歌臼大学連続吸血事件 第二話
すっかり日没の早くなった秋、買い物袋を手に下げて、帰り着いた我が家はちょっとした修羅場と化していた。
「あ……」
と声を揃える二人に、なんて言えば良いのか分からず、黙って冷蔵庫に向かった。買ってきたアレコレを冷蔵庫や野菜室に入れていく間、リビングは奇妙なほど静まり返っていた。リビングに戻った俺を、二人は何とも言えない顔で見つめてくる。うーん、面倒だからこのままお暇しようかな……?
「ちょっと待ちなさい!」
そのまま部屋を出ようとすると霧花さんに呼び止められる。やはり知らんぷりできないらしい。正直、人が人の足元に縋り付くなんて、もうそれだけで面倒事の気配がする光景である。関わり合いになりたくない。なんて言ったらまた霧花さんに怒られそうだが、紛れもない俺の本音だった。
「一応聞こうか、どちら様?」
「あっ、霧花と同じ大学の伊月摩耶です。どうも、お邪魔してます」
「ご丁寧にどうも、俺は鷹峰空理、一応ここの家主です」
伊月摩耶と名乗った女子大生は、パッと見は綺麗な女の子だった。霧花さんと比べると大分厚い化粧、茶髪に青メッシュ、ルーズな服装と合わせて…………なんというかまぁ、そういう人に見える。霧花さんを呼び捨てにしてるあたり、恐らくは同回生……
その間柄の大学生だと、確かにお互いに助け合いが必要な場面が多かった記憶が…………特に普段遊んでるようなのは、ノートを写させてくれる友人を一人は必用とするものと聞いたことがある。それを必要なものとするかには議論の余地がありそうだが。
「一つだけ答えて、アナタは私が合コンに行くことになったら困るわよね?」
…………なるほど、そういう話だったか。合同コンパ、親睦を深めるための飲み会。主に男女の出会いを目的としたものとして用いられる言葉だ。確かに、恋人がそのような場所に行く事を快く思わない人間は多い。世間体を考えるなら、俺と婚約関係にある霧花さんが合コンに参加するというのはマズいかもしれない。だが……
「まぁ、良いんじゃないか?」
俺としては、止める理由が無かった。
「それは本気で言っていると受け取っても?」
「霧花さんがしたいようにすれば良い。別に、俺としてはこの婚約関係に義理立てするほどの価値があるとは思ってないんだ」
そもそも、俺たちは好き合って一緒に居る訳ではない。そんな事で傷つくのは遠城家と鷹峰家のメンツだけだ。俺としては傷ついて結構、むしろざまぁ見やがれってぐらいのもんだ。だからまぁ、行きたいなら行けば良いと俺は思う。まぁ、そもそも行きたそうには見えなかったけど…………
「俺を断る理由にしたかったなら、力になれずにごめん」
小さく肩をすくめ、俺は今度こそ部屋から出ていった。晩飯は事務所で食べよう。なんとなく、気まずいし。
◆◆◆
パタリと、玄関の扉が閉まる。リビングに残された二人は、再び気まずい沈黙に包まれる。
「霧花……大丈夫?」
「………………………………なにが?」
長い長い沈黙の末に、一目で強がりと分かる言葉を放つ霧花。分かってはいた事だが、ゾンビでももう少し脈があるだろうと言いたくなる空理の態度、それを友人に見られたというのは、彼女としても堪える事実だった。
「彼と上手くいってないの?」
「…………………………」
摩耶の質問に黙りこくる霧花。ここで弱音を吐くことを、彼女の高いプライドが許さない。それでも、その態度からは色々と察するところがあった。上手くいってないの? と聞かれて、上手くいってる人間が黙りこくる理由などないだろう。そっと霧花の肩に手を置く摩耶。
「なんか食べに行こ……美味しいもの食べれば、嫌な事も忘れられるって」
そんな優しい言葉に、情けないやら悲しいやらで、何とも言えない顔で頷いた。夕飯は空理が買ってきてくれていた筈だから、気にしなくても良いだろう。それから二人は街にくり出していった。そして…………
「決めた!! 私、合コン行くわ!」
「おう! その調子だぜ霧花ちゃん!」
「そして、あのクソ男にヤキモチを焼かせてやるわ!!」
「そうだそうだ!!」
数時間後、居酒屋ですっかり出来上がった二人がそんなやり取りをしていたとかしていなかったとか。完全にやけくそである。
◆◆◆
「デートをします」
四階のリビング、いつもの朝食風景に聞きなれない言葉が鳴り響いた。
「デートをします」
「聞こえてるよ」
十一月二十五日火曜日、知らないうちに霧花さんとデートをする事になっていた。何故そんな事をするのか、勇気を出して尋ねてみても「婚約者なのだから、デートくらいして当然だと思うのよ」なんて、答えになってるのか微妙なセリフが飛び出すばかり。何故、急にこんな事になったのか、俺は全くついていけてなかった。
