歌臼大学連続吸血事件 第三話
動物園のゲートへ向けて歩く。全身に纏わりつく倦怠感に、なんとも言えない充足感で満たされる。
「ところで、合コンはいつ頃の予定か教えてもらっても良いかな?」
「今週の土曜日よ」
「え?」
………………え?
俺の困惑の声に困惑する霧花さん。首を傾げる彼女の前で立ち止まった俺は、頭を掻いて考える。これは困った。
「その日、総領会の若手が集まるパーティーがあって、家を空ける予定だったんだよな……」
霧花さんもその日家を空けるとすると、トラオ達の面倒を見れる人間が居なくなるという事になる。短い時間だから大丈夫とも思うが、少し考える必要がありそうだ。
◆◆◆
十一月二十九日土曜日。鷹峰ハンター事務所のある雑居ビルのエレベーターに、見慣れぬ影が二つ。事務所のある三階にて扉が開き、それらもエレベーターから降りる。
ピンポーンというチャイムの音に、事務所にて魔術雑誌を熟読していた空理は顔をあげる。
「来たか」
「あの……ペットの面倒を見てくれるって言う?」
いつものように応接用のソファに腰かけて呪符を作っていた霧花が腰を上げる。そのまま玄関に向かおうとする彼女を空理は引き止める。
「出迎えは俺がするよ、霧花さんは机の上の店畳んどいてくれ」
そう言って玄関に向かった空理は、無造作に扉を開ける。彼等をここに招き入れるのも、慣れたものである。体格の良い男と、背の低い女の二人組。かなりの年の差があり、一目見れば祖父と孫のように思えるかもしれないが、二人の関係が父と娘である事を空理は知っている。
「久しぶりだなオッサン」
「オッサンはよせ、もうそんな年でもねぇよ」
空理のご挨拶に軽くそう返すのは、壮年から老年に差し掛かろうという、深みのある声の男だった。彼と同じぐらいくだびれたベージュのトレンチコートのポケットに片手を突っ込み、もう片方の手で肩を揉んでいる。大妻誠司六十一歳、どこにでも居る普通のベテラン刑事である。
「いつぶりかな、警察は忙しいのか?」
「あぁ、色々と立て込んでてな…………ったぁ!?」
ガシリ、とそのまま立ち話に移行しかけた誠司の臀部を、何者かが強く蹴り上げた。
「邪魔だから」
空理がやらかした時の霧花よりも冷たい声で、自分より五十近く年上の大男を押しのける。まだあどけない顔付きの、ツインテールの少女。空理は彼女の顔を見ると、いつになく優しい笑顔で迎える。
「来たな理沙、少し背伸びたか……?」
そう言いながら、彼は自分の頭に手を当て、そこから少女の頭上へと滑らせる。背比べをするような仕草だ。しかし、傍から見ても彼が言うようにその差が縮まったとは到底思えない。二人の身長差は一見して一尺以上あり、彼女……大妻理沙にとっては、幾らか差が縮まろうと彼はまだまだ巨人の如きノッポであった。
「今なんか言った? 頭が高くて聞こえな~い」
「ちょっとは大人のお姉さんになったかと思ったが、お前は変わらないな」
呆れたような表情の空理を、つまらなそうに見上げた理沙は、その切れ長の目をその後ろに立つ霧花に向けた。
「…………?」
どこかジトッとした視線に首を傾げる霧花、そのサラリとした黒髪が左頬にかかり、それを耳にかけ直す。その動作がやけに大人っぽく見えて、理沙はどこか悔しそう目線を逸らす。
「婚約したって本当だったんだ……甲斐性無しのクセにナマイキ~~」
「コラ理沙、その話はオッサンが悲しむからやめろよ」
「えぇ~? 十歳の女の子も引き取れなかったよわよわ財力の自分が恥ずかしいだけなんじゃないのぉ?」
馬鹿にしたような態度の彼女に誠司が頭を押さえ、空理の笑顔が引き攣る。そんな大人たちを無視してツカツカと事務所の中へと入っていく。
「引き取れなかったって?」
「……理沙は色々あって身寄りのない子だったんだ。ちょっと事情があって、施設での引き取り手もなくて、それでオッサンか俺が引き取るって話だったんだけど」
「コイツは当時、独立したばっかで余裕がなかったからな、理沙はコイツが良いって言ってたんだが俺が引き取る事になったのさ」
その事で未だに甲斐性なし呼ばわりされるのは、空理としてもあまり良い気分のするものではないが、誠司に引き取られた彼女がこうして元気にしている姿を見るとそれも悪くなかったように思うものらしい。事務所の中をうろつく少女を優しい顔で眺める空理、霧花はその視線を追って、理沙という生意気な少女の姿を見やる。
ダークブラウンの床にバサリと上着を投げ捨て、一直線に鳥籠に向かう。
「トラオ、久しぶり。ざぁこ♡ ざぁこ♡ ざこち──」
「あーーー!! あーーーー!! あーーーーー!! それ以上は言わせねえよ!?」
