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石煉瓦の牢獄。部屋の中には拷問具が転がり、腐った木の椅子が地面に散乱している。
中にいた囚人のデーモンは俺の攻撃によって消え去り、その落とし物たる銀貨が転がっている。
牢獄の扉は閉じられた。あれこれとするよりも先のことを考えたほうがいい。俺は地面の銀貨を拾い、息を吐く。少しだけ落ち着く。
そうしてから通路を挟んで対面に設置されている牢獄に向かって、いや、その中にいる女に向かって声を掛けた。
「どうして、お前がここにいる?」
『斥力の聖女』カウス・アウストラリス。
盾の騎士アザムトによって、料理人のデーモンや修道女のデーモンがいた階層、そこの大穴より突き落とされた女だ。
無論、落とされたのはこの女だけではない。もう2人、お供の騎士と下男も落とされている。眼の前の牢獄にその姿は見えないが。
「ええ、その、護衛の騎士によって大穴から突き落とされまして」
上の穴、知っていますか? と聖女の手が階層を貫くようにして指し示される。
「そのあと、この階層を彷徨っていたところデーモンどもに捕まりました。他の2人も同様に」
――おかしい。
「彼らと引き離されてまだ数日。無事だといいのですが」
――落ち着きすぎている。
聖女は俺に向かって微笑んでくる。
「キース様はどうしてここに? ああ、いえ愚問でしたね。貴方は辺境人ですもの。もちろんデーモンたちを倒しにここまで辿りついたのでしょう」
金髪碧眼。修道女然とした美しい聖女。姿形は同じだ。見間違えようがない。
だが、なんだ? 眼の前の聖女から垂れ流される濃密なまでの聖なる気配は。
以前とは、格が違う。
いや、違う違うそうではない。この女、さっきなんと言った?
(キース、様、だと……)
以前はキースと不躾に、野良犬に声をかけるが如くに呼んでいた筈だ。
だからこそ気づく。俺は自然と片膝をつき、彼女に向かって頭を垂れていた。
「失礼した。斥力の聖女殿」
――この聖女、以前と中身が違う。
この女に仕掛けられている呪術を思い出す。世界規模の類感呪術。ただの村娘を聖女とする呪術だ。
そして彼女はここに落とされて数日といった。その数日の間にお付きの2人と引き離されたとも。
それは即ち、安全装置たる幼馴染の下男の身に何かがあったということだ。記憶が飛んだか、死んだか、それで彼女に掛けられていた安全装置とやらがなくなったのだろう。
この女の元となった少女の名前を知るものはこの世にはもう誰もいない。
ならば即ち、この女の真名はカウス・アウストラリス。真実、斥力の聖女となったわけだ。
未完成のままにされた呪術の完成が、俺の目の前で微笑んでいる。
「そう畏まらなくとも結構です。キース様。いえ、その装い、騎士キースと呼んだほうがよろしいでしょうか?」
「お好きになさってください。俺は神殿騎士の位を授かりましたが中身は以前の農夫のままですよ」
そうですか、と聖女様は顎に手をあて、では、キース様と、と笑んで言う。
「それで、どうしますか? 帰るだけならできますが」
聖印とスクロールを聖女様に見せる。ここに一時的に聖域を張り、脱出することは可能だ。この鉄格子。人は通れないが物品を投げる程度の隙間ならばある。
ああ、と聖女様が手を振った。
「鍵をあける程度ならばこうして楽に。何しろ私は斥力の理を授かっておりますから。ものの働きを操作する程度、わけはありません」
軋みながらも開く扉。俺が驚いている間にも、聖女様の手によって俺の側の牢獄の扉も開いていく。
「鍵もなしに。それが斥力、とやらですか?」
斥力の聖女。俺はその名前を知っているだけだ。斥力とやらがなんの力かはわからない。
だが見る限りかなり万能な力、なのか?
