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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第1部

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第8話:境界の森へ

 町の門が、背中の向こうで少しずつ遠ざかっていく。


 振り返れば、まだ門の上の見張り台が見えた。守備兵たちの槍も、ロイたちの姿も、小さくなっていく。


 ロイは最後まで何か言いたそうにしていた。


 でも、来なかった。


 来られなかったのだと思う。


 帳簿と魔法印具、捕虜たちの証言、縛られた奴隷商人一味。あれを町の中で守る役目が、今のロイたちにはある。


 ぼくたちは、門の外へ出た。


 正確には、入れてもらえなかった。


 その違いは、思ったより大きい。


「こっちから願い下げだし」


 ヴェルがフードの奥でぼそっと言った。


「あんな町、別に入りたくなかったし」


 声は強い。


 でも、歩幅は少し小さい。


 セラさんが心配そうにヴェルを見る。


「腕、痛みませんか」


「痛くない」


「本当に?」


「ちょっとだけ」


「では、見せてください」


「やだ」


 即答だった。


 けれど、ヴェルは腕を後ろに隠さなかった。鎖の巻きついた腕を、ぎこちなく抱えるだけだった。


 セラさんは無理に触れない。


 ただ、その隣を歩く。


 それだけで、少しだけ二人の距離が近づいた気がした。


「魔物側へ行くのは?」


 ヴェルが急に言った。


 言ってから、自分で顔をしかめる。


「いや、やっぱなし。おじさん、人間だし」


「うん。たぶん歓迎はされない」


「あたしだって、歓迎されるかわかんないし」


 ヴェルは腕輪に触れた。


「魔王軍の残党が探してるとか、あの奴隷商人は言ってたけど。そんなの知らない。あたし、自分が何者かもちゃんと思い出せない」


 赤い瞳が、フードの影で揺れる。


「魔物側に行ったら、助けてもらえるかもしれない。でも、また別の檻に入れられるかもしれない」


 その言葉に、セラさんの指が首元のチョーカーへ触れた。


「神殿筋、という言葉もありました」


 彼女は静かに言う。


「わたしも、人間側なら安全とは限らないのですね」


「たぶん」


 認めたくはない。


 でも、嘘は言えない。


「今は、どちらかの勢力に保護してもらうより、少し距離を置いた方がいいと思う」


「で、行くあては?」


 ヴェルが聞く。


「ない」


「ほんとにないんだ」


「ないけど、探す」


「行き当たりばったりじゃん」


「そうとも言う」


 ヴェルは呆れたようにため息をついた。


 けれど、歩くのをやめなかった。


 境界道は、町を離れるにつれて細くなっていく。


 片側は人間の手が入った道だ。古い石畳がところどころ残り、草に埋もれた標識が傾いている。


 もう片側は、濃い森。


 木々の奥から、鳥とも獣ともつかない声が聞こえる。空気は湿っていて、土と葉の匂いが強い。


 道と森。


 人間と魔物。


 その間を、ぼくたちは歩いている。


「あ」


 道端の標識が、半分倒れていた。


 古い木の柱に、かすれた文字で方角が書いてある。根元が腐って、少し触れば完全に倒れそうだ。


 ぼくは足を止めた。


「何?」


 ヴェルが振り返る。


「標識が」


「今それ直す必要ある?」


「道に迷う人がいるかもしれない」


「今いちばん迷ってるの、あたしたちじゃない?」


 その通りだった。


 セラさんが小さく笑う。


「シュウ様らしいです」


「褒められてるのかな」


「はい」


「たぶん、褒めてないと思うけど」


 ヴェルが言う。


 それでも、ぼくは標識の根元に補修札の切れ端を巻き、余った銅線で軽く固定した。長くは持たない。でも、今日明日で倒れることはないだろう。


「ほんと、変なところで律儀」


「壊れかけてると、気になるんだ」


「自分も壊れかけてるくせに」


 ヴェルの言葉に、セラさんがはっとする。


 ぼくは苦笑した。


「そこは否定しづらいね」


 徹夜だ。


 追放され、奴隷商人とやり合い、町からも閉め出された。体も頭も、かなり限界に近い。


 セラさんも疲れている。


 ヴェルも強がっているだけだ。


「少し休もう」


 ぼくは道端の大きな木の根元を示した。


 三人で腰を下ろす。


 セラさんは、すぐにヴェルの腕を見ようとした。


「やだってば」


「少しだけです」


「少しでもやだ」


「痛むなら、放っておけません」


「……痛むって言ってない」


「ちょっとだけ、と言いました」


 ヴェルは言い返せなくなった。


 結局、渋々腕を差し出す。


 鎖の下の皮膚は赤くなっていた。ぼくの応急処置と、セラさんの光でかなりましになっているが、無理をした跡は残っている。


「ごめん。あとできちんと仕上げる」


 ぼくは言った。


「その腕輪も、セラさんのチョーカーも。今は応急だから、負担が残ってる」


「別に、今のままでも」


「だめ。道具は使う人を傷つけたらだめだ」


 ヴェルが黙る。


 セラさんが、首元のチョーカーに触れた。


「わたしのものも、もっとよくなるのですか」


「なる。ちゃんと磨いて、肌に当たるところも直して、魔力の流れも整える」


「……楽しみです」


 セラさんが、控えめに笑った。


