ばでぃ
頭の中がいっぱいのムカデで満たされた。
それは脳内を荒らし回った。
「カサカサカサカサカサカサカサ」
形容しがたい頭痛と不快感に襲われる。
少しずつ、確実に脳が蝕まれていく。
「うぐくくッッ!! うわぁぁぁーーー!!」
頭を抱えていると樹の意識がとんだ。
(プツン!!)
樹はこなれたかのように誰かに脳侵した。
「!?」
(なんだこれは!?)
繋人なのは確かなのだが、今までと感覚が違いすぎる。
二足歩行の不可、色彩感覚の異なり、言語の発声不可、聴覚、嗅覚の強化……。
なんというか、おそらく人間ではないのである。
一歩、前足を踏み出すと脚がもつれた。
「うおっ!!」
思わず声「こえ」を上げると自然と鳴き声が出た。
「ギャン!! ギャン!!」
樹はバランスを崩して転げてしまった。
「おい、ベル!! どうした? 大丈夫か?」
声の主の方を見ると。作業服を着てガッチリした中年男性が居た。
屈強そうな割に威圧感はない。
どちらかと言えば優しげな印象を受ける。
樹は四足歩行という未知の感覚をなんとか制御し始めた。
「まったく、犬の7歳じゃベル号もロートルか?」
前を歩く老齢の男性が冗談気味に笑った。
装備からして警察官のようである。2人は同僚なのだろうか?
樹は落ち着いて状況把握を始めた。
(この犬……ベル″号″という呼び名から察するに警察犬か!!)
樹は子鬼が″繋人は4人と1匹″と言っていたのを思いだした。
前を歩く老警官は自分の仕事内容をぼやいた。
「まったく、熊の目撃情報の確認、警戒と安全の確保だとよ。染井なんて大部分が山なんだから熊なんてめずらしいもんでもあるめぇよ。なぁ?アサカ」
愚痴った警官は苦笑いを浮かべた。
この犬のハンドラーの中年男性は″アサカ″というらしい。
どんな綴りだかかわらないのでアサカとしか言いようがない。
「おい、ベル。どうだ? 熊は居そうか?」
樹は嗅覚が異常なまでに鋭くなっているのに気づいた。
特にめだった獣の臭いはしない。
熊はもうここには留まっていないのだろう。
その時、急に視界がグレーっぽくなり、色の判別が鈍くなった。
近くのポストが灰色に見える。
おそらくこれは赤い月に違いない。
案の定、振り返った警官の顔は眼も鼻もベロも全部が飛び出していた。
チーズのように眼球がトロリと垂れる。
それをオウガーになった男は、はめなおした。
「なァアサカァ、あっしなァ、ジュー、一度はうってみたくてなぁ。目がはみ出るとこまるわけよ」
すると老いた警官は素早く拳銃を抜いた。
「パアァァン!!」
山奥に乾いた銃声が響く。
その銃弾はアサカの眉間に直撃した。
凄まじく早く、精密。
(プツン!!)
またもや巻き戻しが始まった。
今度もベルに脳侵しているらしい。
(これも1人と1匹でセットみたいだ!! なんとかしてアサカさんもベルも生存させないと!!)
樹は犬が好きだ。
そのため、犬の気持ちを想像すればうまくベルの身体が動かせるのではないかと考えた。
出会って間もないが、ベルはとても賢く、良い犬だと思えていたし。
そしていよいよ赤い月があがってきた。
老警察が振り向く素振りをみせた時、樹は激しく唸った。
「ガルルルル!!!! グルルルルル!!」
すぐに異常に気づいたアサカは身構えた。
彼とベルとは長年のバディであり、互いにある程度の意思疎通が出来ていた。
「おで、ジューを……」
警官が拳銃を構えると同時に樹は思いっきりアサカに体当たりをかました。
「パァァァン!!」
乾いた銃声が響いたが、アサカは樹にふっ飛ばされたためにそれは命中しなかった。
2発目が来る!! そう危機感を抱いた樹は突進してオウガーのニ(に)の腕にくらいついた。
「はなせぇ!! ばぁなぁぜー!!」
いくら暴れても噛みつき続ける。警察犬だから出来る芸当だ。
すると、喰人鬼の手から拳銃がこぼれ落ちた。
アサカはヘッドスライディングするようにしてそれを拾い上げた。
「どういうんだこれは……」
赤い月、上司の変貌、奇行、そして殺意。
アサカは激しく困惑した。
そのまま片手に拳銃を持ったまま上司に接近する。
(あっ、危ない!!)