順当に考えたら、昨夜のやり取りが原因かもしれない。俺の言動は、彼女の女性としてのプライドを傷つける結果になったかもしれない。だが、だからといって、何故仕事を放ってデートなどしなければならないのか? やはり俺には理解できない。とはいえ、誰かとどこかへ遊びに行くというのも久しぶりだ。そこだけは、ちょっと楽しみだったりする。
幸か不幸か、急ぎの仕事や依頼はなかったから、俺は彼女の誘いを断る口実も見つけられず、こうして雑居ビルの前で待たされる羽目になった。いつもの野球帽に、いつものジップアップパーカー。あまりにいつもの服装すぎて、彼女の準備に時間がたてばたつほど、嫌な汗が出てくる。ただでさえ彼女は美人なのだ。気合の入った服装の隣に今の俺を置いてみろ、想像するだけで針の筵になった気分だ。
「ごめんなさい、待たせてしまったわね」
「大丈夫、そんな待ってないよ」
ビルから降りてきてくるなり待たせたことを謝罪する霧花さん。彼女に笑いかける自分の頬が引き攣っている自覚がある。彼女はとても綺麗だった。
秋らしい落ち着いた雰囲気が、彼女の切れ長の美貌と合っていて、ひらりと揺れるロングスカートの裾に、妙に視線が吸い寄せられた。最新のファッションだろうか? 俺の偏った知識ではなんとも言えないが、それが彼女が普段着ているそれとは違うものだと言う事は分かった。
「それで? どこに行くんですかね」
努めて冷静を意識しながら、通勤時間を少し過ぎた街の中を歩きだす。すっかり風が冷たく、頬が少し痛む。俺に比べると霧花さんの歩幅は小さいから、それに合わせてゆっくりと足を前に出す。その分余裕があるから、気軽に後ろを振り返って霧花さんの様子を見る事ができる。
「ショウゴ市民動物公園よ」
「動物…………」
「アナタ好きでしょう?」
「うーん、まぁそうだけど」
単に好き、というのも少し違う。嫌いではないし、触れ合う機会も多い。ただ、俺という人間とそれらは、どこかグロテスクな縁で結ばれている。単純に、動物園という場所を楽しむ事ができるだろうか?
昔、鷹峰の家で暮らしていた頃の記憶がフラッシュバックする。鼻の曲がるような血の臭いも一緒に。
「私も動物が好きよ」
彼女の声に現実に引き戻される。見れば、霧花さんは微かに頬を緩めて、振り返った俺の目をジッと見つめ返してきていた。
「そうか……」
一緒に楽しめる場所を彼女なりに考えてきたのだろう。そう思うと不思議なもので、なんだか純粋に楽しみになってくる。メインストリートのイチョウの木はまさに今が最盛期だった。上を見ても下を見ても鮮やかな黄色に埋め尽くされている。いつも見ているこの景色も、歩く理由が違えば見え方も変わってくるらしい。隣で感嘆の息をこぼす霧花さんに笑みを深めながら、危穂駅へ向かった。
「霧花さんは何が見たいんだ?」
「マーモット」
「伊豆にしか居ないよ」
◆◆◆
ショウゴ市民動物公園は、危穂駅から電車で三駅ほど。都心から少し離れた郊外に、広々と敷地を持つ動物園だ。戦前からの歴史ある園内の風景は、少し古い印象を受けるが……どことなくノスタルジックな気分にさせる。休日は家族連れでごった返すらしいが、今日は平日という事もあって、ゆっくり過ごせそうな静けさを保っていた。
入ってすぐの大看板の前で、あれが居るこれが居ると言葉を交わし、どういう順番で回ろうかと相談する。広場から少し歩けばアフリカゾウの飼育場がある。早々に見ごたえのある大型動物が現れ、来園者のテンションは有頂天だ。
ふと視線を感じて左に立っていた霧花さんの方を見る。
「…………なに?」
「いいえ、いつまで象を見ているつもりなのかと思っただけよ」
周囲を見回す。ここに来た時に一緒にアフリカゾウを見ていた来園者は一人も居なく、自分が相当な時間ここに張り付いていた事が分かる。
「ごめん、集中してた」
「象を凝視するだけで十分も過ごせる人初めて見たわ……」
しかし、奴らの骨格の仕組みや身体のパーツ、材質や挙動など、観察しだしたらキリがない。例えば独特な形状の足だ。あの太い円柱のような足が地面を捉え、歩くさまは見ていて飽きない。気が付けば何十分もハンドスピナーを回し続けてしまっていたような、そんな感覚だ。
「…………楽しんでくれているようね」
「自分でも意外なほどにな」
ここに来るまでは、色々と思うところがあった筈なのに、我ながらチョロい奴だ。
「次、行こうか」