「鍵を開ける権能ではなく、物質と物質の間に反発力を……。あー、まぁ、そのような力です」
なるほど。と俺は頷いてわかったふりをする。わかったふりをしたことをわかったのか聖女様が立ち上がって、では、と牢獄から通路へと出てくる。
「外に出るにも丸腰では何もできなかったのです。騎士様、共に私の弓を探していただけますか?」
手を差し出してくる聖女様に、承った、と俺は自信もたっぷりに頷いて見せるのだった。
◇◆◇◆◇
当然ながら、聖女様と共に、ともなれば探索は容易に進んでいく。
呪術的な知識を俺は持たないが、聖女様は持っている。故に、このフロアをいくらか歩くと、彼女はすぐに構造を見抜いたのだ。
「これは無限牢獄の呪ですね。それなりに長い一本道を用意し、その端と端をつなげ、閉じてしまう呪です。入れば出口も消えてしまうので、侵入者は同じ場所を延々と歩かせられる仕組みを持っています」
「解呪する方法はわかるのでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。それと、キース様。もう少し砕けた言い方で結構ですよ。あなたが私を敬っているのは仕草からわかります。ですが、あまり緊張しすぎても戦うには害でしょう」
不覚である。肩肘張ってしまっているのも伝わってしまっているようだった。
聖女様がそう言うので、俺はでは、と咳払いしてから「解呪方法はわかるのか?」と言ってみる。
(ものすごい違和感だな)
類感呪術で作られた聖女だとわかっていても、これほどまでに強い神秘を持った相手であれば俺とて頭を下げたくなる。
それに……。この人はどうしてか俺、いや、辺境人に敬意を払ってくれている。
俺は侠者だ。敬意には敬意を返したい。が、それで迷惑をかけるなら肩から力を抜いて接するべきなのだろう。
勿論、ユニオン大神殿の第三聖女にされたことは覚えている。忘れるわけがない。
(だが、だ。そもそも中身が変わっている。記憶は受け継いでいるようだがもはや別人)
故に、この人との間に争いの過去はないのだ。
「では、ここで止まってください」
聖女カウスが指し示した位置に俺は立ち止まった。
「いいですか。私が動きを止めます。キース様が破壊してください」
「ええと、聖女カウス。何を……?」
石畳に強い振動が伝わってくる。
俺はメイスを片手に立っている。盾もだ。何が来ようと……。何が?
見れば、聖女カウスは弓を構えている。腑抜けた俺を見て、お早くと言ってくる。
聖女カウスには、とりあえずこれをと銅兵から手に入れた魔鋼の銅弓を渡していた。銅弓は呪術的な知識がなければ使えない武具ではあるものの、聖女である彼女ならば問題はない。
俺が扱えば金属の塊でしかないそれは彼女の手の中で本物の弓のように扱われている。
彼女が銅弓に番えるのは村で買った木製の矢だ。100本ほど渡した。
無論、彼女は俺のような特別な袋を持っていない。渡してから持てないとも思ったが、彼女はそれをどういう方法か空中に異界穴を作って矢を全て仕舞い込んだ。
その穴が傍らには開いている。そこからは矢羽が聖女カウスに向けて飛び出ている。
――聖女カウスは戦闘準備を終えている。
「キース様。来ますよ」
おいおい、と俺は聖女カウスが弓を構えた先を見る。
地面の振動はこれだ。俺が牢へと閉じ込められた原因。
「せ、聖女カウス! な、何が来るかを先に言え!!」
「あら、知っているかと」
「黙ってろ!!」
あれを破壊してください、だと? くそ、先に言えそういうことは。呪術の基点でもあるのかと思って呆けちまったじゃねぇか!
糞、メイスでは完全に力不足だ。これは優れた武具ではあるものの、俺よりも巨大な鉄の球を破壊するための武具ではない。鉄球が壊れるまで叩き込み続ければどこかしら損壊してしまう。
ではハルバードか? 剣か? 槍か?
どれも否。否だ。否に決まっている。
俺は篭手を外して袋に叩き込んだ。
代わりに浄化特化の聖水を袋から取り出し半分を飲み干し、半分を拳に掛ける。視界の先に鉄球の影が見えた。もう時間はない。
それでも「ではついでに」と聖女カウスが「星と運命の神クエスよ。かの者に星撃の祝福を」とつぶやけば俺の拳に何かの奇跡がかかる。
星神クエス。俺のマントの素材となった星牛の持ち主たる神だ。
夜空を彩る星々の輝きが俺の手にぽつぽつと浮かんでくる。流れる星を意味するかのように光の帯が俺が腕を動かした端から発生する。
精神の高揚と共にオーラの高まりを感じる。どんな奇跡か詳細はわからないが、拳一つでは少しの不安があった。ありがたい。
「少し奇跡の力が弱まりましたね。ここまでの深層ともなると善き神々の力も完全には届かないようです」
「いや、助かります」
言いながらも鉄球本体が正面から迫ってくる。やはり鉄球の前に突っ立っていたスケルトンが潰される。それを見て少し汗が流れる。あれを止める? どうやって?
