中編
「さて、シイラ。今日から君は僕の妻だ」
「はい」
移り住んだ叔父様の屋敷は、うちとは比べ物にならないほど立派だった。
その書斎のソファーで、隣り合って座っている。
叔父様は噂以上に優秀なようで、あっという間に私とリュカス叔父様の婚姻が成立していた。
私は子どもだったから、どうやってそうなったのかは知らない。
「君には養子になってもらうのでも構わなかったのだが、また他のところに嫁にやるだのなんだの親戚から言われたら厄介だからね。悪いが、妻という形を取らせてもらったよ」
「それは、叔父様にはよかったのでしょうか?」
私が不安になって訊くと、叔父様はふんわりと笑った。
天使様の姿絵みたいだった。
叔父様は体を私の方に向けて、私の顔を覗き込むように言った。
それがなんだか、お母様ともお父様とも違う接し方で、くすぐったい気持ちがした。
「もちろん、僕にとっても利益のある話だよ。昨年父から家を引き継いだばかりで、とにかく忙しくてね。当主になったのだから、周りの連中に結婚しろと言われていたのさ。そこに君が現れた、シイラは僕の救世主だったというわけだ」
「なるほど、人除けにちょうどよかったのですね。私がお役に立っているなら、よかったです」
私はホッとして笑みをこぼすと、叔父様は困ったように笑った。
「…シイラ、君本当に9歳かい?随分と聡明に感じるのだけれど」
「? お父様には可愛くないとはよく言われていました」
「ふふふ、そうか。それは見る目がないな」
叔父様は可笑しそうに笑うと、銀色の目で私をまっすぐ見た。
膝と膝がくっつきそうなほど近いのに、決してくっつきはしなかった。
叔父様は、最初に私の手を握った時だけで、私に不用意に触れようとはしなかった。
「というわけで、僕もいい思いをさせてもらっているから、シイラが気にすることは何もないよ。大丈夫かな?」
叔父様が確かめるように訊いたので、私は素直に頷いた。
叔父様は大人の顔に戻ると、優しい声で言った。
「シイラ、僕たちは今日から家族だ。たった2人の家族だ。僕は君を、1人のレディーとして接すると約束するよ。君も気安く、僕に接してくれると嬉しい」
「…はい」
そうは言われても、それがどのようにしたらいいのかわからなくて、不安が声に混じる。
叔父様は見透かしたように、くすっと笑った。
「顔を上げて、シイラ」
あのヴァイオリンみたいな声がして、下を向いていたことに気づく。
声に導かれるように、私は顔を上げた。
叔父様は、少年みたいにいたずらっ子のような顔をしていて、不思議と安心できた。
「兄ぐらいに思ってくれたらいいよ。そして妹は、兄に甘えるといい」
「夫ではないのですか?」
「うーん、君が成人するまでは兄と妹かな」
にこにこしながらそう言うので、私は首を傾げた。
「叔父様は、『旦那様』ではないのですか?」
曇りなき私の声に、叔父様と、それから後ろで控えていた執事のおじさんがギョッとした。
叔父様は私の肩を掴みそうになって、止まって、そのままその手を顔に当てて低い声で唸った。
「待って、シイラ…。それは心臓に悪いから、呼ばない方がいいかな」
「旦那様ですよね?」
「僕は君の夫ではあるけど、夫婦にはまだ早いよ」
「…わかりません」
「ふふっ、ようやく可愛らしいところが見えたね」
叔父様は目を細めると、銀色の瞳がキラキラしているように見えた。
叔父様は私みたいにうーんと首を傾げると、優しく提案してくれた。
「僕のことは、名前で呼んでくれたらいいよ」
「リュカス、叔父様…?」
「うん、それにしよう」
「わかりました」
「よし。改めてよろしくね、シイラ」
「こちらこそよろしくお願いします、リュカス叔父様」
その日から、程よく近くて遠い、私とリュカス叔父様との生活が始まったのだった。
「リュカス叔父様、どうしてこんなにドレスがいっぱいなのですか?」
「んー?シイラを身一つで来させちゃったから、必要なものを揃えただけだよ」
「こんなに素敵なドレス、着たことがありません」
「……姉上は、何をしていたんだか」
