第五十二話「陛下の、長い夜」
残り一日。
王は来なかった。
夜が来て、夜が深くなって、それでも来なかった。遥は待っていたわけではなかった。でも、来ないことが、今夜の答えのような気がした。
今夜は、一人でいるのだろう。
王の長い夜を、遥は想像した。
広い部屋。誰もいない。いたとしても、賞賛する者しかいない。批判する者は排除してきたから。真実を言う者は、恐れて黙っているから。
一人だ。
もっとも孤独な場所に、もっとも力を持つ人間がいる。
前世で学んだことの一つは、孤独は状況ではなく感覚だということだ。人に囲まれていても孤独でいられる。誰もいなくても孤独でない人もいる。王は人に囲まれている。でも話せない。話せないから孤独だ。
聞いてほしいと思ったことは、今まで一度もなかっただろうか。
遥は天井を見ながら思った。きっとあったと思う。どこかに。ただ、そうする方法がわからなかったのかもしれない。弱みを見せることが危険な場所にいれば、弱みを出す練習ができない。練習できなければ、できないまま長くなる。
長くなった結果、何が起きるかも前世で見た。弱みを出せない人間は、弱みが出そうになるたびに怒りで蓋をする。怒ることで、脆さを隠せる。だから権力を持った人間は怒りやすくなることがある。本当は傷ついているのに、傷を見せる代わりに怒りが出る。ライアンが言った「怒ると場の空気が変わる」という話も、そういうことかもしれなかった。
それが、何十年もかかって、今夜になった。
「……大丈夫だろうか」
遥は小声でつぶやいた。誰かに言ったわけではない。ただ言ってしまった。
王のことが、少し心配だった。
変な話だと思った。自分が処刑されるのはその人の決定だ。でも、心配していた。人を心配することは、そういう話の外にある。
前世の精神科医として、患者を診ていたとき、患者のことが心配で眠れなかった夜があった。患者の安全を考えながら朝を迎えた日があった。心配することと、怒ること、恨むことは、別のことだ。今遥は、自分を処刑を決めた王のことを心配している。それが不思議ではあるが、おかしいことだとは思わなかった。遥はそういう人間だ。精神科医とはそういう仕事を選んだ人間だ。
明日、執行がある。
もし来るなら、来てくれればいい。来なくても、いい。
どちらでも、今夜この話は自分の内側にある。それは変わらない。
松明が静かに燃えていた。石床は冷たかった。でも今夜の冷たさは、最初の夜より少し遠い気がした。
廊下の向こうで、足音が止まった。
「……明日も来ますか」
ライアンの声だった。番の時間ではなかった。
「——ええ」と遥は答えた。「ここにいますから」
足音が、少し止まって、また遠ざかった。
次話:「執行前夜の静けさ」




