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悪役令嬢の残り六十日、私は牢獄の精神科医でした  作者: 夜凪 蒼


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第四十五話「帰れない夜」

残り二日。


「昨日のことで、何か問題はありましたか」


朝、ライアンが来たとき遥は聞いた。


「特には。ただ——陛下が帰られた後、しばらく廊下にいらしたようです」


「廊下に」


「はい。扉の前に。しばらく立っていたと、次の番の衛兵が言っていました。一刻ほど」


一刻。遥は少し考えた。一刻とは、相当長い。帰ったはずの王が、扉の前に立っていた。中に入るわけでもなく、立ち去るわけでもなく。


「扉を開けようとしましたか」


「……開けなかったようです。ただ立っていて、やがて歩いて行かれたと」


遥は黙っていた。


眠れていますか、という問いが、何かに触れたのだと思う。触れた場所が、傷になっていたのかもしれない。急には動けない。でも離れられない。


扉の前に一刻立っていた、という話を遥は静かに受け取った。扉の向こうには何があるかわかっている。死刑囚がいる。戻れば、また「眠れているか」という問いに向き合うことになるかもしれない。そこに近づけないまま立っていた。その姿は、遥には何かを語っている気がした。


「……また来ると思いますか」


「来ると思います」とライアンは言った。「陛下があそこまで立っていたということは、何か残ったんだと思います」


「そうですか」


「あなたは怖くないんですか。昨日、あの場で陛下に答えていたのを後ろで聞いていましたが」


「怖かったですよ」と遥は正直に言った。「でも、聞いてみたかった」


「眠れているか、という話」


「はい。声が疲れていると思ったので」


ライアンがしばらく考えた。「……陛下の声が疲れているというのは、私には気づかなかったです」


「長年聞いていると、かえって見えなくなることがあります。初めて聞いた私には、見えたのかもしれない」


「なるほど」とライアンは言った。それから少し間を置いて、「昨日、久しぶりにここに立っていて、恐ろしくなかったです」と言った。


「どういうことですか」


「陛下がここに来たとき——以前の私なら、身が縮んで何も見えなくなっていたと思います。でも昨日は、ちゃんと見えていた。あなたと陛下のやりとりを、ちゃんと聞けていた」


王の前で「飛ばなかった」ということだ。強いストレスのとき意識が遠くなる——三年間、ライアンに起きていたことが、昨日は起きなかった。


「そうですか」


「それが嬉しかったです。自分が、そこにいた感じがして」


遥はその言葉を、しばらく胸の中で持った。ライアンが、そこにいた。大きくなくても、確かな変化だ。


次話:「怒りと一緒に去る」

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