第十七話「怖くないのですか」
残り二十三日。
「怖くないんですか。死ぬのが」
夕方、ライアンが聞いた。
遥は少し考えた。
「怖い、という感覚はあります」と答えた。「ただ……今ここでやることに集中していると、怖さを思う時間があまりない感じがします」
「やること、というのは」
「あなたの話を聞くこと。それ以外にも、考えることがある」
ライアンは少し間を置いた。「死ぬとわかっていて、それでも平気なんですか」
「平気ではないと思います」と遥は正直に言った。「でも、どうしようもないことにずっと向き合っていると、体が慣れてくる、というか。どうしようもない、という事実と共存できるようになる、というか」
「どうしようもない、と受け入れているんですか」
遥は少し考えた。「受け入れているかどうかはわかりません。ただ、どうにかしようとすることに時間を使うより、今ここでできることに時間を使いたい、という感覚がある」
ライアンはそれを聞いていた。じっと聞いていた。
「……私は怖かったです。死が近い場所にいて、怖かった」
「そうですか」
「怖いのに、慣れたくて。慣れたふりをしていた」
「今は」
「……今は、怖いとは少し違う感じです。まだうまく言えないですが」
遥は頷いた。「言えないままでいいです」
二人はしばらく黙った。
死の話は、普通はしにくい話だ。でも遥とライアンの間では、なぜか自然に出てきた。二人とも、死に近い場所にいたことがある。一方は今も死に向かっている。それが、ある種の対等さを作っていた。
ライアンが「怖くないんですか」と聞いたのは、自分が怖かったからだ、と遥は思った。戦場で怖かった。仲間が死ぬことも、自分が死ぬことも。でも「怖い」とは言えなかった。言えない環境だったのか、言える相手がいなかったのか。どちらにせよ、三年間その怖さを一人で抱えてきた。今日、遥に「怖い」と話せたことは、小さいようで大きいことだった。
「あなたは怖くないから、死に向かえるんじゃないですか」
ライアンが言った。
「そうじゃないと思います」と遥は答えた。「怖いけど、怖いことより大事なことがある、という感じです」
「大事なこと」
「あなたの話を聞くこと。それが今の私には大事なんです」
ライアンは黙った。今日は長い沈黙だった。
遥も待った。何かが動いている沈黙だとわかったから、崩さなかった。
「……ありがとうございます」
ライアンが静かに言った。
「お礼を言うのはこちらです」と遥は答えた。
ライアンは何か返しかけて、黙った。そして夜になった。
夜の石床で、遥は「怖いことより大事なことがある」という言葉を反芻した。嘘ではなかった。ライアンの話を聞くことが、今の自分には確かに大事だ。怖さを感じていないわけではない。ただ、怖さよりも大事なことが手前にある。それが遥に静かさを与えていた。
前世でも、忙しい日は死への恐怖を考える暇がなかった。患者のことを考えていた。次の診察のことを考えていた。誰かのことを考えているとき、人は自分の恐怖から少し離れられる。それは逃げではなく、バランスだと遥は思っていた。
次話:「怖いと思う前に」




