後編
「……どうして、シイラは僕の上に跨っているのかな?」
リュカス叔父様は見たことない表情で、顔を引き攣らせている。
それでも、真夜中に見る叔父様は、一層美しかった。
これでは、どちらが『花嫁』かわからない。
「リュカス叔父様、私15歳になりました」
「…うん、知っているよ。さっきまで誕生日パーティーをしていたじゃないか」
「はい、今年もヴァイオリンを弾いてもらえてすごく嬉しかったです」
「それは、ありがとう。…それで、今君が僕の上に乗っかっているのと、何か関係がある?」
叔父様の銀色の目が不安定に揺れているのが、珍しくてじっと見てしまう。
私を生家から連れ出してくれた時も綺麗だったけれど、叔父様はこの6年でもっと素敵な大人になってしまった。
小娘ではなくて釣り合いの取れる私にしませんか、なんてご令嬢やご夫人に迫られるわけだ。
私はリュカス叔父様の胸板に手を置いて、真面目に答える。
「私、成人しましたよ」
「そうだね」
「だから、夜這いに来ました」
「なんで、そうなったの!?」
声を荒げているのを見て、叔父様でも焦ることがあるのかと不思議に思う。
パーティーが終わって、今日のために特別に用意してもらった夜着に着替えて、リュカス叔父様の寝室に勝手に入った。
それから、眠っていた叔父様の上に跨って乗ってみた。
この眺めは、好きかもしれない。
「リュカス叔父様が言ったのですよ。成人するまでは、兄と妹だって」
いつものように淡々と話を進めていくと、叔父様は手で顔を覆ってしまった。
せっかく見下ろしていた顔が見えなくて残念。
この6年間で見上げることしかできなかったリュカス叔父様を、この姿勢で見られるのは、今までに感じたことない感情だった。
そわそわするのに、ほくほくした気持ちになる。
「リュカス叔父様が私の成人を期に離縁して、私と歳の合う人を宛てがうつもりなのは知っています」
「……本当に、聡明な子なんだから」
「リュカス叔父様は、私では嫌かもしれませんが、私の旦那様はあの日からリュカス叔父様だけです」
「シイラ…」
「旦那様は、リュカス叔父様でないと嫌なんです」
銀色の目が見えて、そこに私が映った。
何度だって、この瞳に映るのは私がいい。
「…ちゃんと話をしよう。だから、一回降りてくれる?」
「……」
「シイラー?」
「…もったいなくて、嫌です」
「ふふっ、まったく。今までそんな我儘、一度だって言ったことはなかったじゃないか」
叔父様が笑うから、私も揺れる。
ホッとするのに、胸が苦しい。
「今日のためにとっておきました」
「ん?」
「婚姻関係を続けたいと、我儘を言いにきたので」
「夫婦の話は、我儘なんかではないよ」
私の好きなヴァイオリンの声がいとも簡単に私を包んでしまうから、そこから退くしかなかった。
布の擦れる音がした。
私がベッドのふちに座ると、リュカス叔父様も体を起こして隣に座った。
近くにかけてあったガウンを手に取り、私の肩にかけてくれた。
オレンジの匂いがして、つい息を吸い込んでいた。
「さて、シイラ。ひとまず、男の寝室に潜り込んでくるのはやめなさい」
リュカス叔父様が怖い顔で私を見た。
私は、返事をせずに項垂れた。
叔父様が私に怒るなんて、はじめてだった。
「それと、君の同意なしに離縁なんてしないよ」
「え…?」
声に導かれるように顔を上げると、リュカス叔父様は曖昧に笑っていた。
暗くてよく見えないはずなのに、叔父様のひとつひとつがしっかり見える。
見えている、という願望かもしれない。
「僕は、この6年で君の信頼を得られていなかったかな」
「そんなことありません」
すぐに言葉を返すと、叔父様は肩を震わせて笑った。
「ふふっ、君に何も聞かずに離縁する男だと思われていたみたいで、ちょっと悲しいかもな」
「……叔父様がどう思っていようと、私はずっと子どもで、どれだけ成長しても、年齢の差は変えられない。それがこの6年で学んだことです」
「それは、しょうがないことだね」
「はい。だから、成人したら、もう子守りをしなくて済むんじゃないかと思ってました」
「そうか、それは君を傷つけていたかもね。ごめんね」
リュカス叔父様は体の向きを変えて、正面から私の方を見てくれた。
叔父様は、いつだってそうだった。
体を屈めたり、顔を覗き込んだり、体の向きを変えたり、私の真正面を向いてくれる。
それが、嬉しいのに、歯痒くもあった。
「シイラの結婚相手を探していたのは、本当だ。君が気づいていたくらいだからね」
「はい」
「君が成人したら、一回話し合わなければと思っていた。この婚姻は、僕が無理やりこじつけたようなものだからね」
リュカス叔父様の膝の上で拳が固く握られた。
その笑みは、暗い中でも天使様のようだった。
叔父様は、魔法使いではなくて天使様なのかもしれない。
だったら、どこにも行ってしまわないように、私がその手を掴んでいないとだめだ。
「だから、もし離縁したいと言われた場合の備えは大事だろう?うちの可愛いシイラをどこかに嫁がせるとなったら、中途半端な相手に任せられないからね。目星をつけていただけだよ」
「私の旦那様は、リュカス叔父様だけです」
「シイラがそう言うなら、僕も向き合わないとダメだね」
リュカス叔父様は少しだけ動いたから、膝と膝がくっつきそうになる。
それでも、これまで通り、触れることはない。
お互いの息の音がやけに聞こえるような気がした。
「シイラ、君が望んでくれるなら僕はこれからも君の夫だ。そして、これまで以上に夫であることに努めよう」
