第十八話「怖いと思う前に」
残り二十二日。
翌朝、ライアンが言った。
「昨日のこと、考えていました」
「どのこと」
「怖くない、という話。怖いけど、大事なことがあると言っていた」
「はい」
「……私は、誰かにとって大事なことに、なれていたんでしょうか」
遥は少し驚いた。ライアンが、自分を他者の視点から見る問いを出した。三週間前には出てこなかった問いだ。
「クレイさんにとって、なれていたと思いますよ」
「根拠はありますか」
「根拠はありません」と遥は正直に言った。「でも、彼が戦場で一番近くにいた人がライアンさんだったなら、その人のことは大事だったと思います」
「……そういうものですか」
「そういうものだと、私は思います」
ライアンは少し黙った。それから、「もう一人の方も、そうだったんでしょうか」と言った。
「もう一人」
「……名前を言えないもう一人。その人にとっても、私はそういう存在だったんでしょうか」
遥は答える前に、少し時間を置いた。急いで「そうです」と言うのは簡単だ。でも、それはライアンの問いを薄くする。
「その人があなたの近くにいたのは、その人が選んだことだと思います」と遥は言った。「戦場にいる人間は、誰かと距離を置くことも、近くにいることもできる。近くにいたということは、近くにいたかったということじゃないでしょうか」
ライアンの目が、少し動いた。
「……そう、かもしれません」
「私にはわかりません。でも、そう考えることもできます」
しばらく沈黙があった。ライアンが何かを内側で処理している沈黙だった。
「怖いと思う前に、という言い方をしていましたね」
ライアンが遥の昨日の言葉を繰り返した。
「はい」
「怖いと思う前に、大事なことがある。そういうことですか」
「そうです」
「……私も、少しそういう感じに、なれてきた気がします」
「どういうふうに」
「眠れるようになってから……怖い夢は減りました。代わりに、草原の夢をよく見ます。走っているだけの夢を」
「悪くないですね」
「悪くないです」と彼は言った。今日、三度目に、口の端が上がった。
草原の夢。戦場の夢ではなく、走っているだけの夢。ライアンが北部農村の出身だということを遥は知っていた。故郷の草原が夢に出てくるのかもしれない。戦場から帰ってきた心が、まず故郷に戻ろうとしている。体が戻る前に、夢が先に帰ろうとしている。
夕方、遥は一人で今日の会話を繰り返した。ライアンが自分から問いを持ってきた。自分が誰かの大事なものになれたかどうか、という問い。それは、自分の存在を肯定しようとしている問いだ。
前世でも、回復の過程でこういう問いが来ることがあった。「私は誰かの役に立てましたか」「あの人は私のことを嫌っていなかったでしょうか」——自分の存在価値を外から確かめようとする問いだ。傷ついた人間は、自分の価値を自分で測れなくなる。だから外から確かめようとする。その問いに対して、遥はいつも「わからない」を正直に言いながら、「こう考えることもできる」という窓を開けるようにしていた。
大丈夫だ。この人は、大丈夫になっていく。
根拠のある確信ではなかった。でも確信だった。
次話:「従兄弟がいるらしい」




