第七十一話「三日目の酒瓶」
残り四十二日。
ダンテは二夜、飲まなかった。
雪の夜の話のあと、飲まずにいることを男は自分で決めたらしい。来るたびに指を折って見せた。一つ。二つ。まぐれで飲まなかった最初の一夜は、男の中ではもう数に入っていないようだった。塞がった傷跡をなぞる指が、いまは数を数えている。テスは数を否定も誇張もせず、そのまま受け取った。二つですね、と。
三日目に、男は折れた。
その日、ダンテは昼の明るいうちに来た。門の脇の長椅子に座る前から、においでわかった。前のどの日よりも濃い酒のにおい。手には空の瓶を提げている。それを抱えて来たこと自体が、男なりの何かだった。隠さずに持ってきた。
「数えられなくなった」テスが隣に座るより先に、男の方から声が来た。「三つ目は来なかった。二つで終わりだ」
テスは洗い物の手を拭いて、隣に腰を下ろした。
男は空の瓶を両手で抱えていた。中身はもうない。それでも手放せないというふうに、指が瓶の首に絡んでいる。日の光が緑がかった硝子を透かして、男の膝に淡い影を落としていた。
「二晩、もったんだ」声に、自分を嗤う響きがある。「天井を見て、雪の音を聞いて、それでも飲まずに我慢した。二晩も。たいしたもんだろ。なのに三晩目には、もう手が震えて足が勝手に酒屋へ向かってた」
「買って、飲んで、気を失った。気がついたら、この瓶が転がってた。情けねえ話だ。二つ数えたくせに三つ目でこれだ。やっぱりおれはこういう人間なんだよ。数え方を変えたところで、中身は変わらん」
ダンテは瓶を軽く揺すった。空っぽの硝子が、こつ、と低い音を立てる。
「もう、数えるのはやめだ」開き直るような言い方の下に、隠しきれない落胆が透けていた。「二つ数えて三つ目で落ちた。だったら最初から数えなきゃよかった。数えなきゃ、落ちる場所もなかった」
テスは男の言葉を最後まで聞いた。
責める言葉は探さなかった。「なぜ飲んだのか」とも、「あと一晩、我慢できなかったのか」とも言わない。男は誰よりも自分自身を、もう責めている。テスがそこに一言を足せば、その分だけ男は深く沈む。前世の診察室で何度も見てきた。患者が一度つまずくたびに、周囲が「また」と言う。その「また」の重さで、人は立てなくなる。
飲んだ夜を、責めない。
「ダンテさん」と、テスは静かに呼んだ。「一つ、お願いがあります」
「なんだ」
「飲んだ夜は数えません。二つ数えて、三晩目に飲んだ。それなら三晩目は数に入れません。なかったことにするんじゃありません。数えないだけです」
ダンテが瓶を抱えたまま、テスを見た。
「飲んだ夜を数えると、ゼロに戻った気がするでしょう。積み上げたものが崩れた気がする。でも、飲まなかった二つの夜は消えていません。あなたは確かに二晩、飲まずに天井を見た。それはもう起きたことです。三晩目に飲んでも、二晩飲まなかった事実は消えません」
「だが、三晩目に——」
「次に飲まなかった夜から、また数えます。一からじゃありません。三から続けます。二つはもう、あなたの手の中にあるんです」
男は長いこと黙っていた。
抱えた瓶を見ていた。緑の硝子に透ける光が、ゆっくりと角度を変えていく。やがてダンテは、絡めた指を瓶の首から一本ずつ解いていった。
「……三から、続ける」低い、確かめるような声だった。「落ちても、ゼロには戻らねえ」
「戻りません」
ダンテは瓶を足元の地面にそっと置いた。
抱えるのをやめた。空の瓶は長椅子の脚のそばで、転がりもせず、ただそこにある。男はもう、手を伸ばさない。
「変な数え方だな」と、ダンテは言った。前にも聞いた言葉だった。けれど、声の底に、前はなかったものがわずかに沈んでいた。
「そうですね」
風が中庭を渡って、空の瓶の口を低く鳴らした。男はその音をしばらく聞いていた。
次話:「その足音は、知っている」




