第五十話「正しかった、という鎧」
残り一日。
「私は間違えていない」
王が翌日、最初に言った言葉がそれだった。
前日の言葉を、取り消しに来た。遥にはそう見えた。
取り消しに来る、というのは、取り消さなければならないほど昨日の言葉が自分の中に残っているということだ。忘れたなら来ない。何もなかったなら来ない。来たということは、昨日の言葉が何かに引っかかっている。その引っかかりを消すために、「間違えていない」と最初から言いに来た。
前世で学んだことがある。一度自分の内側に触れた人間は、そこから遠ざかろうとするとき、かえって近づいてくることがある。「間違えていない」と言いに来ること自体が、「間違えていたかもしれない」という感覚と向き合い始めている証拠だ。取り消しは否定ではない。揺れている状態だ。揺れているから、安定させようと動く。
「そうですか」
「あの判断は、王として必要だった。無礼を見逃すことは、弱さを示すことだ。それは国を弱くする」
「そうですか」
「なぜ同意するんだ」
「そういう理由で判断したということは、わかりました」と遥は言った。
「間違えていないと言っている」
「そう考えているんですね」
王が少し止まった。否定もされない。批判もされない。ただ受け取られる、という反応が、何かを狂わせているようだった。
「お前は、私が間違えたと思っているか」
遥は少し考えた。「私が間違えたと言っても、正しかったと言っても、陛下の心は変わりませんか」
「……何が言いたいんだ」
「陛下が昨日、知っていた、と言ったとき——それを言えたのは、何かが動いたからだと思います。今日、間違えていない、と言いに来たのも——昨日のことが引っかかっているからだと思います」
王の視線が遥から外れた。壁でもなく床でもなく、どこか遠い一点を見ていた。
「引っかかっていないなら、来なかったと思います」
「……来てしまった」と王は言った。また、自分に言い聞かせるような声だった。
「昨日の話を、覚えているんですね」
「忘れるわけがない」と王は言った。「あんなことを言ったのは——初めてだった」
「誰かに話したのが」
「認めたのが。知っていた、と」
遥は何も返さなかった。
王が続けた。「……間違えていない、と思い続けないと、続けられない。王として続けていくために、必要なことだった」
「それは本当に、間違えていないと思っているから言っているのか、それとも間違えていないと言わないと怖いから言っているのか——どちらですか」
王の口が開きかけて、閉じた。もう一度開きかけて、また閉じた。
今日最も長い間だった。
答えは、来なかった。
でも遥には、それで充分だった。
答えが来なかった沈黙。それは「間違えていると思っている」でも「間違えていないと思っている」でもない沈黙だ。問いが届いて、その人の中で動いている沈黙だ。遥が欲しかったのはその問いが届くことだけだった。王が自分でその問いに向き合うかどうかは、遥には関係ない。遥はもう、明日処刑される。でも問いは残る。
「本当に間違えていないと思っているのか、間違えていないと言わないと怖いから言っているのか」——その問いに、長い沈黙で答えた人間が今夜一人いる。その沈黙を、遥は大切に覚えておこうと思った。
次話:「何かが、揺れている」




