歌臼大学連続吸血事件 第六話
居酒屋の中には十人前後の飲み客が、出るに出られずたむろしている。何が起きているのかは分からないが、警察が来るまでここを出ないように大声で指示してくる痩せた女に、誰もが困惑していた。
「間に合ったらしいな」
警察に仕切られてからじゃ、現場を見るにも苦労する。俺は省けた手間に笑をこぼし、ざわつく居酒屋の中を歩き出す。この状況で外からやってきた明らかに堅気ではない男に、外に出ないようにと先ほどまで声をあげていた女の視線が吸い付く。
「ひょっとして、警察の方ですか!?」
「現場は?」
敢えて否定も肯定もしない俺を、本気で私服の刑事か何かと思って現場まで案内する女。その後ろを追って店内のトイレに向かう。異様な雰囲気、恐らく内部で追跡系の魔術が行使されている。それも使い魔を使わない、純粋な魔力による痕跡のあぶり出しをするタイプだ。そのせいで魔力が駄々洩れで野次馬の一人も寄り付かない。
「でっか」
「なっ何だコイツ?」
何故かトイレの前で待機している二人の男を押しのけて中に入る。多分、合コンの相手方だろう。数が少ないところを見るに逃げたか………………死んだか。
人死にが出たと言うのに、異様なほど血の臭いがしないトイレの中を見渡す、奥の個室が現場だろう。その手前の床にチョークで書かれた魔方陣、現代式の一般魔術だ。
「空理さん! 来てくれたのね、ありがとう」
安心したような顔で駆け寄ってくる霧花さん。彼女らしからぬ不安そうな振る舞いに思わず気持ちが緩みかける。しかし、彼女がここに居る事で、一つの疑問が浮かぶ。
「それより、追わなくて良いのか?」
「……?」
「…………この追跡魔術を使ったのは霧花さんだろ? だったらもう、ここから逃げ去った何かの場所を掴んでるはずだ」
霧花さんは一瞬「何言ってんだコイツ」という顔をした後に、思い出したように口を開く。
「それは……」
「それは冴木君って魔術師の人がやってるよ。霧花は空理さんを呼んだからここで待ってたの」
横から入ってきて、状況を説明する女。明るい茶髪に青のメッシュ、確か霧花さんの友達の伊月とかいう……なんにせよ状況は分かった。ここにはもう一人魔術師が居て、ここから逃げた下手人を追って、恐らくはその開いてる窓から出ていったという事だろう。俺とすれ違わなかったという事はそういう事だ。だとすると、かなり小柄だ。
「女か……?」
一瞬、村雨に見せられた金髪の女の姿が脳裏をよぎる。
「いやいや、鷹峰さん冴木君って言ったじゃないですかぁ」
「摩耶ちょっと黙っててくれるかしら?」
霧花さんに肩の袖を掴まれ、少し離れたところで耳打ちされる。
「ここに居たのは武曽さんよ、どういうわけか男装していたけれど、死んだ比嘉さんの監視(?)の仕事をしていたみたい」
「じゃあ、もう魔導警察は事件の原因にアテがついてるって訳か」
「えぇ、だから警察もすぐに来ると思うわ」
流石と言うか何というか、本当に俺の協力が必要なのかと疑うくらいに手際が良い。しかし、魔導警察の中でも彼女がこの場所に居るという事実に一瞬首を捻る。確か武曽は魔導犯罪対策のチームに所属していると言っていた。つまりは、彼女の取り締まりの対象は人間、魔術師である。オッサンを含めた、所轄の刑事課の見解ではこれは魔物による吸血事件、魔術師による魔導犯罪とは別件という事だったが…………
「もう来てるぞ」
俺と霧花さんの肩が同時に跳ねる。後ろから突然に声を掛けられた。渋みのある低い声、オッサン──大妻誠司のものだ。相変わらずの気配の薄さ、ベテラン刑事の張り込みテクニックと本人は言っているが、こっちとしては心臓に悪いだけである。上着のポケットに両手を突っ込んで奥の個室を覗くオッサン。彼はあっけらかんと「十四体目だな」と呟いた。
改めて聞くと、夥しい数の犠牲者だ。それだけ事件は長期化し、警察も苦戦を強いられていると言う事だ。俺はさっきの内心の評を引っ込めて、その背中を眺めていた。
「とりあえず、居合わせた全員からの事情聴取……それからこの店は封鎖、誰も外に出すなよ?」
ゾロゾロと現れた後輩刑事や交番勤務であろう女性警官等にテキパキと指示を通していく。その疲れたような目がこっちを向いた。
「で? なんで居るんだお前等……今日は忙しいって話だったろ? 理沙に留守番やらせてデートか? あ?」
「なわけねえだろ。俺は総領会のパーティー、霧花さんはここで合コン」
