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鉄球のデーモンを倒したことで無限牢獄の呪は解かれた。
目の前に、通路を覆うように靄が現れる。俺が一瞬警戒するも、聖女カウスは問題ないというように靄の先へと歩を進めた。
「呪的に通路を閉ざしていた残滓のようなものですよ。いずれ消えるもので、触れてもなんら問題ありません。そも、キース様は……?」
ひょい、とこちらに近づいてきた聖女カウスが俺に向かって鼻を近づけてくる。強い神秘を持った、金髪碧眼の美々しい聖女。劣情さえも抱けないほどの神聖さだ。
俺の身体が緊張で固まる。だが顔を寄せてくる聖女カウスはすんすんと鼻を動かした。
「懐かしい、古い神秘の匂い」
神々、龍、妖精、ドワーフ、エルフ、ヴァンパイア、大陸の尊き血族。
「そして、辺境の土の匂いと」
その手が俺の首に伸びてくる。なにを、と下がろうとして壁が背に当たる。聖女カウスの手が触れたのは俺の首にかけてあるネックレスだ。
「聖撃の聖女たるエリノーラお姉さまの生きた一部」
俺は気合を入れるべく深く息を吸って、しまった、と思った。身を寄せてきた聖女カウスの香りに頭がくらくらとする。くそ、くそ、成ったばかりだからか、そもそも制御する気がないのか、聖女カウスが無意識に垂れ流す強い神秘に酔い掛ける。
それでも気合を入れて手を動かし、俺のネックレスを手にとろうとした聖女カウスの柔らかな手に俺の甲冑に覆われた手を沿え、押しのける。
「聖女カウス。そこまでに。はしたない」
言われ、まぁ、と頬を染める聖女カウス。そうしてぐっと身を寄せてくる。
ぐぬぬ、と俺の顔がしかめられる。甘い神秘が脳を焼いてくる。
「まぁまぁ、キース様。騎士たる貴方がお可愛いことを」
「だから寄るなと! 俺には妻がいる! 俺に不貞を働かせる気か!!」
姉とはいえ、リリィの原初聖衣の為に、微妙な雰囲気がたまにあるのだぞ俺たち夫婦には。
それに、あんなにも良い女が俺を連れ合いとして選んでくれたのだ。オーキッドには誠実でいたい。故に、聖女様とてあまり寄せ付けたくはない。
「それに聖女カウス! 神聖たる神の娘たる貴女が安々と男に触れるなど、はしたない!」
あらあら、と驚いたような顔をする聖女カウス。
「まるで修道士のような固さですね騎士キースは。こうしてお姉さまの一部まで身につけているのに。というより、よく許しましたね聖女エリノーラともあろう者が、辺境の一戦士でしかない男に肋骨まで授けるなど」
「それはどういう?」
「いえ、いえ、そもそもキース様はあの弱々しい有様からよくぞここまで生きて辿り着きました。これはゼウレの試練でしょう? 生存率の極めて低い。ああ、だから? だから自身の一部を? なるほど。我が姉ながらなんと度し難い父狂いか。ゼウレへの信仰に、そこまでしますか」
「いいから」
俺から離れろ、と聖女カウスを押しのける。くすりと淫らな笑みを浮かべた聖女カウスが「振られてしまいました」と唇を舐めた。
「冗談にしても相手と場をわきまえていただきたい」
聖女カウスに聖衣のマントを広げて見せ、俺には妻がいることを示す。
その俺の様子に、ふふふ、と聖女カウスが笑ってみせる。馬鹿にしてるのかと怒鳴りつけようとしたところで聖女カウスが俺を黙らせるかのように神妙に言った。
「キース様、本当に、ここは辺境なんですね」
「ああ? そりゃどういう?」
いえ、と浮かんだ涙を指先で拭う聖女カウス。
「ご無礼すみません、キース様。懐かしい匂いに少し燥いでしまいました。ただ、この瘴気は目覚めたばかりの私には少し辛い。道を急ぎましょう。あの2人も、放置しすぎては死んでしまう」
さまざまな事情に触れる機会のあった俺は、その聖女カウスの様子に怒気を抜かれ、仕方なしと矛を収めるしかなかった。
そう、懐かしいなら仕方ない。仕方ないのだ。
◇◆◇◆◇
無限牢獄を突破し、先に進めば出現するデーモンもまた強くなる。
新たに現れるのは巨人のごとき巨体のスケルトンや人骨によって造られた奇怪な塔のようなデーモン。
もちろん通常のスケルトンや囚人のデーモンも現れ、牢獄ではなく墓場のような有様だ。
そして道は一本道から複雑な通路になり、油断すれば命を落とすような罠も出現するようになる。
(だが、聖女カウス。共に行動してここまで心強いと思わされるとはな)
道中を共にする聖女カウス。性格はともかくこの聖女、強い。強すぎる。
「星と運命の神クエスよ。浄化の力をここに」
聖女カウスが矢を放てば、込められた浄化の力で巨人のごとき巨体のスケルトンが塵になる。
「そこ、罠がありますよ」
「うぉ。た、助かった、りました。聖女カウス」
「いえいえ」
罠があれば事前に見抜き。
「星の光よ、夜の旅路を照らす灯火となれ」
聖女カウスが奇跡を祈れば、星神の奇跡により、通路に光の粒がぽつぽつと浮かぶ。それを辿って石煉瓦の通路を歩けば、そのさきには長櫃が置いてある。
「これは『刃の砥石』ですね。武具に用いれば一時的にですが、武具の殺傷力を向上させる力があります。どうぞ、キース様」
たった一人の手探りの探索に比べ、なんという楽さか!