 その笑顔を見ると、少しだけ疲れが軽くなった気がした。


『シュウ。森の奥です』


 頭の中で、マーサの声がした。


『古い魔力は、たぶんそちらです。右……いえ、女神的には右ですが、あなたから見ると少し左かもしれません』


「どっち」


『斜めです』


「斜め」


 ヴェルが眉をひそめる。


「何? また女神?」


「うん。森の奥に古い魔力があるらしい」


「案内として雑じゃない?」


『聞こえていますよ、黒髪の小さい方』


「小さいって言うな!」


 ヴェルが空に向かって怒る。


 セラさんが目を丸くした。


「本当に、女神様の声が聞こえるのですね」


「聞こえる。便利な時と、そうでもない時がある」


『便利です。女神ですから』


「半分くらいは助かってる」


『なぜ半分なのですか』


 ぼくは返事をせず、森の方を見た。


 風の抜け方が少し違う。


 木々の間に、古い道の跡がある。人がよく通る道ではない。けれど、昔は何かがあったのだろう。踏み固められた土が、草の下に残っている。


「こっちかな」


「今の、女神の案内じゃなくておじさんの勘じゃない?」


「道具を見るのと似てる。風の通り方とか、地面の沈み方とか」


「ほんと変」


 ヴェルはそう言いながら、立ち上がった。


 森に入ると、空気が変わった。


 街道より湿っていて、葉の匂いが強い。足元には蔦が多く、ところどころに小さな白い花が咲いている。


「その花、踏まない方がいい」


 ヴェルが言った。


「眠くなる匂いを出す」


「わかるの?」


「なんとなく。魔物は、たぶん嫌がる」


 ぼくは花を避け、近くに落ちていた小さな鈴を拾った。


 古い旅人の荷物から落ちたものだろう。割れていて、音はほとんど鳴らない。


「また拾ってる」


「使えるかもしれない」


 銅線を巻き、鈴の割れ目を少しだけ補修する。木の枝に吊るして、細い糸を張る。何かが近づけば、小さく鳴る程度の警戒具だ。


 ちゃんとしたものではない。


 でも、今のぼくたちには、少しの警戒でもありがたい。


 白い花の匂いが風に乗った。


 セラさんのチョーカーが淡く光る。


「少し、嫌な匂いが薄くなりました」


「助かる」


 ヴェルが小さく言った。


 セラさんは嬉しそうに微笑む。


「はい」


「そこで嬉しそうにしないでよ」


「すみません」


「謝るなってば」


 二人のやり取りを聞きながら、ぼくは森の奥へ進む。


 しばらく歩くと、空気がまた変わった。


 見えない薄い膜をくぐったような感覚。


 古い網戸に手を触れた時のような、かすかな抵抗がある。


「結界……かな」


 ぼくは手を伸ばす。


 指先に、ぴり、と弱い感触。


 拒んでいるというより、確かめている。歪んだ扉が、開ける相手を選んでいるみたいだ。


 ヴェルが少し顔をしかめた。


「なんか、入りにくい」


「嫌な感じですか?」


 セラさんが聞く。


「嫌ってほどじゃない。面倒くさい感じ」


「ぼくが先に触ってみる」


 古い結界の流れに、そっと魔力を通す。


 鍵をこじ開けるのではなく、錆びた蝶番に油を差すように。


 壊すつもりはない。


 通してほしいだけだ。


 しばらくして、抵抗が少し緩んだ。


『……反応しました』


 マーサの声が、珍しく真面目になる。


『敵意がない者を、確かめているようです』


「じゃあ、入ってもよさそうだ」


「ほんとに?」


「たぶん」


「たぶんで入るの?」


「他に行く場所がないから」


 ヴェルは小さくため息をついた。


「ほんと、行き当たりばったり」


 それでも、彼女はぼくの後ろについてきた。


 朝に町を出たはずなのに、森の中では時間の流れが妙にわかりにくかった。


 休み、歩き、また休む。


 セラさんの足取りが重くなれば止まり、ヴェルの腕輪が痛み出せば腰を下ろす。ぼく自身も、何度か工具箱を置いて息を整えた。


 木々の隙間から差す光は、いつの間にか低くなっていた。


 葉の影が長く伸び、森の奥に薄い夕闇が溜まり始める。


 結界の向こうに出ると、木々が少し開けていた。


 そこに、小屋があった。


 苔むした屋根。


 浮いた壁板。


 割れた窓。


 傾いた煙突。


 扉の前には落ち葉が積もり、長い間、誰も出入りしていないように見える。


 ぼろ小屋、と言えばそれまでだ。


 でも、完全には崩れていない。


 屋根の芯はまだ生きている。柱も、根元は傷んでいるが折れてはいない。窓枠も歪んでいるだけで、直せばはまりそうだ。


 捨てられたというより、誰かが戻ってくるのを待って、壊れながら踏ん張っていたように見えた。


 まだ、直せる。


「……誰かを、待っていたみたいです」


 セラさんが小さく言った。


 ヴェルは腕を組む。


「ぼろ小屋じゃん」


 そう言いながら、声には少しだけ安心が混じっていた。


 扉の取っ手は錆びて、半分外れかけていた。


 鍵穴は潰れている。


 蝶番も歪んでいる。


 屋根からは、夕露がぽたりと落ちていた。


「入れるの?」


 ヴェルが聞く。


「普通には無理かな」


「じゃあ」


「でも、直せば開く」


 ぼくは工具箱を地面に置いた。


 人間の町にも、魔物の領地にも入れなかったぼくたちの前で。


 鍵の壊れた扉と、屋根の傾いた小屋だけが、こちらを拒まなかった。


 壊れた小屋だけが、まだ直せる顔をして立っていた。



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