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悪役令嬢の残り六十日、私は牢獄の精神科医でした  作者: 夜凪 蒼


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第四十四話「眠れていますか」

残り三日。


王がまだいた。


護衛と御側近が、また少し動いた。陛下、という声が後ろから届いた。でも王は動かなかった。


遥は静かに言った。


「眠れていますか」


王が振り返った。表情が、一瞬だけ変わった。


「何だと」


「眠れているかどうか、お聞きしました」


「……私に対して何を聞いているか、わかっているのか」


「はい。王であるあなたに、眠れているかを聞いています」


王の目が、遥を見た。長く見た。


その目の奥に、何かがあった。怒りではなかった。怒りより前にある何か。何を言われたのかを、処理しようとしている目だった。


「……何故そんなことを聞く」


「気になったので」


「気になった」


「はい。声が少し疲れているように聞こえたので」


王がわずかに止まった。声が疲れている。そんなことを言った者は、おそらく今まで一人もいなかったのだろう。疲れているかどうかなど、誰も見ない。見ても言わない。


「余計なことを」と王は言ったが、声の力が少し落ちていた。


「余計だったかもしれません」と遥は答えた。「でも、もし眠れていないなら、辛いだろうと思って」


「私が辛いかどうかなど、お前には関係ない」


「そうですね」と遥は認めた。「関係ないです。ただ、聞いてしまいました」


王が、遥を見た。


今度の目は、さっきより少し違った。値踏みするのでもなく、蔑むのでもなく——何かを探るような目だった。


「……眠れていない、とは言っていない」


「そうですか」


「言っていない」


「そうですか」と遥は繰り返した。


王の視線が遥から外れて、石の壁をたどった。何かを探しているのか、何かから逃げているのか。護衛と御側近の気配が後ろに固まっているのがわかった。でも王は、やはり動かなかった。


石造りの天井に、松明の影が揺れた。


「……帰る」


王がようやく言った。


「ありがとうございました。来ていただいて」


王が振り返りかけて、止まった。


少しの間があった。


王は何も言わずに扉へ向かった。靴音が廊下を遠ざかった。護衛と御側近が続いた。


扉が閉まった。


遥は壁に背を預けた。


眠れていないのだろう。


言わなかったけれど、わかった。


「眠れていない、とは言っていない」——眠れているとも言わなかった。全部否定しないことで、何かが少し通り道を作っていた。


遥は壁に背を預けたまま、しばらく天井を見た。来た。見に来た王が、帰れなくなって、「眠れているか」という問いに出会った。今日の問いは、あの人の中に残る。遥にはそう感じられた。残り三日で、これ以上この人に会えるかはわからない。でも、問いは置いてきた。


次話:「帰れない夜」

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