第五十一話「何かが、揺れている」
残り一日。
「——怖いから言っているのかもしれない」
王が言ったのは、長い間を置いた後だった。
前日と同じ日に、もう一度来ていた。夕暮れの時間に、護衛だけ連れて来た。御側近は連れていなかった。
「どちらですか」と遥は昨日聞いた。今日は聞かなかった。王の方から言ってきた。
「怖い、というのはどういう意味ですか」
「……認めれば、何かが崩れる。崩れた後がわからない。だから、認めないことで保っているものがある」
「保っているもの」
「王としての自分だ」
遥は黙っていた。
「王として間違えた、と認めると——何が残るんだ」
「陛下が残ります」と遥は言った。
王がわずかに目を細めた。
「王として間違えた、という事実の後に——陛下自身がいます。それは変わらないです」
「……王である私と、私自身は違うというのか」
「違うかどうかはわかりません。ただ——長年、批判を排除して、賞賛だけを集めてきた。その中に、陛下自身の声はあったかどうかを、少し考えていただけますか」
王が石床を見た。
珍しい姿だった。王が、俯いている。石床を見ている。
この石床をエドモンドも見た、とふと遥は思った。侯爵家の長男が石床に腰を下ろして、父の声と向き合った。今、王がその石床を見ている。ここに来た人間はみんな、何かをこの石床に向けていた。石床は何も言わないけれど、何かを受け取っていた。
「……ここに来るとき、護衛を少なくした。御側近も連れてこなかった。それがなぜか、自分でもよくわからない」
「誰かに聞かれたくなかったのかもしれません」
「自分のことを、誰かに」
「はい」
王は少し間を置いた。「それは——恥ずかしいことか」
「恥ずかしくはないです」と遥は言った。「誰かに聞いてほしい、という気持ちは、おかしくないです」
王は答えなかった。
でも、今日の靴音は、来たときより少し遅かった。
夕暮れの光が石の床に伸びて、また引いていった。王が帰った後、遥はその靴音を聞いていた。来たときの靴音——前を払うような、硬い音——と、帰るときの靴音は、少し違った。重さが変わっていた。何かを置いていったときの音だと思った。
最初の日、王は扉の前に一刻立っていた。今日は扉の向こうにいた。その違いは小さく見えて、大きかった。踏み込めなかった場所に踏み込んだということだ。「王として間違えた、と認めると何が残るんだ」という問いは、まだ答えが出ていない。でも、問いが外に出た。それは昨日よりも先にいる。
次話:「陛下の、長い夜」




