歌臼大学連続吸血事件 第四話
日本国という国では外国人はそれだけで珍しい存在として扱われる。それだけ、部外者に馴染みが無いお国柄なのだろう。雑踏の中を歩く小柄な少女、日本人離れした目鼻立ちの美しい彼女に、人々の視線が集まる…………という事は特にない。ただ、微かに視線が彼女を過ぎり、何事もなかったかのようにそっと距離を取る。警戒感というと言葉としては強すぎるだろう。彼等と少女の間にはショーウィンドウのような見えないガラスの壁が存在する。ただそれだけの事である。
別に、極東の猿と仲良しこよしをするために来たのではない。少なくとも彼女はそう思っている。けれど、
「嫌な国ね」
そんな愚痴も吐きたくなるような気分だった。
クンクンと鼻を鳴らす。この国の人間は体臭が薄い、その分遠くから香る血の臭いがより鮮明に感じられる。それを快適と取るか、不快と取るかは狩人の性質によるだろう。先の大戦の末、大国アメリカに敗戦したこの国が新しく作り直した憲法は、世にも珍しい平和主義の四字を掲げた。だが、その実態は平和とは言い難い。魔物大国。最初にこの国をそう呼んだのは、どこの国の記者だっただろうか?
人間が何を標榜し、何を尊ぼうとも、魔物にとっては関係ない。毎日のように人は死ぬ。それを少しでも減らすのが、彼女たち魔術師の仕事である。
信号機がピヨピヨと泣き出す、一瞬の停滞のあとに、人込みは一斉に掻き混ぜられる。その波間に覗く金色の頭は、一瞬ののちに姿を消した。セリーナ・クランツは魔術師だ。血まみれの身体で、再び雑踏の中に戻っていく。その姿を、人々は今更驚きもしない。
平和の国、日本。その姿に思わず笑みがこぼれた。────無論、良い意味ではない。
◆◆◆
魔術院総領会。ハンター協会と並び、退魔連二大組織として知られる、魔術の名家の中でも特に力を持つ五十八家によって運営される会合だ。彼らは、表向きは他でもない彼等にしか解決できない高難易度案件の対処をその目的としている。だがその実は、己の武力と権力を誇示するための社交界的な側面が強い。
だから、こんな目立つ土地にこんなもんを建てるのだ。
俺は心の中で独り言ち、呆れたようにその建造物を見上げた。東京都新宿の駅のすぐ隣に突き立つ全面ガラス張りの剣、誰もが見上げたくなるような百階越えの超高層ビルディング。それが魔術院総領会の所有する本部ビルである事を、知らない魔術師は居ない。
その最上階には、普段使われない、職員でも入れないようなVIP専用ルームが幾つか存在している。総領会青年部定例懇親会の会場に使われているホールも、その内の一つだ。光学系の魔道具によって緻密に再現された無数の噴水・水路。大理石の高級な質感と、頭上を飾るシャンデリアが如何にもな雰囲気を醸し出す。
「この間、経産省の井上官房長と一緒にゴルフに行ってね」
「お父様ったら、次の有馬記念はきっとうちの馬が勝つぞって張り切っちゃって」
「土御門様のご息女、また旦那様に浮気されたらしいわよ。両家の反対を押し切って一般の家に嫁いだからどんな純愛かと思ったらお笑い種よね」
「親父殿は何も分かっとらんのだ!」
基本的には十八歳から三十前半までの総領会の若手が集まるこの場所は、謎のオッサンオバサン臭に包まれていた。古臭い名家に生まれて、その空気を吸って生きてきたような奴ばかりだから無理もないとはいえ…………しかしコレは酷い。あの輪に入れる自信が一向に湧いてこない。
スパークリングワインの入ったグラスを片手に、壁一面の窓の前で黄昏れる。主要メンバーへの挨拶は終わり、早くもここへ来た意義を失った鷹峰空理その人である。というか俺である。
「おや? おやおやぁ?」
「………………」
チラリと声のした方を見て、見なかった事にしたい欲を抑え込む。嫌々ながら向き直った俺の前に、一人の人物が立ち塞がる。うねうねとした癖毛を首元で一本に結んだ俺より少し年上らしき男。アンダーリムの眼鏡をクイと持ち上げ厭らしく笑うその顔は、見るだけでドッと疲れがくる。彼の粘着質な性格をこれでもかと表しているようだった。
「室内でも帽子を脱がない非常識な男が居ると思えば、鷹峰の空理クンじゃあないですかぁ!」
「そういうアンタは誰だったかな」
「クフッ……ワタシの名前を忘れるような世間知らずはこのパーティーでは君ぐらいのものサ」
男の名前は村雨織部、一応このパーティーでは数少ない俺の友人、という扱いになる人物だ。お互いに仲が良いという事は無いが、コイツの母親はウチの家の出身だから、色々とあるのである。
「親戚同士だというのに、冷たいじゃないかぁ……もう少し仲良くなっても良いと思うんだけどナ?」
「社交辞令は良いだろ。何の用だ」
馴れ馴れしく肩に手を置く蛇のような男を振り払うと、スッと奴の眼鏡の奥の目が細められる。微かな苛立ちに嗜虐心の混ざる吐息を残し、男はソロリと距離を取った。
「君とその友人の科学者がヒヒイロカネを扱える刀匠を探していると風の噂で聞いてね」
「なるほど、その噂を聞いた村雨殿は親切にも心当たりのある刀匠を紹介してくれると?」
「クフフフ……そんな訳ないじゃないかぁ……でもそうだね、紹介してあげようってのは当たりカナ」
俺と同じか、それ以上に背の高い男は、懐から写真を取り出す。親切心ではないという事は、刀匠を紹介する事には条件があると言う事だろう。その写真が、奴の提示する条件とやらと見て、俺はそこに映る異国の女を凝視する。幼い……ように見える。金髪の白人の女だ。
だが、その姿を見て、俺は彼女を少女とは形容できそうもなかった。顔付き、佇まい、もっとアバウトに言えば”雰囲気”だろうか?