必要がないからと聖女カウスより受け取った刃の砥石とやらを俺は袋にしまった。
俺がやることがないぐらいにこの聖女は万能だ。正直弓を渡しただけで俺の役割は終わったようなところが――。
(いや、そんなことはないか……)
隣を見れば聖女カウスの顔には強い疲労が浮かんでいた。呼吸も荒い。疲れているのだ。
「聖女カウス、少し探索の速度を抑えた方が良いのでは?」
「いえ、これだけ探索を行っても2人が見つかりません。どこにいるのか……」
今も失せ物を探る星の奇跡を行使したのだが、満ちた瘴気に奇跡を乱されたのか、見つかったのは長櫃だった。
「聖女カウス?」
「ええ、すみません」
俺はよろめきかけた聖女カウスの肩を支えつつ、休むように言う。
「あまり無理をなされないように。口を出すのもどうかと控えてましたが、戦闘は俺が行いますよ」
デーモン相手に活躍する聖女カウスの獲物をとるようで控えていたが、むしろ俺にやらせろ、と俺はメイスを手に打ち付け、力が有り余っていることを示す。
「……そう、ですね。少し焦っていたようです。すみません」
「しかし、聖女カウスがそこまで拘るとは。あの2人に何か特別な思い入れでも?」
こうして本来の聖女に上書きされた以上、元の偽聖女の人格は残っていないと思うのだが。
俺の問いに聖女カウスは本当に不思議そうな顔をした。
「そう、ですね。そう、確かに。なぜ私は? こんなにも焦って?」
「聖女カウス」
「いえ、なんでもないです。長らく私に仕えてくれていたのです。2人を助けるのは当然のことでしょう」
以前の自身に心残りがある? いや、呪術が完全に機能していないのか? そもそも2人? 2人ってことは生きてるのか。呪術を不完全にしていたあの付き人が。
そして、生存がわかるのか? 確信があるのか? この位置からでも?
「聖女カウス、もう少しの辛抱です。貴女の本来の武具が見つかればその疲労も多少は癒えましょう」
俺は内心の疑念を表に出さないようにしながらなんとか言葉を絞り出す。
「ええ、ええ、そうです。手応えはあったのです。もう何度か奇跡を使えば位置を絞り込めます。見つかる。いえ、見つける。我が『聖衣』いえ、『聖剣』たる聖弓デアトスフイーズン。その場所はもう近くへと……。そして、それさえあれば探索も……」
聖女カウスは言いながら、俺の手を優しく握り。
「そう。そうです。ええ、では、戦いは任せますね。キース様」
はい、と俺は頷きつつ。少しの不安を抱く。
(まだ数時間も経っていないのに、ここまで心を消耗しているのか……)
あの牢獄でじっと待っているだけならば恐らくそこまで消耗はしなかった筈だ。
だが、ここに来るまでに力を使いすぎていた。奇跡の触媒たる大弓がないのも効いているだろう。
(俺が頑張らなきゃな……)
それとも地上に戻ってもらうべきか? 2人は俺がなんとか探して……。
「キース様? どうされましたか?」
「……進みましょうか」
ええ、とうなずく聖女カウス。その目に宿る必死さに、俺は提案をそっと心の内に沈めた。
――言えば恐らく彼女は俺と離れて行動するだろう。
そこまでするのか!? 驚愕を抑えつつ、俺は心の中で絶叫した。
――くそったれめ! 畜生が!!
この迷宮では誰も彼もが狂っていく。
それは神の娘たる聖女様ですら例外ではなく。




