第三十三話「鏡の前に立てるか」
残り八日。
「鏡を見るのが、苦手です」
ヴィヴィアンが言ったのは唐突だった。でも遥には、前日の話の続きに聞こえた。
「どういうふうに苦手ですか」
「長く見ていると——不安になります。この顔で大丈夫か、とか。年をとっているのではないか、とか。エドモンドが嫌に思っていないか、とか」
「長く自分の顔を見ていると、不安が来る」
「はい。だから最小限しか見ないようにしています。身だしなみの確認だけ」
「自分の顔が怖いですか」
ヴィヴィアンが少し止まった。「怖い、というより……見えすぎるのが怖い、かもしれません」
「見えすぎる」
「自分がどんな状態かが、顔に出ているのを見たくない。疲れているとか、悲しそうとか、そういうのを確認すると、それを認めることになる気がして」
「認めたくない気持ちがある」
「はい。認めると、エドモンドに心配をかける。あるいは、弱いと思われる」
遥はヴィヴィアンの母の言葉を思い出した。「あなたが意見を言ったら場が壊れる」——そう繰り返してきた母を持つ人間が、自分の状態を見せることを怖れるのは自然なことだった。自分の状態を見せると場が壊れる。弱さを見せると何かが崩れる。その感覚が、鏡を見ることへの怖れになっていたのかもしれない。
「エドモンドさんに弱いと思われたくないですか」
「……ずっとそう思っていました。でも最近は——エドモンドも弱いところがある、とわかって。少し違ってきた気がします」
「違ってきた」
「エドモンドが苦しいと言ったとき、弱いとは思わなかった。むしろ、話してくれてよかったと思いました。だから、私も——」
ヴィヴィアンが少し止まった。
「話してもいいかもしれない、と思い始めていますか」
「……はい」
「鏡の話をしてくれましたね。今日初めて」
ヴィヴィアンが少し間を置いた。「……そうですね。言えた」
「言えましたね」
二人の間に、静かな時間が流れた。廊下の外で松明の音がした。炎が揺れて、影が動いて、また静かになった。
「自分がどんな状態かを見るのは、怖いことです」と遥は言った。「でも、見た後で誰かに話すことができると、少し変わります。一人で見なくてよくなるから」
前世でも、こういう話は時間がかかった。「自分の状態を認めたくない」のは、認めることで何かが崩れるという恐怖があるからだ。崩れないように、見ないようにしてきた。でも見ないでいると、見えないまま重くなっていく。鏡の話をヴィヴィアンが今日したということは、その重さをここで降ろしてもいいと感じ始めているということだ。
「一人じゃなくなる」
「はい。ここに来て話すことが、それだと思います」
ヴィヴィアンは小さく頷いた。今日の頷きは、エドモンドに促されたものではなかった。
自分の状態を見て、それを誰かに話す。その練習を、ヴィヴィアンはここで始めている。遥がいなくなった後も、その練習は続けられる。
次話:「間違えていたのかも」




