第26話 命の時間
ラウンジ家のメイドが上半身が消し飛んでいるように見えた。
一瞬の違和感もなく消え去った上半身にタウロスは固まり力なく崩れ落ちた下半身をデグネが抱えて断面を凝視している。
「肉体の消失……転移?これは空間断絶の魔法に似ている。方向は上と……アイツらか!」
デグネは僅か数秒で事態を把握して借金取りとファティマを睨んだ。
この違和感に気付けるものは——存在しない。
人間を殺した事による罪悪感などまるでないファティマは借金取りの男の肩を軽く叩いた。
「中々の観察眼だが似ているんじゃなくて……兄貴はあの五月蝿い男に向けて引き金を引け」
「は、はい!」
促されるままにデグネに照準を合わせ引き金を絞って
ファティマは笑った。
「降身術か——誰を降ろしたか知らんが速いな」
「え?——がはぁ!?——あぐぐ」
刀の柄を鳩尾に深く押し込まれ男は崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……はぁ」
タウロスは息を切らしながら左手で鞘を握り鍔に指をかけた。
これは人間を斬り殺す為に作られた刀を抜く動作だ。
ファティマは笑っている。
「おいおい〜、こいつはリドヴィアから借りた兵隊さん、今だけで言ったら俺の部下だぞ?ってか俺が命令してんだから俺に来いよ。それを雑魚を攻撃なんて覚悟出来てんの——かよ!?」
言葉と同時にファティマが視界から消え去った。
素早くタウロスの背後に回り込み後頭部への一撃を放つ
「く!?——」
「ハッ!当然躱すよな。次はどうだ?」
ファティマの動きを完全に見切っていたのかは定かではない。それでも紙一重で攻撃を避け反撃の態勢をとる事なく距離を取ろうと
「……宵闇?」
「なるほど。攻撃しないって事はタウロスも俺の身体の秘密を知っている口か。前例があるから驚かんけど——この時代の人間で心臓を奪って生きていられる時間は……30秒だったな。言い残す言葉は空よりも高く天よりも気高くだぞ」
ファティマは心臓を握り潰した。
タウロスはゆっくりと自身の胸に手を当てたが……怪我はない。
「はぐぅ……父様……先生……兄様……。誰か……誰でもいいから俺を助けろ……俺が出るまで……あいつを生かし続けろ!」
「おいおい、お前は助からないから神様に祈れって。ってかなにその遺言?心配しなくとも俺を殺せる奴なんていねーよ」
デグネは口と胸から血を流し、目から涙を落として地面を這いずっていた。
タウロスは呆然としながらもファティマに目を向けた。
「お前……なんなんだよ」
「俺は不公平が嫌いでな。俺だけ知っているのも不公平だから教えてやる。俺は純潔の苦悶を昇華せしファティマだ。捻れた信仰、七つの美徳のリーダーだ。一番強いってのもあるがジャサファがポンコツになっちまったからリーダーをやってる」
「ファティマ……お前の目的は俺だろう?どうしてデグネ達を殺した!?」
タウロスはすぐに理解した。ファティマは自分を殺しに来たのだ。デグネとラウンジ家のメイドが死んだのはついで。
「どうしてって、そこの半身消えた女はタウロスにやる気を出させる為。そこの心臓失くした男は……。ありゃ?いつの間に逃げたっけな?そもそも俺はタウロス以外に攻撃してないから逃げるよな——ってかね?」
ファティマはデグネの心臓と思っていた砂を投げ捨てタウロスに近寄った。
「タウロスのせいで無関係な女が死んだんだぞ?なに人のせいにしてんだよ?」
「は?」
「馬鹿そうなお前に忠告だ。今からは俺はお前の腹に一発お見舞いしてやる。腹筋に力入れるのは自由だが避けたら誰かを殺す……理解したか?お前が大人しくしなかったら誰かが死ぬんだよ」
ファティマは緩慢な動きでタウロスの腹部を穿った。
「……まあ、防御するなとは言ってないからな……死ぬ寸前までやるから好きなタイミングで本気になってくれ」
「ぐぅぅ……殺せ。ひと思いに殺せ」
「なに言ってんだ?【降身術】でブレドリパを降ろせば半々で助かるぜ。俺が殺したからこその逃げ道ってやつだ。俺唯一の失敗とでも言っておこうか?」
倒れ込んだタウロスに何度も何度も追い討ちをかけた。
「この世界は仕組まれている。誰かにとって都合の良い結果が訪れるまで近似した世界を創り直されている。そんな事が出来るのは……お前の知り合い、それも親しい間柄に【傲慢】がいるだろう?そいつの名前、それだけ答えたら助けてやるよ。万が一だが傲慢の名乗りが判明すれば元の世界に帰るのもやぶさかではない」
「そんな不可能……だ」
「可能性のある人物は存在するんだな。となると、頑張ったで賞は与えてやらんとな。何にしてやろうかと考えたがお前は自分の事しか考えてなさそうだから約束どおりに助けてやるよ……」
ファティマが力なく崩れ落ちた。
入るはずもない力を振り絞る。
逆光により表情こそわからないがそれは
「お前……何度も殺したはずなのに……なぜ……」
「何度もなんて曖昧な数ではなく正確な回数を答えてみろよ」
デグネがファティマを見下ろし見下すように告げていた。
立ち上がるために力を入れる。
力は入らない。それどころか刻一刻と肉体が死滅していく。
魂は傷ひとつない。
しかし問題は肉体だ。肉体が死を迎えようとしている。
矛盾している。
それは手の施しようのない状態。
生物である限り必ず訪れる必然。
それが……否定されていく。
「……よんど……殺した」
「そうだよ。せっかくの寿命だったのになぁ。最近では俺の悪口を言う奴はほんといなくてな。勿体なかったな」
「なにを言っている?それに俺に……この身体に何をした!?」
「さぁ準備はいいか?
お前は——今代のアジ・ダハーカは
今この瞬間によって不老不死となるんだ!
永劫たる傲慢 平和の礎」
「——!? カムイ起動! 俺を殺せ! 早くしろ!」
ファティマは自身の体内に埋め込んだ絶対に命令を出す。
ファティマの命令には絶対であるそれは——
「ははは!一手遅かったな。さて、無敵となり行く身体で言い残す言葉はあるか?これがお前が世界に残せる唯一だぞ?」
「ふざけやがって……テメェの顔は覚えた。次にあったら八つ裂きにしてやる」
「それは怖い忠告だ。この場所には二度と来ない事にしたよ」
「ぐ……メネント……ミリアム……ジャサファ……リドヴィア……永久なる傲慢がいたぞ。俺の声が届いたのなら……どうか——こいつにだけは手出しをするな……全員やられる」
デグネの姿を纏った存在は塵よりも細かく夢のように消え去り、ファティマを名乗った東邦人は誰の記憶にも残らず佇み続けていた。