叔父様らしい宣言に、私は息を吸うのも忘れてしまった。
真っ直ぐに見つめる瞳は、誰にもあげたりしないんだから。
「私を、リュカス叔父様の妻にしてくれますか?」
「それは、少しずつかな…。いきなり変わるのは、こちらの心臓がもたないからね」
「妻にしてくれるんですよね?」
「君のことは手放すと思って接していたからなぁ」
「リュカス叔父様が私を手放すなら、私は修道院に行くことにします」
「わかった、わかった!シイラがいいなら、それでいいんだよ」
慌てたように声を上げて、何度も頷くリュカス叔父様に満足する自分がいた。
だから、私は伝えたいことを言うだけだ。
「私は、ずっと、シイラ・パーオルイです」
私の願いは、それだけだ。
「まったく、もっと年頃の合ういい男にすればいいのに」
「私を攫ったのは、リュカス叔父様だけですよ」
「……誘拐犯みたいに聞こえるから、やめてね?」
叔父様は肩を竦めたあと、拳を解いて、ぎこちなくこちらに手を伸ばした。
なんだろうとその手を目で追っていると、視界に映らなくなった。
叔父様の指先が、少しだけ私の左頬に触れた。
私の下ろしている髪が、叔父様の手の甲を掠めた。
それから、頬の上をひと撫でされた。
左頬に熱が集まっていきそうだった。
「とりあえず、君と一線引くのはやめることにするよ。それで、いいかな」
歯切れの悪い叔父様は、新鮮だった。
「リュカス叔父様が私を手放さないでいてくれるなら、なんでもいいです」
「よくないでしょ。…ふう、どう接していいか、わからないな」
「だったら」
私はそこで言葉を区切って、私の頬に触れている叔父様の手に自分の手を重ねた。
叔父様にビクッとされたから、悪戯心が湧いて、気づいたらその胸に飛び込んでいた。
「私に触れるのを、躊躇わないでください」
リュカス叔父様は、何も言わずに、慣れない動きで私の背中にそっと腕を回した。
はじめて抱きしめてもらえて、ぎゅーっと苦しくなった。
「ずっと、こうしてもらいたかったんです…」
「それは、できなかったな」
「知っています。リュカス叔父様は、子どもに興奮する変態ではありませんもの」
「シイラ、そういうことはどこから学んでくるの…?」
戸惑った叔父様の声が、不器用なヴァイオリンに聞こえて、笑いたくなった。
この気持ちが届けばいいのに、とその胸に頬擦りすると、明らかに叔父様が固まった。
ずっと引かれていた線は、すぐには消えないのかもしれない。
それでも、確実に昨日までと違うことに、自然と頬が緩んでいく。
「私はリュカス叔父様が好きです」
「……本当に、僕の手には負えない子なんだから」
「リュカス叔父様が、そうやって育てました」
「もともとのシイラの素質な気がするけどねぇ…」
そう言いながらも、回した腕を解いたりしないから、リュカス叔父様は変わろうとしてくれているとわかる。
そういうところが、ずっと好きだった。
「ところで、シイラ。…その格好、どうしたの?」
その格好というのは、今まで着たことのないような大人な夜着のことだろうか。
ちょっぴりセクシーな作りになっているそれは、今日はじめて袖を通したものだ。
リュカス叔父様の気まずそうな声に、私は平然と答える。
「今日、リュカス叔父様の花嫁になりたいと言ったら、みんなが用意してくれました」
「なるほどね、うちの使用人はみんなシイラの味方なんだから…」
「叔父様の髪の色に近いものがいいとお願いしました」
「そうか」
「ウェディングドレスみたいで気に入っています」
「…そうかい」
叔父様ははあと息をつきながら、顎を私の頭の上にのせた。
そんなことされたことがないから、くすぐったい。
「リュカス叔父様、今日は一緒に寝ませんか?」
「…それは、まだ早くないかい?」
「この家に来てから、一度も一緒に寝たことがありません」
「年若いレディーと一緒に寝るわけにはいかないだろう?」
「もう、大人になりました」
私は顔を上げて、リュカス叔父様の腕の中でその顔を覗き込んだ。
まだ気持ちが追いついていない叔父様の銀色の目が、泳いで行ってしまいそうだった。
「据え膳食わぬは男の恥ですよ」
「誰かな、シイラにそんなことを教えたやつは!?」
「私、いつまでも子どもじゃありませんよ」
「……そのようだね、僕は認識を改めた方がいいようだ」
リュカス叔父様は、もう一度大きく息をついて、観念したように笑った。
「隣で寝るだけだよ、いい?」
「……リュカス叔父様の意気地なし」
「可愛い姪っ子だと思っていた妻に迫られた僕の身にもなってくれる…?」
「ふふふ、嘘です。一緒にいられるなら、なんでも嬉しいです」
「僕の方が敵わなそうってことは、今夜でよくわかったよ」
そう言って、リュカス叔父様はぎゅうっと抱きしめてくれた。
それから一緒にベッドに潜り込んで、隣で横になった。
息が聞こえるほど近くて、心臓がとくとく言う。
「おやすみ、シイラ」
「おやすみなさいませ、…リュカス様」
叔父様の目が一瞬見開かれて、それから細められた。
今までで一番嬉しい誕生日だった。
翌日、使用人全員から「奥様がこんなに頑張ったのに、旦那様ときたら…!」と言われる叔父様を見て笑ってしまった。
「これからちょっとずつ夫婦になれたら嬉しいです」
「ああ、お手柔らかに頼むね」
私の好きなヴァイオリンの声が、いつもよりも気安い気がして、私はもっと嬉しくなるのだった。
私は、この優しい手を離したりしないのです。
了
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