まみー
「プツン!!」
樹は誰かに脳侵した。
そこはスーパーマーケットのようだった。
手に暖かみを感じる。見上げると少女は妙齢の女性と手を繋いでいた。
小柄で、暗い茶髪で弱気な印象を受ける。
足元を見ると自分の背丈が酷く小さいのがわかった。
(これ……子ども……女の子だな? この娘が繋人? と、なると……この人は……?)
樹は慎重に隣の女性に声をかけた。
「お、おか、お母さん?」
「なぁに? ″リコ″ちゃん」
樹から呼びかけられた彼女は微笑みながらこちらを見た。
この″お母さん″の名前はわからない。
普通、子どもが母の下の名を呼ぶことは少ないからだ。
結局、母の名前はわからずじまいになりそうだった。
そんなお母さんが声をかけてきた。
「今日のお夕飯、何食べたい?」
樹は咄嗟に答えた。
「そばかな」
するとお母さんは怪訝な顔をした。
「え? リコちゃんおそば嫌いじゃないの? パスタは?」
樹は思わずヒヤッとした。
「ううん。パスタでいい!! パスタにする!!」
誰かになりきるというのは思いの外、難しいのだと。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
脳侵した少年はあたりをキョロキョロと見回した。
赤い月がのぼる前だからか、スーパーにはオウガーが居なかった。
次の瞬間、樹は血の気が引いて真っ青になった。
ここは彼の母、美波の勤務しているスーパー「ソメイマート」だったからだ。
すると、いきなり地獄の沼のような色合いの月光が店内に差し込んできた。
外から窓ガラスを破って連中は侵入してくる。
そう考えるのが自然だったが、樹は周囲を警戒した。
普通の人間がそのままオウガーになるケースを見てきたからである。
気がつくと″リコ″達は喰人鬼に囲まれてしまっていた。
恐ろしい速さで男のオウガーが少女の母を羽交い締めにした。
ふいの出来事で樹は反応することが出来なかった。
オウガーが力を込めると、母からはまるで割り箸をパキパキと折るような骨の音がした。
折れた骨が内臓を貫いて身体中から飛び出した。
内臓を貫通したため、夥しい量の血を吐いた。
「ぎゃあ!! があぁ!! あがあが!! ごぼごぼぶぅッッ!!」
まるで自分の血で溺れたようだった。
そしてお母さんは白目を向き、マリオネットのようにだらんとなって絶命してしまった。
「プツン!!」
「!?」
樹は驚いた。
少女自体は死んでいないのに、彼女の母が死んだ瞬間、意識が途絶えたのである。
これは間違いなく″お母さん″の切迫危機だった。
少年はすぐに推測を立てた。
「多分、この2人はセットなんだ!! なんとかして両方を生還させないと!!」
すぐに樹に意識が戻ってきた。
樹はリコの母を見上げた。このままだと母は惨殺されてしまう。
少年はフルに頭を回転させて突破する術をあれこれと考えていた。
そして彼は閃いた。
(うまくいってくれよ……!!)
樹は母に頼み込んだ。
「ねェ、スマホ貸してよ〜」
保護者は呆れたように答えた。
「もう、またゲーム? ほどほどにしないと……」
母からスマホをふんだくると同時に樹はスーパーの入口に走った。
あかねの走力とは格が違うものの、このリコという少女もちょこまかと小回りが効く。
そして少年は店外にスマホを放り投げた。
母は頭を抱えて店の外に駆け出した。
「えぇえ?! 何考えてるの!?」
彼女は突然、スマホを放り投げた娘に驚きを隠せなかった。
母が飛び出した直後、背後の扉はバケモノに塞がれていた。
「ニンゲンのガキンチョうまい。今、取り込みちゅ〜、立ち入り禁止。禁止(きんし〜)」
ワラワラと扉の内側にオウガーが集まってきた。
リコの母は腰を抜かし、店の脇にあるダンボールの山に身を隠した。
彼女は娘の身を案じてはいたが、恐怖のあまり腰を抜かして動けなかった。
こうして、なんとかリコの母をスーパーの外に逃がすことに成功した。
一方、スーパーの中では樹の脳侵した少女が危機を迎えていた。
「母さん……死なないでくれよ!!」
もし、運悪くリコの母が見つかったらそれでお終いだ。
だが、今はこちらを切り抜けるのが先だ。
樹は果物を踏みつけながら、台の上に躍り出た。
「ほらほらお前ら、こっちだ!! こっちへ来い!!″母さん″は殺させない……!!」
すると店内のオウガーがゾロゾロと集まってきた。
店内で騷ぎが起こらないところを見ると生存者は絶望的に思えた。
オウガーは5〜6人くらいは居るだろうか。
「っしゃ〜せ〜」
「肉、売ってるおにく」
