ちぇいさー
(プツン!!)
「あっ、あーあーーーッッッ!!」
樹は思わず絶叫した。
久しぶりに自分の体に意識が戻ってきたのである。
だが、すぐにオウガー運転手に注意された。
「え〜、お客さん、運転中はお静かにおね〜しゃ〜」
周囲の視線もあり、思わず樹は恥ずかしくなってしまった。
だが、すぐに冷静になった。
自分の身体は気絶したままバスに乗り続けていたのだ。
とにかく今はここを脱出しなければならない。
少年は降りるボタンを押した。
「はい〜次は、そめいアーケード街、アーケード街でぇす」
バスが停まったので樹は降車した。
「おきゃくさぁん、困りますねぇ、お金は払ってもらわないと……」
樹はジャラジャラと多めに小銭を払った。
「はい〜。どうも〜」
ドアが締まるとバスは発車していった。
樹はなんだか調子が狂った。
乗員は皆、おそろしくフレンドリーだったからである。
校庭で避難訓練に参加した人達と同じで、今までと変わらぬ生活を送っている。
なんでこんなことになったのかと樹は激しい苛立ちを覚えた。
それを知っていそうなのは遊鬼しかいない。
姿をくらましてしばらく経つが、どうせ悪趣味な″ヤツ″のことだろう。
どこかしらで樹を観察しているのは想像に難くなかった。
少年が着いたのは八重アーケード街。
染井市の中心地にある大きな商店街だ。
名前の通り、透けた屋根が通りの左右にアーチのようにかかっている。
屋根とはいっても、雨よけを想定してのものであり、人が乗るようには出来ていない。
樹はあたりを見ながら愚痴った。
「まいったな。慌てて降りたものの、染井のド真ん中、リスクの高い八重か。さすがにあかねやベルのように走って郊外に逃げるわけにはいかないし……」
今までの感じからしてここにも生存者はいないだろう。
しかし、街の広さや人口の割にはあまりにも生き残りが居ない。
考えられるとすれば、やはりあの赤い月から滴る涙のようなものだ。
あれが降るたびに住人たちはオウガーへと変貌しているように見えた。
おそらく市内の残りの人間は全体の2割も残っていないだろう。
普通なら絶望感で呆然とするところだったが、樹は感覚が麻痺していた。
感情、感覚の鈍化は典型的な精神汚染の症状である。
彼は恐怖を感じるでもなく、アーケード街の南口から進入した。
この通りは南から北に抜けており、北側は染井市で最も栄えたエリアである。
大型商業施設や、高層ビルなどが並ぶ。さながら摩天楼だ。
とてもではないが、枝垂高校と同じ市とは思えないギャップである。
お登りさんのようにビルを見上げながら少年は進んでいく。
栄えたアーケード街だけあって、オウガーがウヨウヨしていた。
無闇な遭遇を避けるべく、樹は商店街の電灯をよじ登った。
商店街を覆うアーケードは鉄筋で組まれており、雨よけの半透明の屋根がついている。
雨よけ用ゆえにその強度は心もとないが、上で暴れたりしなければなんとかなりそうだった。
ただし、上から落ちたら大怪我は免れないし、オウガーの集中攻撃を喰らう。
不安定な足場に乗るのは苦肉の策だった。
少年は忍び足でアーケードの上を行った。
だが、異変があった。何かを引きずる音が進行方向から聞こえてくるのである。
「な、なんの音だ……?」
遠くに人影が見える。
「ガラガラガラ……ガランガラン……」
それは鉄パイプを引きずった菜穂子だった。
思わず樹は肝を冷やした。
「菜穂子、また会ったな」
少女は憂いに満ちた表情を浮かべた。
姿形は昔のままで、オウガーのように醜く変貌はしていない。
「樹くん、逃げて……お願い、早く、逃げて……」
彼女は儚げな雰囲気とはチグハグな得物をぶら下げている。
「逃げて」とこちらを気遣うように喋るが、その行動は攻撃的だ。
そのギャップがとても切なかった。
だが、ここまできて彼女の存在を蔑ろにするわけにはいかない。
「菜穂子……やめてくれよ。俺はお前と戦いたくなんてないんだ……」
少女は今にも泣きそうになった。
「私も。そんなわけないじゃない!!」
そう叫ぶと同時に菜穂子は鉄パイプを振り上げて突進してきた。
「いつきくん!! 止めて、止めてよ!! 死んじゃうよぉ!!」
彼女はアーケードを踏み抜きながら距離を詰めてきた。
「ビュゥン!! ブォンッ!!」
樹はなんとか鉄パイプをかわしたが、足元がビキビキと割れる。
どう考えても正攻法では勝ち目がない。
こういう時に脳侵で自分の切迫危機を読めればと何度も樹は思った。
しかし、不運なことに自分自身への脳侵は出来ないのである。
あれこれ考えているうちにまた樹は悪ガキ地味た策を閃いた。
そして、少女に向けて大声で叫んだのである。
「菜穂子、お前、また体重が増えただろ!!」
「ッ!!」
その一言で少女にわずかなスキが生じた。
すかさず少年は思いっきり少女を突き飛ばしたのである。
いくら怪力でも完全な不意打ちなら吹っ飛ばすくらいはできた。
「うぐっ!! ぐあっ!!」
「菜穂子!!」
アーケードを破壊しつつ、彼女は転がり倒れ込んだ。
樹はすかさず逃げ足の構えをとった。
しかし、少年としてはなんとしても一緒に来るように菜穂子を説得したかった。
正体はどうあれ、まだ人の心を失いきっていないように思えたからだ。
しかし、こんな相手にそんな悠長なことを言っていたら命がいくつあっても足りない。
そうこうしている樹の耳に異音が入ってきた。
少女は横たわったままアーケードごと鉄筋をねじりだしたのである。
信じられないレベルの剛力だ。
「樹くん…私はいいから……」
そう言い放つと彼女は捻れたアーケードを思い切り商店街に叩きつけた。
「メリメリメリ!!!! ズガガーーーン!!」
その衝撃によって商店街は崩落した。
樹はアーケードを全力で走ったので、何とか巻き込まれずに済んだ。
少年はすぐに街灯を伝って下り、足場を確保した。
顔を上げると染井市最大の商業ビル″YAEビル″がそびえ立っていた。
市内最高を誇る高層ビルで、上から見ると正方形をした独特の設計が特徴的だ。
「なんとなく都心部に来てしまったが……。オウガーは多いし、脱出のアテはない……。いや、待てよ……」
樹はあることを思いついた。
「YAEビルの紹介動画をみたことがあったな。確か、あそこにもヘリポートがあったはずだ。ジンのじいさんみたいに屋上を目指せばあるいは。救助隊が来てくれるかは怪しいが……」
樹はわずかなチャンスに賭けることにした。
「俺がこんなとこで死んでちゃあいつらに恨まれるからな……」
ポツリと独り言を言った次の瞬間、樹は激しい頭痛に襲われた。
「ぐがっ!! 次は……だれ…だ!!!!」
笑いながら手を振っている家族が見えたが、すぐにグチャグチャになった。
(プツン!!)




