第四十二話「王の靴音」
残り三日。
靴音が違った。
廊下を歩く音は毎日聞いていた。衛兵の歩き方、交代のリズム、食事を運んでくる足音。それぞれに質がある。でも今日、午後に聞こえた靴音は、これまでと種類が違った。
硬い。革の質が違う。歩幅が広い。前を払うような歩き方だ。
遥は壁から背を離して、座り直した。
廊下に、いくつかの足音が続いた。護衛と御側近だろう。先頭の靴音が止まった。扉の前だ。
ライアンの声が、緊張を帯びて言った。「陛下のお成りでございます」
扉が開いた。
男は大きかった。五十代か。体格がいい。銀の装飾が光る上着。髪が後ろに整えられている。顔に、長年命令を下してきた人間の線が刻まれていた。顎の角度が高い。常に見下ろす角度で世界を見ている人間の顔だった。
遥は鉄格子の内側から、その男を見上げた。
目の下に、うっすらと影があった。よく眠れていない人の目だ。体格がよく、姿勢が堂々としているので目立たないが、遥には見えた。口元の両側に、長年何かを堪えてきた人の筋肉の線がある。権力を持つ人間の体に刻まれる命令の線ではなく、何かを堪えてきた人間の線だ。見逃すのは惜しかった。
男——王は、遥を見た。
少し間があった。何かを確かめるような目だった。こんな小さな女が、宮廷の人間を変えたのか、という目だったかもしれない。
「アネット・クロイスか」
低い声だった。
「はい」と遥は答えた。
「随分と、好き勝手にやっているそうだな」
「好き勝手にはしていません。話を聞いただけです」
王がわずかに眉を上げた。臆せずに答えた、という反応だった。遥はそれを見て、少しわかった。この人は、恐怖を期待している。
恐怖の反応を期待する人間は、自分の強さを確認したい人間だ。相手が萎縮することで、自分が大きいことを感じる。逆に言えば、萎縮されなければ、何を感じるかわからない。この人が今、何を感じているかを遥は静かに観察した。
今日は話を聞くだけにしよう。
「どんな気分だ。処刑まで三日を切った死刑囚は」
「特に変わりないです」と遥は答えた。
「怖くないのか」
「怖い、という感覚はあります。ただ、今日することがあるので」
王が少し止まった。「今日すること、とは何だ」
「あなたの話を聞くことです」と遥は言った。
王がわずかに止まった。「あなたの話」という言葉の重さを、処理しようとしているように見えた。「私の話を聞く」という前提で来た人間はいない。誰もが王に「話す」ために来る。話を聞きに来た人間は、いなかったのかもしれない。
遥は王の顔を、静かに見ていた。来たことには理由がある。「見に来た」と言っているが、見るだけなら一言も話さずに帰ればいい。話したということは、話したかったのだ。どんな動機であれ、話すことを選んだ。それで充分だった。
次話:「どんな気分だ」




