第五十三話「執行前夜の静けさ」
残り一日。
前夜は、静かだった。
朝から夕方にかけて、ライアンが担当した。特別な話はしなかった。いつも通り、少し話した。天気の話を、ライアンがした。今日は風が少し冷たいと言った。
「そうですか」と遥は言った。
「……嫌ですか。明日」
「嫌、とは違うかな」と遥は答えた。「ただそこに、明日という日がある感じです」
「怖くないですか」
「少し怖いです。でも、一番怖いことはもう過ぎた気がします」
「一番怖いことというのは」
「ここで何もしないことが、一番怖かったです。でも、ライアンさんが話してくれた。エドモンドさんとヴィヴィアンさんが来てくれた。陛下も来てくれた。だから、怖かったことが少なくなっています」
ライアンが少し黙った。「……あなたは、本当に変な人ですね」
「よく言われます」
「今日も言います」
ライアンが少し笑った。今日の笑いは、少し悲しかった。でも、きちんとした笑いだった。
夕方、エドモンドとヴィヴィアンが来た。
「最後に来ていいか迷いましたが」とエドモンドは言った。
「来てくれてよかったです」
「……ありがとうございました」とヴィヴィアンが言った。「桃、食べました。今日」
「そうですか。美味しかったですか」
「美味しかったです」
遥は少し笑った。桃。ヴィヴィアンの好きなもの。「よかったです」
ヴィヴィアンが「ありがとうございました」と言った。二週間前、最初に来たとき、ヴィヴィアンは自分から何も言わなかった。夫に連れられて、小さな声で話した。今日は自分の言葉で来て、自分の言葉で言った。その変化を、遥はありがたく受け取った。
二人が帰った後、夜が来た。
遥は壁に背を預けて、目を閉じた。
石床の冷たさが、体の下にある。でも今日は、それがただの石ではない気がした。六十日間、ずっとここにあった石だ。そう思うと、少し親しかった。
明日になったら、柏木遥はどこに行くんだろう。
気になったけど、答えは出なかった。
前世の記憶がある。前世での仕事の記憶がある。クリニックの木造ビルの二階。患者の顔。窓から見えた空。今ここには石の壁と松明があって、それが六十日間のクリニックになった。どこでも、聞くことはできる。どこでも、人は話すことができる。それが今夜の、遥の答えのような気がした。
六十日間、クリニックの椅子の代わりに石床で、カルテの代わりに記憶で聞いてきた。道具が何もなかった。でも、聞くことはできた。人が話したいとき、それを受け取れる人間がそこにいれば、それだけでいい。その核心は場所を選ばない。それが今夜、遥の中で一つの形になっていた。
次話:「来ない人のこと」




