第五十八話「石の床が、ぬくい」
執行の朝。
中庭に出た。
最初に感じたのは、風だった。肌に触れる空気の流れ。六十日間、牢の中にあったのは壁と壁の間を通る隙間風だけだった。これは違う。広い場所を渡ってくる風だ。草の匂いがかすかに混じっている。秋の終わりか冬の入り口か。でも、あの石の箱の中より確かに温かい。頭の上に、天井がない。それだけで、呼吸が少し深くなる。
衛兵が、遥を中庭の中央へ誘導した。
遥は歩きながら足の裏を感じていた。石畳の硬さ。牢の床と同じ石だ。でも、陽の光を受けて少しだけ温かかった。六十日間、毎晩あの冷たい石の上で眠った体には、その差がわかる。
中庭は、思っていたより広い。壁に囲まれた四角い空間だが、牢の何倍もある。回廊の柱が規則的に並んでいて、その影が石畳に細い縞を描いている。柱の根元には苔が薄く生えていた。誰も手入れをしない場所なのだと思った。処刑場として使われる中庭を、美しく保つ必要はないのだろう。
外にいる人の気配があった。多くはなかった。そういうものを見に来る人間は少ない。役人と、担当者と、少しの証人。彼らの衣擦れの音が小さく聞こえた。門のそばに、二人の人影があった。エドモンドとヴィヴィアンだと思った。確認しなかった。でも、そうだと思った。ヴィヴィアンの背筋が伸びていた。あの人は、自分で来ることを選んだのだ。
遥は止まった。
空を見上げた。青い。どこまでも青い。六十日間、格子越しに見えていたのは壁と廊下の天井だけで、空を見たのは今日が初めてだった。こんなに広かったのかと、少し驚いた。鳥が一羽、遠くを横切っていく。翼が光を受けて白く光った。
アネット・クロイスは、ここで死ぬ。
遥は静かにそれを思った。怖くなかったわけではない。指先が少し冷えて、心臓が普段より速く打っている。でも、頭の中は静かだった。
六十日間のことが、一つずつ浮かんだ。最初の夜、石の床に横たわって感じた背中の痛み。ライアンの乾いた咳の音。エドモンドの靴が廊下を叩く硬い足音。ヴィヴィアンが初めて声を出したときの、かすれた小ささ。王が座り込んだ夜の、革靴が石を擦る音。それらが今、静かな距離にあった。遠くなったのではない。ちゃんとそこにある。ただ、穏やかに並んでいる。
前世では、もっとできたかもしれないと思いながら死んだ。間に合わなかった日があり、診られなかった人がいた。夜間の呼び出しに応じなかった日。カルテを閉じて帰った午後。この六十日間には、その後悔が少なかった。残り時間の中で、できることを全部やった。
柏木遥は——どうなるんだろう。
わからなかった。でも、どちらでもいい気がした。
六十日間、できることをした。
ライアンが帰れるようになった。あの震えた字の手紙を、もう一度書き直した夜があった。エドモンドが妻の顔を見るようになった。確認行動が戻った朝も、ヴィヴィアンがそれを受け止めた。ヴィヴィアンが自分の意見を持ち始めた。引っ込めかけた言葉を、もう一度口に出す力を覚えた。王が、眠れていないと認めた。
風が少し強くなった。遥の髪を揺らして通り過ぎていく。草と土と、遠くの木々の匂いが混じっている。牢の中にはなかった匂いだ。
陽の光が石畳に当たっていた。
足の裏から、その温かさがわずかに伝わってきた。秋の終わりの陽光。あの石の牢では、床はいつも冷たかった。毛布を敷いても、朝には体が芯まで冷えていた。でも今、同じ石が温かい。陽が当たるだけで、こんなに変わる。
ぬくいな。
遥は目を細めた。
石は、温かくなる。時間と光があれば。
次話:「できることを、できる間に」




