第五十四話「来ない人のこと」
執行の朝。
陛下は来なかった。
朝から、遥はそれをぼんやりと待っていた。待っていたわけではなかった。でも、来ないとわかると、それが意味を持った。
来なかった理由は、わからない。
来られなかったのかもしれない。来ることを選ばなかったのかもしれない。来ることができる立場にあったけれど、来なかったのかもしれない。
どれでもいい、と遥は思った。
来なかったことは、何かを意味しているかもしれないし、していないかもしれない。でも——三日間、来た。あれは確かにあった。
眠れていない、と言った。
怖いから言っているのかもしれない、と言った。
誰かに聞いてほしい、という言葉に黙った。
それは残る。遥の中に、残る。処刑されても、遥が覚えている間は残る。遥がいなくなった後は——どこかに残るかもしれないし、残らないかもしれない。
前世でも、治療は終わることがあった。来なくなる患者がいた。理由を言わずに来なくなった人もいた。引っ越した人もいた。よくなって来なくなった人もいた。その人たちが今どこにいるかは、遥には知る方法がない。でも、どこかにいる。いるはずだ。それが前世の遥が続けてきた理由の一つだった。
王のことも、そう思うことにした。三日間来て、今日は来なかった。その続きがどうなるかは、遥には見えない。でも三日間で「眠れていない」と口にした人間が、その先どこかで誰かに話せる日が来るかもしれない。来ないかもしれない。遥はそれを祈るでも確認するでもなく、ただ、あると思うことにした。
でも、あった。
あの三日間は、確かにあった。
三日間来た人間が、一つのことを言えた。眠れていないと口にした。三十年分の何かが動いた先に出てきた言葉だと、遥は思う。小さく見えても、その人にとっては大きな一歩だったかもしれない。それが残る。
ライアンが今朝の番で来た。遥は彼に言った。「陛下のことを、少し気にかけてあげてください」
「——何か言いましたか」
「三日間、来てくれました。眠れないと言っていました。それだけです」
ライアンが少し間を置いた。「……わかりました」
「無理に何かしなくていいです。ただ、いつか機会があれば」
「はい」
「わかりました」というライアンの答えは短かった。でも確かだった。三ヶ月前のライアンが何かを言うとき、声が壁の向こうから届くような重さがあった。今日の「はい」は、ちゃんとここにあった。
廊下の奥で、何かの準備をしている音がした。
来るな。
遥は静かに待った。
次話:「最後の朝」