樹が危機感を感じる中、男性はオウガーに強烈な蹴りをかました。
相手は仰向けに叩きつけられ、激しく地面を擦った。見事な格闘術だった。
(この人……強ぇな!!)
だが、まだ老警官は平然と起き上がってくる。
「なんてタフなんだ……。バケモノか? いや、バケモノだな……」
その時、樹は鋭くなった聴覚でなにかの音を聞いた。
「チョロチョロチョロ……」
水音が向こうからする。おそらく用水路だ。
樹は飼い犬と一緒に用水路から老婆を助け出した時の事を思い出した。
用水路という緩い響きに反して、水深が深いところもあれば流れが急な場所もある。
下手をすれば溺れてしまうことも珍しくない。
四足の少年はアサカのズボンの裾を目一杯、引っ張った。
「グルルルルルルッッ!!」
ただならぬ相棒の様子にアサカは戸惑ったが、すぐに樹の誘導先へ向った。
音の通り、そこには用水路が流れていた。
土手のくぼみを利用したような造りだ。
かなりの高低差がある。
すぐに警察官のオウガーが走ってきた。
バケモノだからか歳の割には恐ろしく脚が早い。
警棒を抜き出して、殴りかかってくる気マンマンだ。
するとアサカは腰を落として構えた。
樹がオウガーに飛びかかろうとした時、振り下ろされた警棒をアサカはひらりとかわした。
そのまま一本投げを決め、オウガーを用水路に叩き落とした。
「ヴァー!! 俺が泳げないの、しってるゔぁあーーー!!」
そう絶叫しながらオウガーは流れていった。
「ふぅ……始末書確定だな。しかし、こんなことならしっかり装備を整えてくるべきだった」
アサカは鑑識用の作業服を眺めて憂鬱な顔を浮かべた。
そして腰のポーチに拳銃を忍ばせた。
どうやら彼も警察官のようである。
それだからか、凄まじい戦闘能力だ。
いままで出会った中でもっとも強靭だと言えた。
ただ、相手はあのオウガーである。バケモノにどこまで通用するかは未知数だった。
「それに何だこの赤い月は。まるで血染めみたいじゃないか」
男性はそう言いながら樹の頭をワシャワシャと撫ぜた。
少年はとても嬉しい気分になった。
「しかし、どうしたものか……」
オウガーを蹴りつけたあたりにキラリと何かが光った。
「パトカーのカギ……か。僥倖だな」
そしてアサカとベルは車に乗り込んだ。
そして警官は拳銃の残弾数を確認した。
「使いたくないところだが……4発……か。心許ないな。」
そして車内にある無線で本部に連絡を取った。
「こちら、アサカタカシ。警察署本部へ連絡」
「ザーザーザーザー……」
だが、ノイズで繋がらない。スマホも見てみるが、電波がきていない。
「そんなバカな……。ともかく、署に戻って報告する必要があるだろう。なんとなくだが、先輩だけああなったとは思えない」
樹は獣の直感で嫌な感じがしていた。
あかねの脳で見たように都心部はオウガーだらけである。
その中に車で突っ込んでいったらどうなるか。
あっという間に取り囲まれてバラバラの肉塊にされてしまうだろう。
樹はアサカを引っ張った。
「ウゥウウウーーー!! ウウッ!!」
警官は困った顔をした。
「どうしたベル!! お前、なんだかおかしいぞ!!」
短くため息をつくとアサカは樹を再び撫ぜた。
「わかったわかった。ここいらのパトロールから始めることにしようか。それにしてもこの怪現象はなんなんだ……」
少年は喜びの雄叫びを上げた。
「ウオ〜〜〜ン!!」
すると脳侵は切れ、樹の意識は元の脳に戻った。
「プツン!!」
おそらくこの雄たけびの時点で切迫危機の回避が(かくてい)確定したのだろう。
これが遊鬼の言うゲームだというのだろうか。
そうだとしたらあまりにも悪趣味だ。
疲労が激しく、樹は無警戒にうとうとしてしまった。
結局、そのまま眠りこけてしまい、少年は束の間の休息につくのだった。




