りゆにおん
ようやく樹の身体に意識が戻ってきた。
彼は長いこと命ジリジリとした緊迫感と焦燥感に晒されてきた。
だが、自宅で休憩をとったことでわずかに頭が冷えた。
すると、いきなり自分がバカバカしくなってきたのである。
ソファーに手足を投げ出す。
「何が脳侵だよ。タチの悪い夢じゃないか。夢の中の人間が死んだってなんのことはない。もっと言えば、俺が死んだところでなんのこともない。どうなったってかまうもんか……」
すると見慣れた巫女服の少女が赤い袴をはためかせて覗き込んできた。
「ッッ!! お前!!」
遊鬼である。こいつの存在によって脳侵が現実であることを再確認させられた。
「そうシケるなよ。い・っ・き・く・ん」
「ッ!!」
樹は思い切り腕を振り抜いたが、あっさりかわされてしまった。
「ハッハ。いい加減、学習しなよ。あたいとあんたの関係性をさ」
だが、樹は抵抗することなく肩を落とした。
「あ〜、つまんねぇなあ。お前がそんなに萎えてると話になんねぇんだよな」
少年は赤い月が上る前のような厭世感に包まれて、脱力していた。
度重なる疲弊によって、絶望感が生存欲に勝ってしまったのである。
それに、人間、短期間でそうそう変わるわけでもない。
その時である。遊鬼はポツリとつぶやいた。
「……菜穂子」
「!!」
急に樹は顔を上げた。
「……菜穂子だろ? お前のトラウマの原点は」
その名は樹の逆鱗に触れた。
少年は部屋のものを手当たり次第、投げた。
だが、子鬼にはかすりもしなかった。
「それだな。お前は菜穂子を抱え込んでそんなイジイジ君になっちまったわけだ。それなら強制的にトラウマをこじ開けてやるよ。そしたらスッキリ脳侵に専念できるだろ? お前の厭世主義ごっこを解体してやるよ!!」
それと同時に少年は凄まじい頭痛を感じた。
まるで万力で締め上げられるようだ。
「ああああ!! うがああああァァァ!!」
子鬼はツノをいじりながらニッコリ笑っている。
「バカだなぁ。あたいがタネを埋め込んだんだから、お前の頭ン中をイジるのは造作もないに決まってるだろ。さぁ、何があったのかを見せてみろよ!!」
遊鬼はビシッと少年を指さした。
すると樹は突然、気を失ってリビングの床にうずくまってしまった。
(プツン!!)
まるで脳侵した時のようにセピア色の思い出が蘇ってきた。
泉菜穂子……俺と彼女とは小学生からの知り合いだった。
当時、同じクラスの連中は俺を揃って″一揆″と呼び、笑った。
あの頃から春己もそうやって茶化していた記憶がある。
そんな中、菜穂子だけは俺のことを″樹くん″と呼んでくれた。
相合傘を描かれたこともあったが、まんざらでもなかった。
そんなある日、染井市で失踪事件が起こった。
行方不明になったのは菜穂子だった。
マスコミもやってきて、大騒ぎになったが、結局、彼女は見つかることがなかった。
神隠しにあったら戻ってこない。
誰もがそう口にしたが、俺はそれを信じなかった。
だから血眼になって菜穂子を探した。
草木をかき分けて、寝もせず山の中を探した。
危険を承知で用水路の底をさらったりもした。
何十キロも先の海岸まで通ったこともあった。
砂浜を掘っても菜穂子は出てこない。
可能なところは出来る限り、死に物狂いで探した。
見つからないなくても諦めること無く、俺は彼女を追い続けた。
だが、ある時、ふと俺はポッキリと心が折れてしまった。
もはや見つかるわけがないと。
「いくら努力して足掻いたところで菜穂子は見つからないし、戻ってこない。何もかも厭になる。菜穂子の居ない世界なんてあってもなくてもいいし、どうでもいい」
そんな考えはいつしか姿を変え、漠然とした厭世感にすり替わっていた。
目を背けたい現実から彼は逃避していたのである。
(プツン!!)
セピアの回想から樹は戻ってきた。
「思い出したか? お前の封印していた記憶。菜穂子だよ菜穂子」
気づくと樹は慟哭に似た号泣をあげた。
「うっ、うっうっ……うわああああァァァ!!」
遊鬼は満足そうだ。
「いいぞ。泣け泣け。スッキリして迷いを吹きとばせ。そこに残るのは本当のお前なんだからな」
そうこうしているうちに誰かが玄関の扉をノックした。
「おっと、お客さんだぜ。出てみろよ」
すぐに樹は涙を拭った。
こんな状況でノックするのはオウガーでしか無い。
樹は身構えて、扉のカギをしめようとした。
すると酷く懐かしい声がした。
「いつきくん……いつきくん……」
それは聞き忘れるもない。間違いなく菜穂子の声だった。
思わず少年は玄関のドアを開けた。
そこには確かに菜穂子が居た。
美しい黒髪のロングヘア、鼻筋が通っていて目は大きく愛嬌がある。そしてあどけない唇。
居なくなった当時の彼女と何の代わりもない。
「菜穂子、ああ、菜穂子!!」
樹が少女の両肩に手を置いた瞬間だった。
少女は突如として少年の首をギリギリと締め始めたのだ。
異常な力で首をねじ切られそうになる。
遠のく意識の中で、菜穂子の叫び声が聞こえた。
「逃げて……逃げて樹くん!!」
暖かな声が心に響いてくる。
だが、それに反して菜穂子は語気を強めて叫んだ。
「私のことはいいから!! 早く逃げて!!」
ここに居るのは本物なのか、ニセモノなのか、オウガーなのか、ますますわからなくなってきた。
樹は反射的に玄関の観葉植物の鉢植えを持ち上げ、目の前の少女の頭に力一杯、叩きつけた。
「バガァン!! カラカラ!!」
鉢植えが割れて、菜穂子の顔は頭から流れた血で真っ赤に染まった。
「いつき……くん……。いつき…くん……」
樹は目をギュッとつむり、彼女を突き飛ばすと玄関から飛び出した。
彼は溢れる涙をこられられず、またもや泣いていた。
嬉しいのか、悲しいのか、希望を抱いているのか、絶望しているのか。
わけがわからなくなっていた。
赤い月に照らされるとどんどん気が滅入ってきた。
だが、薄暗い中で息を切らしていると、気持ちの整理がついてきた。
「あの声は……確かに″逃げて″って言ってた。あの声はきっと……」
樹は前を向くと泣くのを止めて顔を引き締めた。
「はは……俺。すげぇ泣き虫だな。きっと″アイツ″とはイヤでもまた会うことになる。その時、考えれば良いだろ」
今まで何事にも無気力だった少年は過去のトラウマと向き合った。
結果、形はどうあれ、仄暗い厭世感から解き放たれたのは確かだ。
そして本来の真面目で責任感のある性格を取り戻しつつあった。少し熱血漢も入っている。
もっとも、それくらいのバイタリティがなければ生き残ることは出来ない。当たり前のことだ。
ただ、皮肉にもアンニュイを吹き飛ばしたのは遊鬼の仕向けた計画通りでもある。
今度は樹の性格を更に″主人公向き″に″矯正″してきた。
″遊戯″は間違いなく、より面白い方に進んでいる。
そう小娘は確信してにんまりと笑うのだった。




