第十五話「前世の話でいいですか」
残り二十六日。
「前世の話を、少し聞いてもいいですか」
ライアンが言ったのは夕方だった。遥はすこし驚いて、それから頷いた。
「どんなことを聞きたいですか」
「……精神科の医者というのは、どういう仕事なんですか。話を聞くだけですか」
「話を聞くだけ、ではないですが、話を聞くのが仕事の核心にあります」
「話を聞いて、どうするんですか」
遥は少し考えた。「聞きながら、その人が今どういう状態にいるかを把握します。それで適切な方法を提案したり、薬を使ったりする。でも最終的には、その人自身が変わっていくのを支えるのが仕事です。こちらが変えることはできない」
「……その人自身が変わる」
「はい。私が何かをするのではなく、その人の中にある回復する力を、じゃまにならないように支える」
ライアンは少し黙った。
「じゃあ私は、自分で変わっているんですか」
「そうです」
「あなたは何もしていない、ということ?」
「聞いています」と遥は言った。「でも話したのはあなただし、変わったのはあなたです」
ライアンはその言葉を、少し時間をかけて受け取った。
「……そういう仕事を、なぜやろうと思ったんですか」
遥は少し考えた。正確に思い出せるかどうか、自分でも定かではなかった。
「誰かの話を聞くことが、苦じゃなかったんだと思います。それと——学生のころ、身近に苦しんでいた人がいて。その人の話を聞けなかったことが、ずっと引っかかっていて」
「聞けなかった」
「どう聞けばいいかわからなかった。何を言えばいいかわからなかった。だから何も言えなかった。その人はある日、姿が見えなくなって……それ以来です」
「……わかります」
ライアンが言った。静かだった。
「言えなかったことが残る感覚は、わかります」
「ええ」
二人は少しの間、黙っていた。同じ種類の残り物を持つ者同士の沈黙だった。違う理由で、違う形で。でも何かが重なっていた。
遥には、前世の記憶がある。その学生のことを、今でも思い出す。名前は言わない。でも顔は覚えている。どんな声をしていたかも、覚えている。姿が見えなくなった後、遥は長い間、何かを聞けなかったことを引きずっていた。どう聞けばよかったのか、何を言えばよかったのか、何も言えないまま黙っていたことは正しかったのかどうか。その答えは、今でも出ていない。出ないかもしれない。でも、その引っかかりが、精神科医になった理由の一つだった。誰かの言葉に耳を傾けることを、仕事として続けることを、選んだ理由の一つだった。
その経験が、遥の医師としての軸になっていた。「何も言えなかった」という後悔は消えない。でも、消えない後悔を持ちながら、次の人のそばにいることはできる。それが前世の遥の選んだ道だった。ライアンが「言えなかったことが残る感覚はわかります」と言ったとき、遥には自分の話をした気がした。
「あなたが医者をしてよかったです」とライアンが言った。
遥は少し、胸が動いた。
「ありがとうございます」
「……変なところで言いましたね」
「変なところです。でも嬉しかったです」
ライアンがまた、口の端を少し上げた。今日で二度目だ。笑い方を、少し思い出している。
次話:「精神科医という話」




