第七十四話「眠れた夜として数えていい」
残り三十五日。
「三つ目を、数えた」とダンテは言った。
三日目に折れた夜から、男はまた数え始めていた。ゼロからではなく、三から。テスの言葉を、男は持って帰り、覚えていた。落ちても、ゼロには戻らない。二つの夜は、もう手の中にある。そこに三つ目が加わった。
「それからは、続いてる」長椅子に座って、指を折って見せる。「三つ、四つ、五つだ。五晩、飲んでねえ。……いや、正直に言うと、五晩のうち一晩はほんの少し口をつけた。瓶を空けるまではいかなかったが、それは飲んだ夜に数えるべきか?」
テスは男の隣で少し考えた。
「口をつけて、でも瓶を空けなかった。それは、あなたが途中でやめた夜ですね」
「まあ……そうだな」
「やめられた夜です。数え方は、あなたが決めていいんです。でも、私なら、それは数えます」
ダンテが、ふっと息を吐いた。笑うような、けれど、どこか面映ゆそうな息だった。
「甘いな、嬢ちゃんは」
「甘くはありません。厳しく数えると、人はすぐにゼロに戻ります。ゼロに戻ると、もう数えるのが嫌になります。続けられる数え方が、いちばん厳しい数え方です」
男はその言葉を、しばらく噛んでいた。
中庭に、午後の日が差していた。初夏に向かう、まだやわらかい光。長椅子の背に、男の影が長く伸びている。テスは、その影が前ほど縮こまっていないことに気づいていた。最初に会ったころ、この男は大きな体を持て余すように、いつも背を丸めて座っていた。いまは少しだけ背筋が伸びている。
「眠りの方は、どうですか」とテスは聞いた。
ダンテの表情が、少し曇った。
「そっちは、まだだ。飲まずに横になると、やっぱり雪の音がする。あいつの顔も浮かぶ。寝つけねえ夜は、まだある。でも——」と男は言葉を切った。「この間、初めて酒なしで眠れた夜があった。長くはねえ。明け方に目が覚めて、そのあとは寝られなかった。四時間か、それくらいだ。たいした眠りじゃねえ」
「四時間、眠れたんですね」
「四時間だぞ」自分を貶める言い方だった。「半端な眠りだ。すっきりもしねえ。これを眠れたって言っていいのか、わからん」
テスは男の横顔を見た。
飲まなかった夜を無駄だったと語ったときと、同じ言い方だった。手に入れたものを自分で小さく見積もる癖。半端だから、数えるに値しない。そう結論づけて、男は自分の小さな前進を、自分で捨てようとしている。
「四時間でも」とテスは言った。「眠れた夜として、数えていいんです」
ダンテがテスを見た。
「酒なしで、四時間。明け方に目は覚めたけれど、それまでは眠れた。以前のあなたは、酒で気を失っていました。気を失うのと眠るのは違います。今度のは、眠りでした。短くても、それはあなたが自分の力で得た眠りです。半端だから捨てる、ではもったいない。四時間を、四時間として数えてください」
男はしばらく黙っていた。
それから、手のひらを軽く開いて見た。そこに何か小さなものが乗っているのを確かめるような仕草だった。
「……四時間、眠れた夜、か」
低い声だった。それから、いつもの軽口が戻ってくる。
「変な数え方ばっかりだな、ここは」
「そうですね」
直りきってなどいない。それは、テスにもわかっていた。雪の夜は、まだ男の中で降り続けている。寝つけない夜も、口をつけてしまう夜も、これからもある。揺り戻しは必ず来る。回復は、坂を上りきって終わるものではない。上っては少し滑り落ち、また上る。そのたびに、数をゼロに戻さずにいられるかどうか。それだけが、この男のこれからの戦いだった。
けれど今日、ダンテは、四時間を、捨てなかった。
それで、十分だった。
その日の夕暮れ、テスは井戸で水を汲んでいた。
桶を引き上げる手元に、足音が近づいてくる。半歩後ろで止まる。振り向かなくても、誰かわかった。ミオだった。少女は水汲みを手伝うでもなく、ただテスの作業を見ていた。以前は、薪小屋の陰から遠く見ているだけだった。いまは半歩後ろにいる。距離が、わずかに詰まっていた。
「重いから、気をつけてね」少女の方は見ないまま。
ミオは答えなかった。声は、まだ返らない。
けれど、テスが満杯の桶を地に置くと、少女はもう一つの空の桶を、両手でそっとテスの足元に寄せた。次の分を汲めるように。それきりの、小さな動きだった。言葉はなかった。
テスは桶を受け取った。「ありがとう」とだけ。
ミオは、また半歩後ろに下がって、テスの次の動きを待っていた。
次話:「話さなくていい時間」




