第二十九話「エドモンドの怒鳴り声」
残り十日。
「——私が問題だと言いたいんですか」
エドモンドが言ったのは午後のことだった。今日は一人で来ていた。
声が低かった。怒りではなかった。でも怒りに近いものがあった。
遥は内心で、来た、と思った。抵抗が来ることは悪いことではない。むしろ、深いところまで話が届いている証拠だ。前世でも、治療の中である段階で「私が悪いと言いたいんですか」と言う人が必ずいた。それは攻撃ではなく、自分を守るための言葉だ。何かが動き始めているから、怖くなっている。
「そうは言っていないです」と遥は答えた。
「でも言外にはそういうことを言っている。妻が合わせすぎる原因は私にある、と」
「エドモンドさんが原因で、ヴィヴィアンさんが被害者だとは思っていないです」
「では何を言っているんですか!」
声が跳ねた。牢の壁に反響して、一瞬だけ空気が張り詰めた。エドモンド自身が驚いたように口を閉じ、それから低い声に戻った。
遥は少し間を置いた。「二人が今の仕方をやめるのは、二人とも怖いと思います。エドモンドさんが確認するのをやめると、不安に耐えなければならない。ヴィヴィアンさんが合わせるのをやめると、どうすればいいかわからなくなる。どちらも、やめるのが怖い」
エドモンドが黙った。
「——それが私の問題だとしても」と彼は続けた。「今さら何が変わりますか。私はずっとこうだった。父が死んでもこのままだった。あなたが何を言っても、私は変われない」
「そうですか」と遥は言った。否定も肯定もしなかった。
「変わらない人間が来ても、時間の無駄です」
「変われない、と思うことはありますか」
「今ずっとそう言っています」
「怒っていますか」
「……怒っていないです」
でも声は低かった。
「自分に怒っているかもしれません」と遥は静かに言った。
エドモンドが黙った。今日の沈黙は、重かった。
「……何もできない自分に、腹が立つことはあります」と彼は言った。「確認が止められない。妻をうまく扱えない。仕事でも、部下が言うことを聞かないと何度も同じ指示を出してしまう。それが自分でわかっていても、止められない」
「止めようとしてきたんですね」
「ずっと。でも、止められない」
「止めようとすること自体が、苦しかったかもしれないです」
エドモンドがわずかに顔を歪めた。
怒りではなかった。何か、ずっと蓋をされていたものが、少し動いた顔だった。
「……疲れました」と彼は静かに言った。
「今日も来てくれてよかったです」と遥は言った。
エドモンドは何も言わなかった。でも、今日は立つのが少し遅かった。すぐに帰らなかった。石床に座ったまま、少しの間、黙っていた。
「疲れた」と言えたことを、遥は大切に受け取った。ずっと止めようとしてきた、という言葉も。止めようとして止められない——それは意志が弱いのではなく、意志を使い続けてきた結果だ。十年以上、確認をやめようとしながらやめられなかった人が、今日「疲れました」と言った。疲れを認められるのは、戦っていた証拠だ。
エドモンドの父は「確認は二度三度」と繰り返した人だった。その声を十代から内側に飼い続けて、止めようとして止められなかった。父の声に従えば安心できる。でも従い続けることが、少しずつ自分を削っていた。今日、「疲れた」という言葉が出た。それはその削れた重さが、言葉になった瞬間だった。
次話:「それは誰の言葉ですか」