「えぇ……まだまだ色々な動物が待っているものね」
思わず、歩き出した彼女の後姿を放心して眺める。俺が付いてこない事に気付き、振り返って首を傾げる霧花さん。てっきり、時間を取らせた事に小言の一つや二つ飛んでくるものと思っていたから、意外だった。
「行くんでしょ? キリキリ歩きなさい」
「ごめんごめん、今行くよ」
カバ、ゴリラ、ライオン、キリン、ラマ、シマウマ、クジャク、レッサーパンダ、ダチョウ……ふれあい広場でウサギを抱く霧花さんに思わず見とれたり、とにかく俺達は動物園を楽しんだ。昼には園内のレストランで割高のランチに舌鼓を打ち、西の空がほんのりオレンジがかるまでじっくりと動物を見物していった。
「おぉ、虎だ……今年は惜しかったな、史上最速でリーグ優勝したのに」
「どうして虎を見て野球の話が始まるのか、理解に苦しむわ」
コンクリートの壁、鉄の柵越しに上から見下ろす形で虎を見る俺と霧花さん。コンクリートの壁から生えたステンレスの持ち手に両手を置き、全身の体重をかける。楽な姿勢で長期戦の構えを見せる俺に、霧花さんはもう言葉もなく追従する。
「ありがとな……」
「…………?」
「いや、楽しかったからさ……お礼を言おうと思って」
楽しかったデートも、終わりの時間が近づいてきている。だから、俺には伝えなければならない感謝の気持ちと、訊いておかなければならない疑問があった。まっすぐと、視線は眼下の猛獣へと落としたまま、俺はどこか探り探りの声で告げる。
「それで、これは何のためのデートだったん……ですかね?」
俺と霧花さんは、何度も言うが恋仲でも何でもない。お互いに好き合っている訳ではないし、このようなデートと呼ばれる行為をするような間柄でもない。純然たる他人だ。なのに、彼女は俺をデートに誘い、この場所まで連れ出した。その事には、意味があるはずだ。
「なんでそんな事を訊くのか、あえて追及はしないわ。聞いても腹が立つだけでしょうから。そうね…………言うなれば、これはプライドの問題よ」
チラリと、左隣の許嫁を窺い見る。その表情は、夕暮れの逆光でよく見えない。
「私、行く事にしたのよ」
どこに? とは聞かずとも分かった。マヤというのだったか、霧花さんの友人が持ってきた合コンの話だろう。
「…………………………やっぱり止めないのね」
「意外には思っているよ、断りたそうにしてたから」
隣から大きな溜息が聞こえてくる。俺の反応がお気に召さないようだ。確かに、断りたいのが分かっていながら助け船を出さなかった事に溜息を吐かれるのは仕方ない。どう見ても俺が悪い。ただ、この段になると俺のこの推測も正しいのか疑わしくなってくる。俺は本当に彼女の事を理解できていないのだ。
そして、その疑惑は直後には疑惑ではなくなっていた。
「止めてほしかった……認めるのは業腹だけれど、私はアナタに止めてほしかったのよ」
逆光の中、髪を耳に掛けた霧花さん。その表情が、身動ぎの一瞬だけ垣間見える。その憂いを帯びた顔に、不覚にもドキリとしてしまった。
「合コンに行くのに婚約者に止めてもらえないなんて、まるで引き止める価値のない女と言われているようで、私には惨めに思えた」
「………………」
なるほど、と口をついて出かけて慌てて口を噤む。彼女の主張は、俺にとっても真っ先に思い浮かぶものだった。けれど、やはりその事と、彼女とデートをしなければならなかった事が、俺の中では繋がらなかった。
「だから……後悔してもらう事にしたの」
「後悔……?」
「そう、今日は楽しかったかしら?」
俺に背を向けて少しだけ歩いた彼女は、その疑問を投げるのと同時に振り返る。ふわりと広がる長髪、夕暮れに染まる景色の中で初めて、彼女の悪戯っ子のような表情がハッキリと見えた。
「自分でも驚くぐらいだよ」
問いには肯定で返す。何度も言うが、今日は本当に楽しかった。
「けれど、私が合コンで良い人を見つけてしまったら、デートはこれきりになるわね?」
ひゅるりと、風が吹いた。今までポカポカと温まっていた身体が一気に冷えていく感覚がした。まさに冷や水を浴びせられたような感覚と言える。そうか…………彼女とどこかに出かけて、笑い合ったりするのは、これが最後かもしれないんだな。
「確かにそれは、少し悲しいかもしれない」
動物を見る事も忘れて、空を仰ぐ。たった一度のデート、動物園を一緒に見て回っただで……我ながらチョロすぎると呆れているところだ。
「今更止めても遅いわ。存分に後悔する事ね」
そう言って勝利の笑みを浮かべる彼女を見て、俺は初めて遠城霧花という女性を可愛いと、そう思った。