「じゃ、なんでお前はここに居るんだ。パーティーはどうしたパーティーは」
「もう終わったよ、ここには霧花さんに呼ばれてきた」
オッサンの詰問に面倒ながらも正直に答えていく。しかし、答えていけばいくほど、オッサンは変な顔になっていく。どこか理解できないものを見るような顔だ。
「事件発生から電話を受けて新宿からここまで来たと、俺の臨場より先にか?」
「上を走って来たからな」
「言っとくが、お前等のそれは普通に住居侵入で取り締まり対象なんだぞ」
「今更そこは良いだろ、何が言いたい?」
「そうまでして婚約者のピンチに駆け付ける割には、お前は彼女を一人で合コンに行かせるのは平気なんだな?」
婚約者。この言葉に取り調べを受けていた学生たちの雰囲気がザワつきだす。恐らくは合コンの参加者だろうか。
「婚約者だからって、恋人とは限らないだろ。それで、これは事件に何か関係のある話なのか?」
暗に無駄話はよせと咎める俺の声に、オッサンは少し考えたあとに肩を竦めた。
「…………いや、そうだな、すまん。事件当時はここに居なかったなら、お前は聴取の対象外だ、捜査の邪魔をしないなら好きにしてて良い」
素直に引き下がったオッサン。だけど俺は今のやり取りに無視できない蟠りのようなものを感じていた。例え捜査に関わりが無いものでも、例えそれが魔術の世界では珍しくもない事だったとしても、俺と彼女の関係は変なものなのだ。言われなくたって分かっている。分かってても、どうしようもないんだよ…………オッサン。
まぁ良い、現場を調べる事に、婉曲な許しの言葉が出た。なら、余計な感情は棚にでも上げて、魔術師として、捜査協力者として動くだけだ。まぁ、ひとまずは……
「コイツから話を聞くとするか」
俺の視線が虚空を這う。そこには……
『なんでこんな事に……なんなんだアレ……なんで……? なんで僕が……』
頭を抱え、未だ混乱の最中にある被害者の霊の姿があった。
◆◆◆
夜の東京、危穂の歓楽街は表通りから一歩裏に入れば、途端に怪しげな雰囲気を醸す危険地帯だ。柄の悪い男、ダンボールの上に寝転がる浮浪者、駆け抜ける謎の黒い影。真っ当に生きていればまず関わり合いになる事のない、様々な事物がそこら中に散乱していた。
バシャリと血だまりを踏む魔術師の姿があった。一瞬男と見間違えるような、小柄ながらスッキリとした顔つきの男装の女は、まるで飲み帰りの大学生といった風体で走っている。
黒い影は、大きさで言えば中型犬程度のものだったが、その姿は纏った影のせいで判然としない。ただ、カサカサと聞くだけで不快になるような足音を響かせながら、汚物に塗れた壁を駆け上がる。
「ヒィッ」
ちょっとした化け物が壁伝いに這ってくる恐怖に、小さく悲鳴をあげた住民が、急いで窓を閉める。部屋の中に入り込まれたら地獄を見るのは火を見るよりも明らかだったからだ。カタカタカタと節足が窓ガラスのツルツルの上を滑り、一瞬だがその逃避行は鈍りを見せた。その次の瞬間には、見えない何かによって切り裂かれる。
「三匹目……」
冷淡に撃破数をカウントする女魔術師。黒い影は真っ赤な血液を撒き散らし、力なく壁から剥がれ落ちた。バシャリと地面に血だまりができる頃には、影は跡形もなく消え去った。魔力で構成された使い魔特有の挙動だ。
「コレもハズレ……全部ハズレ……」
その光景を見ていた彼女は、そう疲れたように呟くと、右手に握ったナイフはそのままに道端にしゃがみこんでしまう。今月に入ってから、これで三度目の襲撃。いずれも彼女は現場を押さえ、そこから逃げ出す使い魔の群れの中から本物を探し出す作業を行い、その全てで失敗していた。
何匹か逃した使い魔が居るが、その中に本物が居るかどうかも分からない。正面戦闘が本業の武曽冴子とは言え、これでは魔導警察特殊部隊所属の面目が立たない。
虚ろな目で空を眺める冴子、空に昇った上弦の月が彼女の不始末を咎めているようだった。その空を覆いつくすように、上背のある男が覗き込んでくる。驚きのあまり、咄嗟に飛び退いた冴子に、甘い顔を苦笑に歪める。亜麻色の髪を真ん中で分けた、どこか育ちの良さを感じさせる柔和な青年だった。
「日本の魔導警察の方ですよね? 少しお話を伺っても?」
そう言って警察手帳のようなものを見せてくる青年、彼の左手に握られたそれには真紅のラウンドシールドの上にDMCと銘打たれた紋章が輝いていた。




