はいすくーる
「プツン!!」
樹は自分の脳に戻ってきたのを確信した。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ!!」
眼の前では遊鬼が笑っている。
「キシシシシ!! どうだ? 面白いだろ脳侵は!! それに、無気力だったお前が命の危機に直面したことでヤル気を取り戻したんだ。皮肉にもこれが″生の実感″ってやつだな。い〜い気分だろ?」
少女の無邪気な笑みに見えたが、そうではない。
これは人の生死を愉しむ根っからの下衆のそれだ。
そう痛感した少年は全力で食ってかかった。
「こんのぉぉぉぉッッ!!」
だが小娘にひらりひらりとかわされてしまった。
赤子をあやすように遊鬼は樹をいなした。
「おいおい。さっきまでの″厭世ごっこ″はどうした? お前の本質は真面目で、責任感があって、損ばかりするヤツだろ? トラウマとかなんとかで腐ってるタマじゃねぇよなぁ? それだとサバイバルゲームが面白くならねぇんわだわ。だからその調子で″主人公″っぽく足掻いてもらわねぇとなぁ!!」
赤い袴の巫女服がパタパタとはためく。
「いいか、確認するぞ。脳侵はお前とつながった連中である″繋人″に危機が訪れたときにのみ発現する。切迫危機という状態だ」
樹は疲れ果てて膝に手をつき、俯いたまま聞き耳をたてた。
「で、だ。お前の脳侵は繋人が死ぬ瞬間から少し巻き戻ったところから脳侵される。そのままにしておくと同じ未来を辿って連中の死は免れない。お前が危機に対してなんらかのアクションをとらねばならないんだよ」
息が整ってきた樹は遊ぶ鬼を睨んだ。
「おお怖ッ。脳侵が終わった後、繋人達の意識は本人の身体に戻る。さっきの娘は今頃、自我を取り戻して活動しているだろう」
未だに樹の頭にはズキズキという鈍痛が残っていた。
「あぁ、それとな。一度に出来る脳侵には限界がある。あまり長く脳侵しすぎるとお前の脳へのダメージがデカくなってな。やりすぎると精神が汚染されて″人間ではなくなる″なるから気をつけろ」
遊鬼はさらりと言ったが、樹は自らの精神の危機に呆然としてしまった。
人間を保てないとどうなるのか。身体が震えた。
「おい。おい。聞いてるのか」
小娘が声をかけてきた。
「まずはお前の高校に戻ってみたらどうだ? 生存者がいるかもしれないぞ? それに、くれてやった能力を使いこなせないようじゃあ遅かれ早かれ死ぬ。トレーニングだよ。トレーニング」
脳侵の少年は思わず歯ぎしりした。
誰がこんなヤツの言う事を聞くものか。
そう思ったのだが、自分はこの世界について知らなすぎる。
たとえ罠だとしてもここは遊鬼の言うことに縋るしかなかったのだ。
希望的観測をするとすれば、即死するような場所にいきなり放り込むとは思えないというのもあった。
「そうだよ。お前の思うとおりだ。枝垂高校は″最初のダンジョン″だよ。せいぜいオウガーに慣れるんだな」
完全にゲーム感覚、いや、この子鬼にとってはゲームそのものなのである。
「いいか、忘れるなよ。どこに逃げてもあたいはお前を追っていく。お前は放たれた魚。あたいはそれを追う釣り師ってとこだ。そういう意味では運命共同体なのかもしれないな!! せいぜい楽しませてくれよ!! キシシシシ!!」
樹は黒い学ランの首元を緩めた。
そして彼は無言のまま、薄暗い坂道を下り始めた。
なんとしても生き残る。
そんな無意識下の生存本能が少年の″脳″を激しく突き動かした。
その顔は覇気がなかった人物とは別人のそれで、なにかが吹っ切れた感……。
いや、何かの線がプツン!!とキレてしまったようだった。
それはある意味では望ましいことでもあったが、同時にとても悲しいことだった。
枝垂高校の校舎は山を背に建っている。
故に裏山側から進入すると校舎の裏側から接近することが出来る。
反対側はグラウンドがあり、開けているので襲撃されると逃げ隠れする場所はない。
あかねのように走って逃げるのは樹には逆立ちしても不可能であるし。
少年は息を潜めて茂みの裏に身を隠した。
「まずはオウガーの位置を探ってみるか……」
樹が集中力を研ぎ澄まして瞳を閉じると赤いモヤのようなものが浮かんできた。
目をつむっているはずなのにだ。
それはサーモグラフィーのように浮かび上がった。
距離が近いオウガーは濃く映り、遠いオウガーは薄く映る。
(これはかなり精度が高いな……。これなら見つからずに進むのもなんとかなりそうだ……)
その直後、叫び声が聞こえてきた。
一気に樹の視界はぐちゃぐちゃになって脳をかき回した。
(うっ!! 集中力が乱れるとッ!?)
目がグルグル回って吐き気がする。運の悪いことにオウガーは近い。
「ワレラーアアワーレラーーシダレーシダレーシーダレーーー!!」
どうやら校歌を熱唱しているらしい。
かすれた叫びで、気味の悪い歌声だ。
よくみると野球帽をかぶったオウガーで、金属バットをブンブンと振り回している。
樹は全身にぶわっと脂汗をかいた。
(ハァ、ハァ……。まずい。あんなのに見つかったら頭をぶっとばされるにきまってる!! なんとかしないと!!)
少年は必死に爆発しそうな鼓動を抑えつけた。
「ん〜? なんか物音がするどぉ?」
喰人鬼が近づいてくる。
「おぉ?」
野球部員はバットを振り回しながら近づいてきた。
「ブゥオン!! ブゥオン!!」
風切音が草むらの樹の顔をかすめた。
その時、遠くから誰かの呼ぶ声がした。
「おーい。人肉にげてるど〜。サボってねーで早く手伝え〜」
それを聞いたバットの男は顔をそちらに向けた。
「ずいまゼェんセンパァイ!! いまいぐどぅえ〜す!!」
野球帽は威勢よく返事をして、得物を振り回しながら校舎へと入っていった。
思わず樹は草むらから転がり出た。
「ハァぁぁぁーーッ!! し、死ぬかと思った……。これは使い所を間違うとまずいな……」
ぼんやりとそんな事を考えているとさっきの野球オウガーの言葉が思い出された。
「人肉が……逃げてる? ただの肉は逃げない。ということは……生存者か!!」
樹はガクガクと震える脚を叩いて喝を入れた。
「しかし、どうする? 生存者がどこにいるかわからないし、無闇に突っ込むのも得策じゃない……いや、試してみるしかないか。虎穴に入らずんばなんとやらだ!!」
少年は校舎に忍び足で近づいて壁にピッタリくっついた。
そしてオウガーのマネをして声を上げた。
「オオイ!! ニグぅ!! ジンニグゥどこだ!?」
しばらくすると2階から返事が帰ってきた。
「りかしつどぉ、たいいかんじゅん備しつにいるらしいど。けっこうたくさん居るそうだ。喰うのがたのしみだよなぁ?」
危ない橋だったが、オウガーから情報を引き出すことが出来た。
(理科室と体育館準備室か。さて、どうやって助け出すかだが……)
おそらく道中には掃いて捨てるほどオウガーが徘徊しているだろう。
「なんとかしてあいつらをおびき出せればいいんだが……」
樹は集中して頭を捻った。




