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悪役令嬢の残り六十日、私は牢獄の精神科医でした  作者: 夜凪 蒼


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第三十九話「笑えるんだ、という」

残り五日。


「返事が来ました」


朝、ライアンが言った。顔が、少し違った。明るい、というより——ほぐれていた。


「実家から」


「はい。あの日の夜、もう一度書いたんです。ガレットの名前が浮かんでも、そのまま書き続けて。震えた字でしたけど、出しました」


遥は少し驚いた。あの日——手紙を破った日。その夜にもう一度ペンを握っていた。言わなかった。一人で、やっていた。


「母から返事が来て。来てほしいと書いてあって」


「そうですか。よかった」


「来てほしい、という言葉が——思っていたよりきつくなかったです」と彼は言った。「帰れない間、心配をかけていたと思って、どう思われているか怖かったんですが、母の字を見たら、そんなことを考えていなかった気がして」


「どんな字でしたか」


ライアンが少し笑った。今日の笑いは、遥がこれまで見た中で一番自然だった。「……急いで書いたような字でした。丁寧じゃなくて。でも、それが良かった。丁寧じゃない方が、本気で書いたように見えて」


「そうですね」


「来月、休みが取れれば帰ろうと思っています」


遥は、母の字の話を聞きながら、少し胸が動いた。急いで書いた字。丁寧ではない字。それが本気の証拠に見えたというライアンの感覚は、正しいと思う。整えられた言葉より、乱れた字の方が、その人の心が直接出る。三年間どこにいたのかも書かず、ただ「来てほしい」と書いた母の手紙——それがライアンの何かをほぐした。


「ぜひ行ってください」


ライアンは一度、遥の方をまっすぐ見た。「処刑の後になりますが」


「ええ」


「あなたがいなくなった後でも、帰ります」


「それでいいです」と遥は言った。「あなたがどこかに帰る。それで充分です」


ライアンが少し黙った。今日の沈黙は穏やかだった。過去の重さではなく、今の静けさだった。


「三年前は、帰れないと思っていました」と彼は言った。「帰ったところで、自分が戻れる気がしなかった。でも——今は少し、帰れる気がします」


「そうですか」


「何が変わったのか、うまく言えないですが。なんか、軽くなった、という感じです」


遥は頷いた。「言えなかった名前は」


ライアンがわずかに止まった。「……まだ言えないですが。でも——ちゃんとそこにいる感じがします。逃げていない感じがする」


「それで充分です」


「……まだ言えなくていいですか」


「いつかでいいです」と遥は言った。「言えなくても、あなたは彼を覚えている。それが大事なことです」


ライアンが小さく頷いた。


松明の火が、今日は穏やかに燃えていた。揺れも少ない。静かな朝だった。


遥はライアンが帰った後、今朝の会話を振り返った。「ちゃんとそこにいる感じがします。逃げていない感じがする」という言葉。言えない名前を持ちながら、その名前から逃げないでいられるようになった。受け入れたわけではないかもしれない。でも、目を背けないでいられるようになった。それは前の段階より、確かに前に進んでいる。


「軽くなった」というライアンの言葉も、遥には大事だった。重さが消えたのではなく、持ち方が変わった。そのときに人は「軽くなった」と言う。前世でも、患者がそう言う瞬間を遥は何度か聞いた。その言葉が来るたびに、遥は静かに嬉しかった。今朝も、同じだった。


次話:「ありがとう、という声」

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