目の前いっぱいのドレスにどうしていいのかわからなくて、立っているしかできなかった。
リュカス叔父様は忙しいはずなのに、毎日必ず私との時間を取ってくれる。
朝ごはん、ちょっとした休憩時間、余裕があったらお茶の時間、お仕事が早く終わったら夕飯も一緒だ。
どうして一緒にいてくれるんだろう。
家族になったからって、こんなに親切にしてくれるものなのかな。
リュカス様は菫色のドレスを手に取ると、私に見せた。
「どう?シイラに似合うと思うよ」
「リュカス叔父様、これ以上ドレスはいりません」
私は菫色のドレスを目に映しながら、実家から着ていた古びたワンピースを気づいたら掴んでいた。
「どうして?」
「私はまだ背が伸びるので、たくさんあっても全部着られないかもしれません」
「なるほど、一理あるね。でも大丈夫」
リュカス叔父様はにこやかに笑って、他にも緑とピンクと水色のドレスを腕に抱えて、私の前に持ってきた。
たくさんの色で、庭の花みたいにドレスが咲いていた。
「シイラが着れなかったら、うちの領地内にあるリメイク店に下す。少しだけど経済が回るよ」
「それは領地のためになりますね」
「そう。このドレスも全部領地内の仕立て屋のものだ。だから遠慮なく着てやって」
リュカス叔父様が「どれがシイラの好み?」と微笑んだのを見て、胸の辺りがほわっとした。
なんだろう、冬の暖炉の前みたい。
リュカス叔父様は、魔法が使えるのかな。
「私が着たら、リュカス叔父様の役に立ちますか?」
私が顔を上げて銀色の目を見ると、うんと頷いた。
「着飾った可愛い姪っ子が見られるのは、僕としても嬉しいかな」
「じゃあ、その菫色のがいいです。…リュカス叔父様が選んでくれたのが、いいです」
「そうか、じゃあ今日はこのドレスにしよう」
リュカス叔父様がそう言うと、伯爵家の凄腕侍女たちによって美しい妖精のような仕上がりになった。
鏡を見て、びっくりしてしまう。
「お誕生日じゃないのに、すごい…」
「誕生日はもっと豪勢だよ?」
リュカス叔父様のヴァイオリンの声が、今までで一番柔らかく響いた。
色素の薄い髪が揺れて、リュカス叔父様の方がこの菫色が似合いそうだなと思った。
「シイラの誕生日は、たくさんお祝いしようね」
リュカス叔父様は、なんでもないように言った。
水も飲んでないのに、喉が潤ったみたいだった。
やっぱり叔父様は、魔法使いなのかもしれない。
「よく似合っているよ、可愛いね」
「叔父様はいつも綺麗です」
「あはは、ありがとう」
リュカス叔父様はそう言って、体を屈めて私の顔を見た。
儚さを感じる綺麗な顔とは裏腹に、生きるエネルギーが満ちている銀色の目が、私に勇気をくれる。
この人は、きっと私を置いて行ったりしない。
だから、お誕生日、期待してもいいのかな。
「シイラ、よかったらこれから僕とお茶でもいかがかな?」
「叔父様に時間があるなら、ぜひ」
「よし、庭の花がちょうど見頃だからね。今日は外でお茶にしよう」
リュカス叔父様は体を元に戻して、私に腕を差し出した。
「エスコートさせてくださいな、お嬢さん」
私は叔父様の声が好きだな、安心する。
ヴァイオリンの音が包むようで、自然とその肘の部分に手をかけた。
私の背では少し厳しくて、リュカス様が笑いながら手のひらに変えてくれた。
その手の上に、やっぱり私から手をのせた。
自分のいつもの手が、やけに小さく見えた。
早く大人になりたいな。
「シイラが大きくなるまでは、次からこうしてエスコートするね。気が利かなくてごめんね」
「早く大きくなるように努力します」
「はははっ、いいんだよ。ゆっくりでいいんだ」
リュカス叔父様は、絶対に自分からは私に触らない。
だから、叔父様が差し出してくれた手は私から絶対に伸ばさないといけない。
そうしないと、もう隣にはいられないから。
「シイラ、ものは相談なんだけどね」
「はい」
「僕も別に子どもらしくしろなんて思ってないよ?ただね、もう少し好き勝手にしてもいいんじゃないかな?」