「う〜ん、樹くんの臭いがするわ」
「こどものにく、にゅうか〜」
「迷子のご案内はカウンターになります」
知能の高いものと低いものが入り混じっていて非常に不気味だ。
樹は嫌悪感を覚えた。
そして少年は思わず声を上げそうになった。
樹の母、美波が混じっていたのである。
見た目もたいして変化がなく、母そのものである。
樹は激しく動揺した。
しかし、なんとかして連中の注意をそらさないとスーパーからは逃げられない。
その時、樹は遊鬼の言葉を思い出した。
「こいつらはオウガー。人の″血と肉″が3度の飯より好きなバケモノさ」
″血と肉″が好きということはもしかして。
樹は全力で走り出した。スライディングで大人のオウガーの股を抜ける。
そして、精肉コーナーにたどり着くと手当たり次第に生肉をぶちまけ始めた。
店内が生肉特有の臭いで満ちる。
牛、ブタ、鶏、果ては魚の臭いまで混じった″悪臭″である。
少年は鼻が曲がりそうだった。
「うわ……やりすぎた。くっせぇ!!」
思わず声を上げてしまい、慌てて樹は伏せた。
すると精肉コーナーに次々(つぎつぎ)とオウガーが群がってきた。
樹の作戦は見事に成功した。
だが、まだ2人ほど店内を徘徊している。
1人目は樹の母である美波だった。
見てくれはあまり異変がみられない。
「樹くうん、樹くぅん? 臭いがするよ。いつきくん……」
樹の肉体はここには居ないはずなのだが、なぜだか臭いがわかるらしい。
もう1人は狂ったように迷子を探している。
制服を着ているので誰かの母というわけではないらしい。
カスタマーサービスといったところだろうか。
迷子を見つけたら殺しにかかってくるだろう。厄介な相手だ。
「迷子を探しています。どなたか見かけませんでしたか?」
こんな非力な少女ではオウガーを倒すことなどできないと思われたが、少年は悪知恵を働かせた。
こっそりショッピングカートを持ち出すと、下の段にありったけ米の袋を積んだのである。
そしてそれを力いっぱい押した。
カートはいい塩梅に加速した。
そしてそれは樹の母に背後から激しく衝突した。
「きゃあああ〜〜」
母、美波はカートに巻き込まれながら悲鳴を上(あ、さ)げて吹っ飛んでいった。
「グアシャぁぁぁぁンンン!!!!」
そして美波は店のガラスをぶち破って外に投げ出された。
ガラスにはベッタリと血がへばりついた。
樹は思わず目を背けた。
すぐに迷子探しが反応した。キョロキョロとあたりを観察する。
「迷子、迷子はどこですか?」
樹は逃げ回ったためにバテて、汗をだらだらかいた。
身体能力はただの少女である。無理はない。
そしてなんとか棚の陰に隠れた。
「ハァ……ハァハァ……」
このオウガーは肉の匂いにも反応しなかった。
どうにかして別の方法でおびき出す必要がある。
少年は目をつむっていつものスーパーの光景を思い浮かべた。
「!!」
何かを思いつき、樹はレジの方へ走った。
そして片っ端からレジスターをガチャガチャいじった。
樹は開いたレジスタに手を突っ込んで小銭を床に叩きつけた。
「ジャラジャラジャラッッッ!!」
大量のコインが落下して物音を立てる。
同時に樹は大声を張り上げた。
「3番レジ!! 3番レジ。お願いします!!」
カスタマーサービスの業務をレジ打ちに切り替えたのだ。
「はぁい!!」
向こうから返事がした。間もなく迷子探しのオウガーがやってくる。
「あぁ、誰よこんな風に散らかしたのは……」
うまいことオウガーの注意を引きつける事が出来た。
こうして樹はスーパーからの脱出に成功した。
すると入口付近で隠れている″リコのお母さん″と合流することが出来た。
だが、もうひとりの″お母さん″もやってきた。
「いつきくぅん、いつきくんの臭いが、いつきくううん……」
全身にガラスが刺さった血まみれの美波がペタペタと近づいてくる。
リコの姿をした樹から自然と声が漏れ出た。
「か、母さん。お仕事、ご苦労さま。もう……いいんだよ。疲れたろ? もう、休んでいいんだよ……」
すると痛々(いたいた)しい見た目の美波は両膝をついたままピクリとも動かなくなった。
「いつ…ん……ありが……」
(プツン!!)
そして脳侵は切れた。母とリコはなんとか切迫危機を乗り切ったようだった。
「うえ〜ん、こわかった、こわかったよぉーーー!!!!」
母と娘は恐怖のあまり泣きながらへたり込んだ。
だが、樹もまた母との不幸な別れに号泣していたのだった。
少年は涙が止まらなかった。
そして数秒の間、頭の中がぐちゃぐちゃのグルグルになった。




