らんなー
(プツン!!)
気が休まるでもなく、また誰かの切迫危機が来た。
繋人が死の危機に瀕している。
樹は自分が誰を脳侵したのか確認した。
引き締まりつつも柔らかい身体、かすかなシャンプーの香り、いかにも女の子といった感じだ。
雰囲気からして続けてあかねを脳侵しているらしい。
少年はペタペタと身体を確かめそうになったが、デリカシーがないので止めた。
それにしても、こんなロケーションなのに、ランニングウェアのままである。
周りを見渡すとそこは市街地だった。
(おそらく、あかねは家族と会うために、ここへやってきたんだな。しかし、この調子では……)
樹は最悪のパターンを予測していた。
眼の前の家の表札を見ると″芹沢″と記してあった。
「芹沢あかね……か」
どうやらアカネの下の名前はひらがなで″あかね″らしい。
樹あえて忍び足で玄関に上がり込んだ。
「クッチャクッチャ!! ビッチャビッチャ!!」
クチャラーの立てるような音がしていたが、それにしては勢いがあり、不気味だ。
樹がドアをゆっくり開けるとあかねの父がテーブルの上の何かを貪っている。
丼に入ったキムチのようだが。
少年は様子をうかがったが、すぐに父は振り向いた。
すると父親は目を輝かせて言った。
「ほら、あかね、おかあさんの内臓、美味しいぞぉ!!」
そう言いながら彼は一心不乱にグチャグチャとあかねの母の肉を食べ始めたのだ。
「ッッッ!!」
少年は思わず声を上げそうになったが、手を口に当ててこらえた。
すると、キッチンに転がっていた女性が突如として起き上がった。
その腹部はぽっかり抉れていた。
「どお? お母さん、美味しいでしょ?」
あまりの嫌悪感に耐えきれず、樹は胃の中の物をぶちまけた。
「おっ、おええっ、ごぼッごぼぼっ!!」
すると父親がにじりよってきた。
「か〜あさんのないぞ〜がおいしいんだ。き〜っとあかねのもおいしいよぉ?」
少年が後退りしていると背後から母親に抱きつかれた。
「ほぉ〜ら。逃げちゃだめよん♡」
気づくと父親の鋭く伸びた爪で樹の腹部は貫かれてしまった。
そのまま父は弄ぶかのようにあかねの内臓を引っ掻き回しだした。
「ほぉら、ぐりぐりぃ〜〜〜」
ゾウモツをかき回す湿気のある音がする。
「ブチュッ!! グチュグチュッ!!」
「やめて、お父さん!! あ、ぎあああいぐぐぐぐ!!!」
まるで猫が車に轢かれたようなうめき声が市街地に響き渡った。
「あ、あ……あ″ぎゃあああアァァァァ!!!!」
(プツン!!)
巻き戻りは芹沢家のリビングでのやりとりまで戻った。
脳侵している間の出来事は本人にとっては夢のように見えるらしい。
そのため、いくら切迫危機を回避したところで起こった事実は隠せないし、変わらない。
あかねが受けるショックは想像を絶すると樹は気の毒に思った。
だが、まずはそれより生き延びることが先決だ。
樹がリビングから逃げようとすると、父は爪を変形させて鋭利な凶器とした。
どうにかして注意をそらさねばならない。
少年は部屋中を観察した。
(興味を引くもの……興味を引くもの!!)
すると彼は閉じたままのカーテンに目をやった。
芹沢夫妻はディナーに夢中でまだ外の異変には気づいていないように思えた。
少年は一か八かに賭けた。
カーテンに駆け寄ってそれを全開にする。
「ねぇ、お父さん!! あの月、なんだろうね? 真っ赤で綺麗だね。見に行ってみたら?」
片手が凶器と化した父はにっこりして月を見上げた。
「おぉ〜!! ホントだぁ!! 面白そうだねェ〜」
あとは母親をどうするか。
樹が身構えると彼女は予想外の言葉をかけてきた。
「まぁあかねちゃん。そんなドロドロのランニングウェアで。お部屋で着替えていらっしゃい」
彼女の母は腹部がぽっかり抉れている以外は変わらない″部分″もあるらしい。
他人行儀にお辞儀をして、あかねの部屋らしき場所に入った。
部屋は思ったよりファンシーで、女の子女の子していた。
クローゼットを開けたが、女物の服なんてどう着ればいいかさえわからない。
適当にタンスなどを漁っていると下着にあたったりもした。
ガッツリ怒ってるだろうなぁなどと思う。
「すんません……」
結局、樹は見つかったジャージを身に着けた。
運動性やフィット感も良く、身体を動かすという点ではベストだ。
カラーリングが真っ赤なのはあまりにもナンセンスだったが。
気合を入れ直しながらリビングに戻ると母親はニコニコしていた。
どうやら今は襲ってくる気配がない。
「あら〜、あかねちゃんもお出かけするのぉ? 気をつけて出かけてくるのよ。帰ってきたら皆で″お食事″しましょうね」
「……はい」
樹はそう答えて家を出た。
そして空の真っ赤な月を見上げた。
「くそっ……あんな月が出てこなきゃ……出てこなきゃあかねの一家はこんなことには……」
いつのまにか父親は姿を消していた。
あかねは四つん這いになって崩れ落ち、嘆いた。
「うっ、うっっ……お父さん、お母さん!! そんなのってあんまりだよぉ……。でも、あたしは……あたしはあんなバケモノにはなりたくない!! 生き残りたいよ!!」
あかねには意外と勝ち気な面があった。
(プツン!!)
切迫危機を回避して、意識が樹に戻るかと思われた。
(プツン!!)
だが、樹は無理くり回線をつなぎ直すように脳侵を継続した。
新たに編み出したテクニックで、樹の意思ではっくできる時間が伸びる。
脳侵されるほうのデメリットはあまりない。
しかし、するほうは時間が伸びれば伸びるほど精神が″汚染″されていく。
文字通り、樹の命懸け能力だった。
「なんとかしてあかねの脱出経路も確保しなきゃならない」
樹は頭を捻った。
「あかねには酷なプランだが……。染井ハイウェイを抜ければあるいは……」
染井ハイウェイとは染井市の郊外から伸びる高速道で、隣町の河津市へと繋がっている。
オウガーの車は走っているかも知れないが、案外、交通マナーを守っていそうではある。
仮に車が突っ込んできたとしても脳侵でなんとかなるだろう。
その分、樹の負担は跳ね上がるが、そのプランなら脱出のチャンスは見いだせる。
ただ、″酷″というように、この住宅街から染井ハイウェイを抜けるにはおよそ20kmの距離がある。
ハーフマラソンと同程度だ。
女子高生の陸上競技では10kmを競うものが限界だ。
それ以上の長距離種目はない。
いかに過酷かがわかる。
いくら健脚なあかねであってもハーフマラソンは無理だろう。
そもそも短距離が専門だった場合は走破しきれないだろうし、長距離を鍛えていても無茶な数字である。
だが、樹はあかねの脚に賭けることにした。
直接会話をしたことのない2人だったが、脳侵によって互いの考えることはなんとなくわかった。
「そ、染井ハイウェイ!? でも……やる前から諦めるのは性に合わないからね!!」
あかねはシューズの紐をガッチリ締めると染井ハイウェイのインターに向けて走り出した。
その姿勢はまるで何かの競技に取り組むかのようだった。




