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悪役令嬢の残り六十日、私は牢獄の精神科医でした  作者: 夜凪 蒼


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第六十九話「戦争は終わっていますか」

残り四十六日。


その夜、ダンテは日が落ちてから来た。


施療院の門は、本来は暗くなる前に閉じる。けれど、テスは閂をかけずにいた。なんとなく、来る気がしていた。飲まなかった夜を一つ数えた男が、その重さに耐えかねて揺り戻しに来るかもしれない。


果たして、ダンテは来た。


酒のにおいが、強い。前のどの日よりも。男の足取りはわずかに揺れていた。中庭の長椅子に、崩れるように腰を下ろす。テスは、灯りを一つ持って隣に座った。油の燃える細いにおいが、二人の間に立った。


「数えようとした」前置きもなかった。「飲まなかった夜を。二つ目を、数えようとしたんだ」


「はい」


「無理だった」男は、両手で顔を覆った。「一つ目の夜、天井を見てたらあいつの顔が浮かんだ。今夜も浮かびそうで、それが怖くて飲んだ。だから、二つ目は来なかった」


テスは、急がなかった。揺れる灯りの中で、男の息が整うのを待った。


「あいつのこと、聞いてくれるか」覆った手の隙間から、絞り出すように。「誰にも話したことがねえんだ」


「はい。聞きます」


男は、手を下ろした。灯りに照らされた顔は、酒で赤いのにひどく蒼ざめて見えた。


「東の遠征だ」とダンテは話し始めた。「もう、何年も前になる。おれたちの隊は、東部の山を越える命令を受けてた。冬だった。雪が、ひどくてな。あいつは——おれの戦友は、おれの後ろを歩いてた。数えるのが得意なあいつが」


ダンテの声が、低くなった。


「夜営の場所を、おれが選んだ。沢の近くの窪地だ。風が避けられて、いい場所だと思った。おれが選んだんだ。その夜、雪崩が来た。窪地は雪に埋まって、おれは端にいて助かった。あいつは真ん中にいた」


灯りの炎が、風もないのに小さく揺れた。


「掘り出したときには、もう冷たかった」ダンテの声は震えていなかった。震える段階をとうに通り過ぎた声だった。「あいつは、おれが選んだ場所で死んだ。おれが、いい場所だと思った、その真ん中で。点呼で名前を数えるあいつが、もう自分の名前を数えられなくなった」


男は、そこで黙った。


テスは、何も言わなかった。慰めの言葉を探さなかった。「あなたのせいじゃない」とは言えない。言えば、嘘になる。男の中では、それは確かに自分が選んだ場所だった。その事実を、テスが軽くすることはできない。理屈で消せる重さなら、男はとっくに自分で消している。


代わりに、テスは聞いた。


「眠れないのは」と、静かに。「その夜が、まだ続いているからですね」


ダンテが、顔を上げた。


「目を閉じると、雪の音がする。あの、地鳴りみたいな。そんで、あいつの名前を呼ぶ自分の声がする。何年経っても消えやしねえ。だから、飲む。飲めば、聞こえなくなる。それだけだ」


テスは、灯りの炎を見ていた。


この人の中では、戦争は終わっていない。世間では、もう何年も前に終わった戦だ。条約が結ばれ、兵は帰され、国は財政難に喘いでいる。けれど、ダンテの中の雪の夜は今もそこで降り続けている。終わったのは、世界の戦争だ。この人の戦争は終わっていない。


「ダンテさん」とテスは、男の名を呼んだ。


「……ああ」


「あなたの戦争は、終わっていますか」


男は、息を呑んだ。


長い沈黙があった。灯りの油がじりじりと燃える音だけが、二人の間にある。やがてダンテは、首をゆっくりと横に振った。


「終わってねえ。ずっと、あの窪地にいる。おれだけ、あの冬から出られねえんだ」


「そうですか」


それ以上は、言わなかった。


「いつか終わります」とは言わない。「あなたは悪くない」とも言わない。回復を約束しなかった。この人の戦争がいつ終わるのか、終わるのかどうかすらテスにはわからない。わからないことを、わかったふりで撫でることだけはしたくなかった。


ただ一つだけ、確かなことがあった。


「いま、あなたはその冬の話を、外に出しました」とテスは言った。「ずっと誰にも言わなかった夜のことを。あなたの戦争は、まだ終わっていません。でも、あなたは今夜、その戦争に、初めて一人じゃない人を連れてきました」


ダンテは、答えなかった。


けれど、両手で顔を覆うことは、もうしない。揺れる灯りを、ただ見ている。赤い目の縁に、酒のせいではない光るものが薄く滲んでいた。男は、それを拭わなかった。


夜が、深くなっていく。


施療院の中庭で、二人はしばらく黙って座っていた。雪の夜は、まだ男の中で降り続けている。けれど今夜だけは、その雪をもう一人が一緒に見ていた。


次話:「変なことを聞く隊長」

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