えまーじぇんしー
(プツン!!)
樹の眼の前は真っ暗になったが、すぐに視界がもどってきた。
少年は強い違和感を感じた。今までの自分ではないようだ。
「これが……脳侵か?」
本当に自分が他人の脳に侵入してしまったのかを確かめる必要があった。
肝心の顔は見えない。
自分で自分の顔を観察できないのと同じだ。
鏡でも無い限りは。
前髪をパサパサといじると視界に水色の髪留めヘアピンがちらついた。
髪はダークブラウンのショートボブだった。
身体も確認せねば。
樹は下心などとアホな事を考えている場合ではなかった。
少年は死に物狂いだった。
とりあえず、ペタペタと身体を触る。
その人物はセパレートタイプでオレンジカラーのランニングウェアを着ていた。
YAE HI SCHOOLとロゴが入っている。
「八重高校……?」
校庭の様子とウェアを見るからに陸上部のように見えた。
それにしても胸がない。男子なのだろうか。
申し訳ないとは思いつつ、少年は胸元をめくった。
スポーツブラを着けている。女子のようだ。
「あぁ……すんません……」
貧乳というやつだろうか。
本人ではないのに、樹はなんだかわびしく感じた。
ヒタヒタと手のひらを下の方に動かすと腹筋があるのが確認できた。
シックスパックのようなガチガチではないが、くっきりした美しいそれだ。
「すげぇな。女子でこれか。相当、鍛えてるんだな……」
無意識に下へと手をやると股間にあるはずのものがない事にいまさら気づいた。
「ッ!! これやっぱ女の子じゃないか!?」
樹は自分が誰かの脳に侵入していることを確信した。
「この娘が……繋人なのか?」
我に返ってあたりを見回すと空には赤い月が浮かんでいた。
辺りは薄暗く、夕暮れ時よりさらに暗かった。
どうやら夢か幻かというわけではなく、自分と同じ世界の出来事のようだった。
夢だったらどれだけ幸せだったったろうか。
オウガーが校庭に残った人や、校舎から逃げてくる生徒を襲っていた。
情け容赦ない連中だ。
もっともそんな概念がないのかもしれないが。
逃げ惑う人々(ひとびと)を助けたいのは山々(やまやま)だが、うかつに動けばこちらが殺されてしまう。
その時、向こうからランニングウェアを着た少女が走ってきた。
「はぁ、はぁ……あかね、大丈夫!?」
あかねと呼ばれた少女は呼びかけに反応した。
(この娘、アカネっていうんだな……漢字の綴りはわからんが)
ここで初めて樹は彼女の名を知った。
「あ、ああ。いや、ええ……」
そうこうしていると駆け寄ってきた少女はあかねに涙を流しながら抱きついてきた。
いきなり女子に抱きつかれて樹はドギマギした。
だが、次の瞬間。
「ハッハァ!! 若い娘の脳味噌、頂きぃ!!」
すぐに樹にはそれがオウガーの罠であることがわかった。
だが、がっしり掴まれて逃げることが出来ない。
友人の姿をしたオウガーは鉄球を片手で振り上げると、あかねの脳天めがけて振り下ろした。
「バチュュュュン!!!!」
アカネの頭部はスイカを割ったように四散し、眼球が吹っ飛んだ。
「あ″……ぐぎゃがぁっ?!」
アカネは頭部の骨が砕ける音と共に、うめくまもなく絶命した。
(プツン!!)
うわアアアッッッ!!」
樹は思わず頭部を抱えた。
形容しがたい激痛を覚えたのである。
気づくとまたもやあかねの主観に切り替わっていた。
「あれ……? この娘、確かに殺されてしまったのでは……?」
頭を触ると破壊された様子がなく、綺麗なままだ。
するとグラウンドの真ん中から誰かが走ってきた。
あかねに脳侵した樹は戦慄した。
さきほど、あかねを撲殺した少女が駆け寄ってきたのである。
「はぁ、はぁ……あかね、大丈夫!?」
この後に起こることが少年には視えていた。
「ぎゃあああァァ!!」
あかねの身体に脳侵した樹は思い切りヒトに化けたオウガーを突き飛ばした。
「てめェ……」
オウガーは牙を隠さずに醜い顔を晒した。
危ないところだった。
巻き戻しの能力がなければアカネは助からなかっただろう。
とっさの判断で樹は逃げ出した。
「無理だ!! 巻けるわけがない!!」
フィジカルに長けたオウガーからは逃れることは出来ない。
樹は絶望した。
しかし、どういうわけだろうか、少年は襲い来るオウガーを次々(つぎつぎ)と振り切った。
「し、信じられない!! 身体が羽のように軽い!! これが陸上部の力……!!」
樹は余裕で無数の喰人鬼を振り切って校庭の端まで駆け抜けた。
眼の前には胸の高さくらいの校門が待ち受けていた。
樹の身体能力ではとてもこれを越えられそうにない。
だが、あかねの身体ならなんとかなりそうだ。
そう確信した樹は少女のフルパワーを引き出して跳んだ。
そして片手を門についたまま、両足をひょいっとを門の外へと投げ出したのである。
「ううっ!! 高い!! 着地できるか!?」
すると侵した脳はしなやかな筋肉に命令をして、衝撃をいなし、無事に着地した。
「ガシャアン!!!! ガシャガシャ!!」
振り向くと背後の門の向こうに飢えたオウガー達が群がっていた。
門はそこそこ高かったので時間稼ぎ(ぎかんかせぎ)にはなった。
樹は自分がアカネへの脳侵に快感を覚えていた。
自分より遥かに優れた能力を発揮できるのだから無理はなかった。
彼女の脚で駆け抜けるのは状況を忘れて楽しくさえあった。
だが、すぐに少年は我に返り迂闊な行動を慎むように自らを戒めた。
そして樹は背後を見た。
相変わらずオウガー達は校門をガシャガシャ揺らしている。
(プツン!!)
切迫危機を乗り越えたからか、気がつくと樹は元の自分の脳へと戻ってきていた。
あかねは奇妙な夢を見ていたが、意識を取り戻した。
なんだか、自分が別人になっていた気もする。
「樹……少年……俺……誰かが私の頭の中に……?」
背後ではバケモノがガシャガシャと校門を突破しようとしていた。
「に、逃げなきゃ!! そうだ、お父さんとお母さんが心配!! スマホは……もう!! 部室棟のロッカーの中じゃない!! かといって取りに戻ってはいられない。とりあえず、家に帰ろう!! 服もこんなんじゃしょうがないし……」
セパレートのランニングウェアを着た少女は、携帯を諦めて自宅のある住宅地に向けて走り出した。
先ほど、全力疾走して、跳んだのがウソのような走りっぷりだった。
彼女は常人離れした運動能力を持ち合わせていたのだ。
向かうところ敵無し……と言いたいところだが非力な女子生徒であるということには変わりがない。
(プツン!!)
樹は自分の脳に戻ってきた。
そして彼はアカネの走力に着目した。
「なんてフィジカルだ。これなら走って染井を脱出できるんじゃないだろうか?」
さすがに距離的にそれは無理だと樹は首を左右に振った。
そんなことを思いながら、アカネの何気ない一言を思い出した。
「そういや、スマホスマホって言ってたな」
樹は素早く自分の携帯を取り出したが、一切の反応がない。
少年が目覚めるのを観察していた遊鬼はスマホを指さして笑った。
「キシシ。一部を除いて通信機器の類は使用禁止だよ。ズルっこなしだぜ」
どうやらスマホによる繋人や外部と連絡は不可能らしい。
ますます状況が絶望的になって樹は愕然とした。