珍しく困った顔でリュカス叔父様は、私をまっすぐに見た。
私が『旦那様』と呼んだ時くらい、なんて言おうか迷っているみたいだった。
「私、リュカス叔父様と結婚してからずっと自由です。これは、好き勝手ではないのですか?」
「う〜〜ん、そうだなぁ…。それは妻として与えられる時間であって、シイラがしたいことではないだろ?」
「私の、したいこと…」
「君のおねだりならいくらでも聞きたいんだけどな」
リュカス叔父様がお仕事の取引相手にするみたいな圧のある言い方じゃなくて、下からそっと見つめられているみたいな感じで、ちょっとだけ子犬に見えた。
叔父様はもう立派な大人なのに、おかしいなぁ。
「では、女主人としての勉強がしたいです」
「いやっ、そうではなくてねぇ…!」
「おねだりしていいと、今言われました」
「そうなんだけどなぁ…?」
リュカス叔父様が眉間を揉みほぐし始めると、後ろにいる執事長さんが笑いを噛み殺した。
私だって、役に立てるようになりたい。
グッと近づくと、リュカス叔父様も顔を近づけてきた。
前に領民の飼っている犬を触らせてもらったことがある。
これぐらい近かったなって思った。
近すぎて、顔の全部が見れない。
「勉強はもう少し大きくなってからでもできるだろう?」
「今は子どもだからお仕事はできないですけど、勉強はできます」
「勉強以外にやりたいことはないの?」
「…思いつきません」
「むう、そうか」
リュカス叔父様は困った顔のまま、スッと顔が離れていった。
近ければ近いほど安心するから、離れていくのは心が寂しくなる。
「いいではございませんか、旦那様」
「でもなあ」
執事長の声に、叔父様は綺麗に整った髪を掻いて後ろ髪が乱した。
どんな叔父様も天使様みたいに綺麗だけれど、ビシッとしていない叔父様が一番素敵に見える気がする。
うーんと唸っている後ろで、やっぱり執事長さんは楽しげに微笑んでいた。
「シイラ奥様は、きっと素晴らしい女主人になられますよ」
「今でも十分素晴らしい妻だよ」
「これは失礼いたしました」
執事長さんが頭を下げると、リュカス叔父様は肩を竦めた。
「本人のやりたいことなら、尊重するのが大人だよね。いいよ、家庭教師をつけよう」
「ありがとうございます」
「ただし、無理しちゃダメだよ?勉強はほどほどに、遊びは思いっきりだよ、わかった?」
「そういう決まりなのですか?」
「ああ、そうだよ。我がパーオルイ伯爵家の家訓さ。シイラも我が家の一員だからね、守ってね?」
叔父様は人差し指を立てて、「いい?」と確認してくる。
それに疑問に思って、素直に訊いた。
「叔父様も守っているのですか?」
「もちろんだよ。僕だっていつも仕事ばかりしていないよ」
「そんなふうには見えません」
「おや、今だってシイラと一緒にいて仕事は休憩中だし、シイラと庭に散歩だって行ったばかりではないか。僕の遊びに、シイラが付き合ってくれたでしょ?」
リュカス叔父様にそう言われて、首を傾げてしまう。
あれは、遊びだったのだろうか。
叔父様が私を気にして、時間を作ってくれているだけだと思っていた。
「遊び方がわからないので、…その、リュカス叔父様が教えてくれますか?」
私がそう言うと、不安ごと掬い上げるように叔父様は笑った。
「もちろんさ。これでも昔は遊び呆けていたドラ息子だからね。遊びは任せて」
「旦那様、余計なことを奥様に吹き込まないでくださいよ」
「はははっ、とりあえず乗馬と遠乗りとピクニックから始めようかな」
「観劇と刺繍くらいから始めてください。ピクニックは大賛成です」
叔父様と執事長さんの話に、やっぱり私は首を傾げてしまう。
「これから楽しみだね、シイラ」
わからないけど、叔父様が優しく笑ってくれて、あのヴァイオリンみたいな声がすれば、私はそれで胸がいっぱいだった。
「シイラ、誕生日おめでとう〜!」
叔父様と結婚して、半年。
リュカス叔父様とたくさんのパーオルイ伯爵家の使用人に囲まれて、私の10歳の誕生日パーティーが行われた。
叔父様が「豪勢だよ」と言っていた通り、飾りつけもご馳走も華やかだった。