堅気ではないなと、一目で理解した。こちら側の、それもかなり荒事に慣れたタイプの人間だ。そういえば、今朝方その手の人間が来日していることを知らされたばかりだったな、と心の中で呟いた。
「彼女とはちょっとした因縁があってね、今この国に来てるらしいんだ」
「…………前置きは良い、俺に何をしろってんだ」
「追っ払って欲しいんだよねぇ……今東京を荒らされちゃ困るのサ」
その言葉に俺は、今度はジッと村雨織部の顔を凝視する。……キナ臭い話だ。なぜ東京を荒らされては困るのか、コイツがこの国の秩序を憂うような殊勝な人間ではない事はよく知っている。それに邪魔だとしても、村雨もまた総領会に名を連ねる名家だ、家ぐるみの問題なら、俺に頼るまでもなく戦力は充実している筈である。なぜその戦力を使わず、俺に依頼しなければならないのか?
前置きを聞いておけば分かったかもしれないが、どうせロクな理由ではないだろう。
「ちなみに、この女の氏素性は?」
「聞きたい?」
「無いとは思うが、一般人相手にそんな依頼受けられないからな」
果たして、その質問の結果は、概ね予想した通りの者だった。
「形而上資産保全総局の特務騎士……セリーナ・クランツ」
「騎士様か、このチビっ子が」
「見た目通りの年齢ではないからね」
俺のような混ざりものか……老化を遅らせる魔術を習得しているのか。まさか、DMCの人間が吸血鬼の術式、魂の分与を使ったという事もないだろう。あぁ、人形使いが遠隔で人形を操作しているという線もあるな。だったら本体の写真を渡せという話だが。
「物凄く背が低くて童顔なんだよ」
「……………………」
…………コイツ。
まぁ良い、何にせよ相手は堅気でも子どもでもないのだ。この依頼の背景がキナ臭いというのも、多分俺がこの依頼を受ける上では不都合にはならないだろう。もしそうなら、この男はもう少し爽やかな顔をしながら話を持ち掛けてきたはずだ。俺という人間をもっと本気でハメに来る。
この態度はつまりアレである。断りたくなるような嫌な態度で持ち掛けられた依頼を、刀匠確保のためにやむなく受けるしかない俺、という光景を堪能したいのだろう。
「ハァ……依頼に期限はあるのか?」
「彼女たちが面倒を起こすまで…………かな? 多少の騒ぎなら許容するけどネ」
「分かった受けよう」
依頼受領の意思をこめて右手を差し出す。俺のあっけらかんとした態度が意外だったのか、村雨織部は意外そうな顔をしている。その後、どこか面白くなさそうな顔で俺の手を取った。どうやら、俺の推測は当たりだったようだ。
嫌な男だ。
パーティー会場の片隅で、ひっそりと密約を交わす俺達を他所に、パーティーは進行していく。社交ダンス、招待したバンドによるジャズ演奏、少しはっちゃけてビンゴ大会。夜は更けていく。俺は五、六個はリーチがあるのに何一つビンゴにならなかった穴ぼこのある紙切れを係に渡し、ドッと溜息を吐く。流石に疲れた。
会場には熱がこもり、全体として微かな倦怠感を漂わせている。外はすっかりと日が暮れて、窓からは東京の燦然とした夜景が窺える。自由解散の音頭が取られ、疎らにだが会場を出ていく人影も見られるようになった。俺もそろそろ帰るかと荷物をまとめたところで、携帯に着信があった。
「…………霧花さん?」
相手は合コンに出かけたはずの婚約者。時刻はまだ二十時手前、合コンはまだ終わっていない筈だ。一向に鳴りやまない携帯のバイブ音に異変を感じ、急いで会場を出る。
「もしもし霧花さん? どうしたの、まだ……」
『空理さん、お願い。今から言う場所に来て、危穂の……』
「ちょちょ、ちょっと待って……落ち着いて、まずは何が起きたのか教えてくれないか?」
二〇二五年十一月二十九日午後七時五十六分。俺の携帯が事件発生の報せを告げる。
「人が死んだわ……居酒屋のトイレで…………カラカラに干からびて」
俺は急いで、閉じかけていた中央のエレベーターのボタンを押す。階下へ向かうところを止められ、ムッとした表情の魔術師達。そりゃ怒るよな……だけど、
「すまん、緊急なんだ。一人降りてくれないか?」
「おいおい、急に何言ってるんだこのボンクラァ」
俺の強い態度に反射的に前に出た猿頭の胸倉を掴んで外に放る。ゴロゴロと転がる男の姿に、中で待機していた数名の女性から悲鳴が上がる。だが、構っている暇はない。連中よりも早く、現場に辿り着く必要があるのだ。既に狩りは始まっている。なりふり構わないラフプレイヤーが本格的に動く前に、この事件を終わらせなければならないのだ。
額に青筋を立てた男が、エレベーターの前に戻ってくる直前に、ドアが閉まり鉄の箱が下降を始める。彼には悪い事をしたな、次に会う機会があれば誠心誠意謝るとしよう。




