ほすぴたる
(プツン!!)
樹の意識が繋がった。この視界、聴覚、身体の重さ。
五感からするにこれは老人のジンだった。
「また俺の身体には戻らなかったか……」
ふと、このまま自分を見失うのではと少年は危機感を覚えたが、だからといって騒いでも何も始まらない。
樹はこの修羅の染井に染まるに連れ、なんの感慨も抱かなくなった。
こんな風になったのもすべて遊鬼の思いのままだ。
それも承知の上で、少年は歩き始めた。
「いいたろう。乗ってやろうじゃないか」
ジンの身体で樹は病院を見上げた。
「屋上のヘリポートまで向かうか……」
次の瞬間、静寂を破る咆哮が院内中にこだました。
「グガオオオオッッッ!! ゴアアッ!!」
公園で襲ってきた巨体のオウガーの声である。
「あいつか……。追ってきたな。ただでは通してもらえなさそうだな。どうせ生き残りは居ないだろう。さながら魔窟ってとこだな」
ここにきて樹は切迫危機の限界を悟ってきていた。
確かに巻き戻しで未来予知じみた事ができるが、連続で脳侵しすぎると、どんどん猶予時間が短くなっていくのだ。
切迫危機が切迫危機を呼ぶ悪循環である。
すると最終的にどうやっても対応が間に合わなくなる。
特にピンチになりがちなジンにとっては死活問題だ。
それを乗り切るには出来る限り切迫危機を起こさずに院内を進む必要がある。
しかし、ジンに関してはいくつかイレギュラーな点があった。
ジンの強力な信仰によって彼に脳侵している間は樹の能力が強化されている。
また、彼の場合は切迫危機が解除されても、他の繋人に切り替わらないようになっているようだ。
まさに侵入潜伏してくださいといわんばかりの追加能力だった。
「……これもゲームなんだな?」
ジンは病院を見渡した。
染井市立病院は3F建ての病院だ。
階数はさほどではないが、平地の面積はかなり広い。
地域を越えた医療の中核である。
今までのオウガーの行動パターンを鑑みるに、受付とロビーではお行儀よく並んでいるはずだ。
近くにエレベーターがあるはずだが、辺りは薄暗く、電気は通ってないようだった。
エレベーターは望み薄だろう。
2Fや3Fには灯りがちらちらと移動している。
そちらは看護師だったモノが行ったり来たりしているようだった。
ふと緊急ベルを使って撹乱する手も考えたが、おそらくハンマーのオウガーには通用しないだろう。
むしろ、追い詰められてしまう。同じ手が通用するほど甘くはない。
かといって正面切って入っていくのは愚の骨頂である。
病院の周囲を観察しながら巡ると通風口の入口があった。
「外れてくれよ……!!」
樹は錆びた鉄格子を思いっきり引っ張った。
「ガタン!!」
運よく通風口の入口が確保できた。
ジンの身体は華奢で、閉所を進んでいくには都合が良かった。
この病院には地下室があるらしく、格子から下を覗くと電灯が点いてた。
「非常電源が生きてるのか?」
樹は思い切り胴の下の格子を強打した。
こちらも経年劣化しているようで、あっさりと外れた。
格子を叩き落とすと、よろけながらも樹は地下通路に降り立った。
通路は細長く一直線で、1つだけドアがあった。
その端にはエレベーターが設置されている。
非常電源が生きているのだ。動いている可能性も高いと思えた。
通路途中のドアが気になる。
「なんの部屋だ……?」
樹は嫌な予感がしてドアを開けるのを止めた。
(プツン!!)
ドアを開ける前に切迫危機が来た。
すでにこの行動が死を招いているのだ。
エレベーターのほうへ行くとなんと誰かが降りてくるではないか。
「し〜んじゃったゴトーさん♪ ゴトーゴトーゴトーサァン♪」
間違いなくオウガーだ。
すると、背後の部屋のドアを蹴破って別のオウガーが出てきた。
「あんれぇ、わしは死んだんかえ?」
完全に挟み撃ちになってしまった。
「ゴトーさぁん!! 死んでなきゃダメですよぉッ!!」
「ナースさんにあいたくてのぉ!!」
2人は一斉にダッシュすると、絶妙なコンビネーションでジンにプロレスのようなラリアートを決めた。
それがギロチンのように決まり、ジンの首は真上に吹っ飛んだ。
そして頭は天井に激突すると、肉片の雨を降らした。
(プツン!!)
樹が脳侵に戻ってきた。
この場合はドアを開けなかったのがかえって裏目に出た。
このままエレベーターへ向かうとナースに殺されてしまう。
仕方なく少年は気配を抑えて部屋に入った。
そこは霊安室だったらしく、遺体が安置されていた。
もっとも、″ただ″の遺体ではないのだが。
部屋の外から歌が聞こえてきた。女性のそれなので、おおまかな位置は分かった。
「し〜んじゃったゴトーさん♪ ゴトーゴトーゴトーサァン♪」
すると死体だったオウガーがムクリと起き上がった。
樹は小石になったつもりで安置台の脇にしゃがみこんだ。
ジンの祈りで、この程度の下級オウガーを巻くのはお手の物だった。
「ナースさんに……ナースさんに会いたいだぁ!!」
そう言いながら″ゴトーさん″は廊下に賭け出ていってしまった。
なにか役立つものはないかと少年は安置台を調べた。
「ロウソクとか、お香とかあればいいんだが、今時分、火器のものは……」
すると樹は枕元に飾り気のある電灯を見つけた。
おそらくロウソクの代替品なのだろう。
「コレだ!!」
少年は照明をコンセントから素早く抜きとると、入口のドアに耳を当てた。
「んも〜〜、ゴトーさ、しし、死んでないとさ」
「わわし、死んでないんよ」
2人はエレベーター寄りの方で話している。
なんとかして反対側におびき寄せないとエレベーターに乗ることは出来ない。
ジンは隙を見て灯りを通路の反対側に投げつけた。
「カチャンッ!!」
廊下の奥から電灯の割れる音がした。
「まぁ、いたずずらっごかしら?」
「わしもみにいくぞ!!」
樹は息を止めた。
ドアの裏側をオウガー達が走り抜けていく。
しばらく経ってタイミングをうかがうと、少年は霊安室から飛び出した。
そのまま全速力でエレベーターに向って走る。
すぐに背後の2人のオウガーはそれに気づいた。
「おー、くそじじー!! しねしね!!」
「おまえもしねしねし!!」
バケモノは恐ろしく早い。かなりの距離を空けたつもりだったが、すぐに追いつかれそうになった。
「ハァッハァッ!! じいさんあとちょっとこらえてくれ!!」
ジンは老体に鞭打って走った。それこそ死にそうである。
だが、なんとかしてジンはエレベーターに滑り込んだ。
上りのスイッチを連打するが、2人のオウガーが手を突っ込んでくる。
何度も蹴飛ばして抵抗していると、オウガーの腕が巻き込まれてちぎれた。
そして4つの腕が昇降機に残った。
4本の腕は未だにワラワラと動いている。
これで切迫危機は回避されたように思われた。
しかし、脳侵の具合からすると、まだ気は抜けない。
(プツン!!)
再び、なにかしらの命の危機がジンを襲おうとしていた。