いきなりの凶行に焦りまくる空理、その光景を見ていた霧花に電流が走る。この事務所に初めて来た時、あのインコのトラオの発する言葉にドン引きした過去のある彼女は、数か月越しにその真相に辿り着いた。彼女の婚約者は所謂メスガキ好きの変態ではなく、身近にメスガキの居る変態だったのだ。いや、変態ではないが。
「それで」
すったもんだの末、ようやく一息つけるようになった空理は応接間のソファに腰を下ろし、霧花の用意したホットココアを口に運んでいく。今までなら、コーヒー一択だった空理のその姿を意外そうに眺めながら、誠司は向かいのソファの背もたれに身を沈めた。少し、疲れているようだ。
「随分と忙しそうだけど、なんかあったのか?」
「ハァ…………あのな? お巡りさんには守秘義務ってのがあるんだよ、聞かれたからってなんでも話せると思うなよ」
「なるほど、じゃあ聞かない」
「……………………………………実はな?」
相談に来たなら素直にそう言えよ、と空理は思ったが言わない事にした。下手におちょくって黙られても困る。誠司の持ってくる相談というのは、半分仕事のようなもので、そこから警察と協力して事件を解決なんて事も少なくないビジネスチャンスなのだ。
「夏の終わり頃だった。ちょうど、お前が音信不通になってたあたりだな? ここの近くの歌臼大学の構内で変死体が発見された」
そっと、机の上に写真が置かれる。それは、決して部外に出して良いものではない、被害者の遺体と思われるものを写したものだった。枯れ枝のような手足、落ちくぼんだ眼、残酷なほど苦悶に歪んだ表情。空理はすぐに理沙の居る方を確認して、誠司に写真を返す。
大人二人がシリアスな話をしている中、理沙は霧花とテレビゲームを楽しんでいた。
「確かに、変死体だ」
「同じようなものが、歌臼大学近郊で十二……いや十三体見つかっている。概ね、一週間に一度のペースだな」
そりゃ大事件だと、空理は独り言ちる。世間で全くと言って良いほど騒がれてないのが不思議なぐらいである。だが、直後に思い出す。事件が表沙汰にならない…………できない理由。変死体の様子から浮かび上がる忌まわしき三文字。
「吸血鬼か……」
「その名を口にするのはよせ、厄介なものを引き寄せる事になるぞ」
この場所には四人しか居ない、閉じられた空間だ。そこで何を言ったところでどうという事は無い。それでも嫌がるあたり、よほど嫌な思い出でもあるのだろうと空理は笑った。吸血鬼を嫌う人間は多い。歴史上それは仕方のない事だが、そういうのの中には警察も困らせる厄介な人々も多い。吸血事件となれば、この近辺が無駄に騒がしくなることは間違いないだろう。それが、この事件が表沙汰にされない理由だった。
「既にブランボルグのD.M.C.の構成員が入国したという話もある。俺としては、アイツ等が好き勝手暴れ始める前にケリを付けたいんだがな」
「悪い噂は色々と聞くが、そんなにか……」
空理は難しげな顔で腕を組む。この世界における吸血鬼とは、血を吸う魔物ではなく、過去に実在した魔術師の事である。その魔術師の再来を防ぐため、その魔術を取り締まるのが、つまるところはDMCという組織の至上命題だ。そのためには、多少の違反行為も気にしない、気にしてられない。先も言った吸血鬼を嫌う人間、それも警察を困らせる手合いの最右翼と言って良い存在だ。
ただでさえ物騒な連続殺人に加え、世界中で鼻つまみ者の吸血警察のダイナミックエントリーが予想される。他人事で居られれば良いが、事件現場は極近所である。警察だけでなく、空理としても頭が痛い事この上ない。
「分かった。協力しよう、で? 何をすれば良いんだ?」
よし、と頷いた空理は腕組みを解いた誠司に向き合う。仕事が云々だけではない。この近辺で起きている事件の話だ。聞いておいて損はない。
◆◆◆
ジンジンと、肉体の輪郭が泡立っている。沸騰する鍋の中身のように、肉体は攪拌され、子ども達の骨身はグズグズに煮溶かされていく。あぁ、浴びるように血を飲んだ。この光の洞の中で、運ばれてくる養分に耽溺する。
ここに来て、どれほどの時が経っただろう? 怪物は身動ぎし、外の様子を窺った。そろそろ肉の根も腐り落ちる。ギリギリと歯を打ち鳴らし、転居の準備を進めなければと思案した。
けれど、それもすぐに消え失せ、ただただ快楽に身を任せる獣に成り果てる。賢いわけでもなく、聡いわけでもない。ただ、生まれながらにして、それは人を翻弄し、人生を玩弄し、ただ欲望のままに齧りつく。悪意なく、悪意のままに、今日もまた人は死ぬ。
魔物とはそういうものだ。