お祭りみたいに次から次へと、お祝いの言葉をもらう。
私はピンク色のドレスに包まれて、ピカピカに仕上げてもらった。
今日のドレスは一段とふわふわだった。
プレゼントも、抱えきれないほどたくさんもらえた。
リュカス叔父様からは、抱き締めても手が届かないほど大きいうさぎのぬいぐるみをもらった。
私がぬいぐるみを抱きしめると、満足そうに頷いていた。
「うん、可愛いね」
「リュカス叔父様は、うさぎが好きなのですか?」
「シイラと並んだら可愛いかなって思っただけだから、そのうさぎは好きかな」
「そうですか」
私はぎゅっと腕を回して、うさぎの頭に顔を埋めた。
叔父様の香水と同じオレンジの匂いがした気がした。
「さて、じゃあ一曲何か弾こうかな」
リュカス叔父様は、私ではなくうさぎの頭を撫でてそばを離れていく。
その後ろ姿を見ていると、ケースの中からヴァイオリンを取り出して、注目を集めることなくつらつらと弾き始めた。
まるで音楽隊のようで、当たり前にパーティーの裏方へと回る。
使用人も驚いた様子がなく、誰も何も言わないから、リュカス叔父様がヴァイオリンを弾くことを知らなかったのは私だけみたいだ。
本物のヴァイオリンの音を聞きながら、リュカス叔父様の声を思い出す。
滑らかに奏でられる音に、天使様の歌声ってこんな感じなのかなと思った。
やっぱり叔父様は、魔法使いだ。
演奏を聴いただけで、ドキドキするんだもの。
何曲も続けて弾いたあと、最後の一音と同時に私は叔父様のところへ向かっていた。
「リュカス叔父様、ヴァイオリンが弾けたのですか…!」
「子どもの頃、少し習っていたんだよ」
「次は、次はいつ聞けますか?」
「ん?」
「また来年の誕生日にも弾いてもらえますか?」
未来の約束をしたのは、この時がはじめてだった。
叔父様は銀色の目を細めて、色素の薄い髪を掻き上げた。
私には、それが一番のプレゼントに見えた。
「シイラが望んでくれるなら、いくらでも弾くよ」
「じゃあ、私のお誕生日にはヴァイオリンを弾いてほしいです。それがプレゼントがいいです!」
「ははっ、もっと欲張りなさいよ。でも、わかった。毎年シイラの誕生日には弾いてあげるね」
「はい!」
「やーっとおねだりしてもらえた、よかった」
リュカス叔父様は、ほっとしたように笑っていた。
11歳の誕生日は、詩集をもらった。
もちろん、ヴァイオリンを弾いてくれて、私はそれに釘付けだった。
12歳の誕生日は、何がほしいか訊かれて「勉強道具がほしい」と言ったら、渋々ガラスペンとレターセットをくれた。
ヴァイオリンの演奏は、パーティーの最初と最後に弾いてくれて、私はその時が一番笑顔だった。
13歳の誕生日は、「シイラはもう仕事を任せられるくらい成長しちゃったから、知識を広げに行くかぁ」と小旅行をプレゼントされた。
海の見える港で、街を散策して、大人が行くようなレストランにも連れて行ってくれた。
その日の夜、「ホテルでは迷惑になるからね」と、近くの広場まで行ってヴァイオリンを弾いてくれた。
叔父様の演奏に、近くで飲んでいたおじさまたちが盛り上がって、その地域で使われる楽器で参加して、大合奏になった。
リュカス叔父様のソロが聴けなくて、ちょっとだけガッカリした。
14歳の誕生日は、「領地を見に行きたい」とはじめて連れて行ってもらえた。
カントリーハウスでの誕生日パーティーでも、叔父様はヴァイオリンを弾いてくれた。
やっぱりリュカス叔父様ひとりだけの演奏が、私はすきだなと思った。
そして、今年の誕生日で15歳になる。
この国では、女性は15歳で成人だ。
ようやくリュカス叔父様と同じ、大人になれる。
だから、私は決めていた。
15歳になったら、今度は私から叔父様のところへ行くって。
あの日、「結婚するかい?」と差し出してくれた手を、本当の意味で握り返しに行く。
リュカス叔父様に、もう子どもじゃないって言いにいかなくちゃいけないのだ。
お読みくださりありがとうございます!毎日投稿177日目。




