第十一話「生き残りの重さ」
残り三十三日。
「誰が最初に死んだか、覚えていますか」
遥が聞いたのは夕方だった。
直接的な問いだった。でも、このタイミングなら受け取れると思った。ライアンの肩が以前より低い位置にある。眠れた日が続いている。少し、余裕が生まれている。
ライアンは長く沈黙した。
「……隣にいた男でした」
静かな声だった。
「名前は」
「クレイ。二十二歳でした」
「どんな人でしたか」
「よく笑う人で……馬の話ばかりしていました。実家で馬の世話をしていたんで。馬が好きで、戦争が終わったら馬の調教師になると言っていた」
ライアンの声が、少し低くなった。感情を押し込めている声だった。
遥は目を閉じた。クレイという人間の輪郭が、言葉の中に浮かんだ。二十二歳。馬が好きで、よく笑う。調教師になる夢を持っていた。ライアンの隣にいた。その人が、草原の泥の上で死んだ。戦争が終わったら何をするかを話していた人間が、戦争の最中に死んだ。終わりを語っていた人間に、終わりが来た。ライアンはその場にいた。隣にいた。
「そうですか」
遥は言葉を足さなかった。
「私は何もできなかった」
ライアンが続けた。
「矢が飛んできて、気づいたら倒れていて。駆け寄る前に終わっていました。何もできなかった」
「そうですか」
「……謝ることも、できなかった」
「謝る必要はあったんですか」
ライアンが顔を上げた。遥を見た。少し、戸惑った目だった。
「……わかりません。でも、申し訳なかった」
「あなたのせいではないのに」
「わかっています。頭では。でも……」
「でも、という気持ちが残っている」
ライアンは頷いた。小さく、一度だけ。
「それは、おかしいことじゃないです」と遥は言った。「自分だけ生き残ったことへの罪悪感は、合理的かどうかとは別のところにある感情です。あなたがおかしいわけじゃない」
「生存者の罪悪感」という概念を、前世で何度も患者と一緒に見てきた。事故で自分だけ生き残った人。災害から逃げ出した人。仲間が倒れていく中を走り続けた人。あなたのせいではない、と言っても、感情は理屈を聞かない。罪悪感は論理の問題ではなく、感情の問題だ。だから「おかしくない」という言葉は、罪悪感を消すためではなく、自分を責めることを一度休んでもいいという許可を渡すために言っていた。
ライアンはしばらく黙っていた。
遥も黙った。
この沈黙は埋めてはいけない。ライアンが何かを感じている時間だ。こちらが先に言葉を足すと、それを押しつぶしてしまう。
しばらくして、ライアンが静かに言った。「……誰かにそう言ってもらったのは、初めてかもしれない」
「同僚には話せなかったんですか」
「戦場を知っている人間には……話せなかったです。みんな同じ思いをしているのに、自分だけみたいで」
「話せない人に話してくれて、ありがとうございます」
ライアンは少し黙ってから、「……変な言い方ですね」と言った。
「そうですか。でも、本当のことです」
その日の夜、咳の音はしなかった。
次話:「声にならなかった名前」