俺が考えている間にも聖女カウスは矢を放つ。それは鉄球にぶつかると鉄球の勢いを完全に止める。
(おいおい俺が渡したのは木製の矢だぞおい。それ一本でスケルトンを押しつぶすほどの、俺よりもでかい、鉄の塊を? どんな力が働いて)
斥力ってのが何かはわからないが、ここまでできるものなのか?
「申し訳ありません。少しは削れるかとも思ったのですが、現状、反発させて止めるのが関の山のようです」
言いながらも聖女カウスは次々と矢を放つ。止められたものの再度転がろうとした鉄球は動き出しを狙われ、その場にとどまることしかできていない。「キース様! 今です! お早く!!」と急かされるが俺も驚愕は脱していた。そうだ、何も難しいことをやれと言われたわけじゃねぇんだ。
(壊せばいい。止まっている相手を、一方的に)
考えなくていい。楽な仕事だ。身体の内側でオーラを練りつつ、踏み込み、拳を構え、鉄球に向けて剄力を叩き込む。
手応えはない。鉄の塊を殴ったような感触が掌に帰ってくる。いや、真実これは鉄塊そのもの。押しつぶされれば死ぬ。そういう類の難敵だ。
だが俺は止まらない。相手の反撃はない。オーラを練ることだけに集中し、掌を次々と鉄球相手に叩き込んでいく。
(こいつは銅兵相手に使った内部浸透の剄だぜ)
この鉄球。強い瘴気を感じる品だ。恐らくただの鉄球ではないし、鉄球はなんの動力もなしに斜面でもない通路を勝手に回転はしない。
確実にデーモンの一種。鉄球のデーモンといったところか。
だからこそ、物質相手に効果の薄いオーラ、それに加えての特化聖水に星神の奇跡はてきめんに効くことだろう。
ただし今回は銅兵相手のように、先に打撃をぶつけて弱所を生み出していない。しかし、立ち止まっている相手ならば問題はない。ないのだ。
聖女カウスに渡した矢が尽きる前にと俺は次々と掌を叩きつける。
――先へ。先へ。その奥底へ。
鉄球の中心には核がある。龍眼が教えてくれる。この鉄球のデーモンには核があるのだと。
そして本来こういった鉄の塊のようなデーモンは武具や奇跡で削りに削って核を露出させてから殺すものだが、こうして置物のようになっているならば――
「疾ッ! 破ッ!!」
「キース様! もう矢がなくなります! お早く!!」
わかっている、と無言で腰をひねり、「これで、終わりだ!!」掌を通して全身のオーラを一気に叩き込む。
(通った!!)
びくり、と鉄球が生物的に振動をはじめる。転がるような動きではない。仕留めた感覚が拳にある。断末魔の悲鳴のようなものだ。
俺は背後へと下がると、聖女カウスにも下がるように肩に触れるか触れないかの位置に手を置く。触れるのは流石に不敬だ。
「やりましたか」
「確実に」
そうですか、と聖女カウス。2人して鉄球から距離をとる。何もしなくとももう奴は転がることはない。
聖女カウスが相手の動きを止めている間に俺は奴の体内にオーラを打ち込み続けた。
それで相手の身体の中に、一時的に生命の道を作り出した。放っておけば消えるダメージにもならないものだ。
だが最後、俺はその道を使い、鉄球の核に向けて浄化と星の力の籠もったオーラを打ち込んだ。打ち込めた。
拳の伝わる感触が教えてくれた。あの瞬間、鉄球の核が砕かれたことを。
ぴしり、と鉄球に罅が走る。
どろりと罅から血液のような液体が噴出する。
鉄球が萎びた果実のように丸みを失い、地面には鉄の皮だけを残る。だが、それも消えていく。残るのは金貨と奇妙な金属塊だけだ。
それらを拾い、袋に収める。ついでに復活したスケルトンが襲ってきたので袋からメイスを取り出して頭をカチ割ってやる。
「珍しい死に方だったな。核だけ綺麗に破壊することなんてないからか」
「お美事でした。キース様」
「ああ、聖女カウスも。ご助力ありがとうございます」
本来は、相手に魔女や強いデーモンがいるわけでもないのに、聖女様に戦わせるなどあんまり褒められたことではないのだ。
それでも、聖女カウスは、いえ、助かりましたと首を振り、ああ、忘れていましたと俺に向かって一礼してみせた。
「今更ですが自己紹介を。私は『斥力の聖女』カウス・C・アウストラリス。以後よろしくおねがいしますね。キース様」
これはなんとも綺麗な聖女様だな、と俺は思わされた。




