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悪役令嬢の残り六十日、私は牢獄の精神科医でした  作者: 夜凪 蒼


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第十六話「精神科医という話」

残り二十五日。


「患者さんが、たくさんいたんですか」


ライアンが聞いたのは朝だった。今日は明るい話がしたい日なのかもしれない、と遥は思った。


「クリニックで働いていたので、毎日会っていました。一日に十人くらい」


「十人」


「一人一人に時間をかけるので、多くはないですが」


「どんな人が来るんですか」


「様々です。眠れない人、気持ちが沈んで動けなくなった人、人が怖くなった人、自分を傷つけてしまう人。あとは、家族や職場での関係で苦しくなった人」


遥はそれを言いながら、前世のクリニックを思った。待合室に置いてあった植物。窓から見えた電線と空。一人一人が入ってきて、椅子に座って、話し始める。最初は「どうしましたか」という問いから始まる。毎回、その問いを聞くたびに、遥は目の前の人に集中しようとしていた。前の患者のことを引きずらないように。次の患者のことを考えないように。今ここにいる人の話を、今ここで聞く。それだけだった。


ライアンは少し間を置いた。「みんな、話すだけで楽になりますか」


「話すだけでは足りない人もいます。薬が必要な人もいる。でも——話すことが入り口になることは多いです」


「なぜ入り口なんですか」


「自分が今何で苦しいかを、言葉にしないと動けないことがあるからです。言葉にすることで、ようやく扱えるものになる」


ライアンはそれを、少し時間をかけて考えた。


「……クレイの名前は、言えました」と彼は言った。「でも、もう一人の名前はまだ言えない」


「言えなくていいです。今は」


「でも、いつかは言えますか」


遥は少し考えた。「言えるようになるかどうかは、わかりません。でも——今より、少し楽に思い出せる日が来ると思います」


「今より楽に」


「はい。今は重すぎて言葉にならない。でもそれが少し軽くなって、形が変わると、言えることがあります」


ライアンはしばらく黙っていた。


「……それが治る、ということですか」


「治るかどうかはわかりません。でも、持ち方が変わる、という感じです。重さは変わらなくても、運べるようになる」


「重さは変わらない」


「失った人の重さは、変わらないと思います。ただ、それを持つ自分が変わっていける」


ライアンの目が、少し遠くなった。草原の方に向いているような目だった。


「そうですね」と彼は静かに言った。「そうかもしれません」


その日の夜、遥は前世のことを思った。患者の顔。それぞれの声。よくなっていった人、なかなかよくならなかった人、途中で来なくなった人。


全員に何かができたわけではない。それでも、来続けてくれた人が、また来てくれたこと。それが嬉しかった。


「重さは変わらなくても、持ち方が変わる」という言葉を、今日は自分でも噛み締めた。ライアンへの言葉だったが、遥自身にも当てはまる気がした。あの患者に殺された、という事実は消えない。残念だったという感情も消えない。でも、その重さを持ちながら、この六十日間を生きている。それも一つの持ち方だ。


六十日。それだけあれば。


牢の中だけれど。


次話:「怖くないのですか」

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