人へとメッセージを送る。
それも一段落すると、流石に彼女も暇を持て余してくる。どうしたものかとベンチの背もたれに寄りかかり、ストレッチ代わりに背を伸ばして空を眺める。
「センパイ……?」
流石に寝すぎだと、疑問の声をこぼす摩耶。空から視線を落とし、ベンチの上のスポーツバッグに手を伸ばす。
────植え付けられた卵は数日をかけて栄養を蓄え、来るべき時を待ち、孵化する。
流石に今からニ十分三十分も昼寝をされてはたまらない。そのチャックを開けて、上機嫌にお昼寝中のお猫さまを起こしてしまうのも仕方のない事。
────条件は周囲に人が居ない事と。
内心で懺悔しながら、摩耶はチャックの金具を手に取った。
────密閉された空間。
「えっ…………?」
────そして影。
その瞬間、武骨なスポーツバッグが、ボコボコと胎動する。やがて、エイリアンが腹を食い破るように、無数の節足がチャックを跳ね飛ばしながら現れた。
「キャアアアアアーーーーーーーーーッ!!?」
お手本のような女の悲鳴が小道に響き渡る。咄嗟の出来事に、中に誰が入っているのかも忘れ、摩耶はカバンを放り投げる。その判断が、結果的に彼女を救ったと言えるだろう。数mを転がったスポーツバッグから、謎の粘液を滴らせながら蜘蛛の怪物がぞろぞろと現れる。
「センパイ!?」
そう呼びかけても、それ等はギチギチと挟角を打ち鳴らすだけ、どう見ても彼女の先輩ではない。ならば、アレは何か? この国で、いや、この世界でそれに疑問を持つ人間は居ない。
「ま、魔物…………」
時刻は十一時五十八分、文京区の大学構内にて魔物が発生。その数、五体。いずれも蜘蛛のような姿をした影法師の幼体である。
なんでこんな場所に。アレは何?センパイはどうしたの?危なそう。死んでないよね?逃げないと。でもセンパイが。魔物だ。誰か助けを。どこから出てきた?近くに人は。どうして。あっ………………
目が合った。
「ムリムリムリ…………ッ!」
混乱の最中、その実感だけが摩耶を突き動かした。魔物が自分を見ている。それは非戦闘員である彼女を、瞬間的な恐慌と、逃走へと駆り立てるに十分な出来事だった。走り出すその背中を、無機質な複眼が追いかける。情けない怯えた吐息を漏らし、ただひたすら、摩耶は逃げる。逃げなければ殺されると思ったからだ。
全速力で中庭を駆け抜ける。そこでたむろしていた複数の学生が、その光景を目撃している。息を切らして走る女と、その後を追いかける中型犬ほどの大きさの、蜘蛛の群れ。瞬く間に混乱は拡散していく。異常を察した学生が逃げ出し、逃げ出してきた学生から魔物の二字を聞いた学生もまた、急いで走り出す。伝播する恐怖、魔物と言う身近な脅威に、いとも容易く若者たちの平穏は崩壊していく。
人の流れが波のように押し寄せる中、それに逆らう人間が居た。艶やかな黒髪を背中まで伸ばした、服装も含めてどこかお嬢様然とした学生。彼女の鋭い視線の先には、先ほどまでメッセージのやり取りをしていた友人の姿があった。
転んだのか、体力の限界を迎えたのか、地面に横たわる伊月摩耶。それを組み敷く黒い蜘蛛型魔物の姿。彼女の影へと、続々と潜り込んでいく後続の蜘蛛。霧花には、それが何をしている光景なのかは分からない。それでも、吐き出す息が震えた。
前方を睨む目が血走り、全身から魔力が迸る。
「避けなさい!!!」
前方に立ち塞がる一人の男子大学生に大声で呼びかける。混乱の最中、その気迫に前方の人混みが裂けるように開かれた。霧花の突き出した右手から、物凄い勢いで魔方陣が展開されていく。現代魔術の中でも、その発動速度故に”最も人を殺した魔術”と称された属性弾の魔術。
並列展開、二十二発。吹き荒れる火の粉に、研究棟の茶色の壁がオレンジに照らされる。まるで、壁のように押し寄せた大量の火球に、魔物は為すすべもなく吹き飛ばされる。
静まり返る現場に、霧花の歩く靴音だけが響き渡る。焼け焦げた肉の匂い、プスプスと蒸気の吹き出す音をあげる魔物は、その直後に空気に溶けるように消滅していった。辛うじてまだ動いている最後の一匹を無慈悲に踏みつぶした彼女は、そっと倒れ伏す摩耶へと手を差し伸べる。
「怪我は無いかしら?」
「………………分かんない」
疲れ切った摩耶の声に眉尻を下げて、肩を抱く霧花。その彼女の服を掴む摩耶、その震える体に、まだ恐怖が染みついていた。
「わた、私のバッグ…………センパイが」
「そう…………分かった。私が探してくるから」
だから安心して、そんな気休めを言う霧花のもとに、続々と救援が駆け付ける。警備員や大学の外で待機していた刑事によって現場は収められた。彼等に摩耶を預けた霧花は、警察官を一人伴って摩耶から聞いた幽霊小道へ足を向けた。
確かに、言われたとおりの場所に、バッグは打ち捨てられてあった。そのボロボロの風貌に、霧花は目を伏せる。彼女の代わりにその中を確認した若い警察官が小さな悲鳴をあげる。ある程度付き合いのあった霧花でも、抱き上げられたそれが大学でも有名な黒猫の先輩である事に気が付くのに、数秒の時を要した。
「十五人目…………」
警察官がハッとした顔で手元の遺体を見下ろした。霧花は、今まさに自分の口が嘯いた類推に、苦悩するように目を閉じた。
◆◆◆
突如として大学に魔物が現れ摩耶が襲われ、あの愛くるしい黒猫はスポーツバッグの中から、カラカラのミイラとなって発見された。勿論、この事は口外しないよう居合わせた大学生には勧告がなされた。だが、人の口に戸は立てられない。これだけの人間に目撃されたのは、この事件が始まってから初めての事。一時間と経たず、この一連の騒動はSNSを中心に拡散され…………
遠く、危穂のネットカフェで寝泊まりする二人の男女の目に留まる。
「──見つけた」
「みたいですね」
ストックが切れました。できるだけ早く再開できるように、次の更新は来週の月曜とここで宣言しておこうと思います。
よろしくお願い致します。




